第33話

 先程までの喧騒は消えて、辺りを静寂が支配する。

 命令に忠実に従った下級狩人達は全員、脇目もふらずにこの広場から離脱していった。

 広場に残った人間は、聖女様と命令に背いて残った自分の二人だけ。


 眼前に現れた格上の少女を前にして、〈ラーヴァ・ベヒーモス〉は恐怖しているのか動きが止まっている。

 SランクとDランク、力の差は天と地であり戦いにならないのは誰の目から見ても明白。


 相手が狩人ならばモンスターは無差別に殺しに掛かる。それが負の感情に満ちた魔力から生まれた存在が必ず抱える本能なのだが……。

 その敵意すら上回るとは、改めて彼女と自分との格の違いというものを思い知らされる。


(……すごく悔しいけど、この場で俺の出る幕はない)


 胸中に広がるのは、何もできない事に対する悔しい思いだった。

 大切な人を守りたい願望を強く抱いていても、その対象である聖女様の方が強い現実。


 自分では苦戦は免れない。だが彼女は一撃で戦いを終わらせる事ができる。

 仕方がない事だと分かってはいる。それでも悔しくて歯を食いしばり、無意識の内に拳を強く握り締めた。

 こんな姿を彼女の従者であるオリビアが見たら、きっと貴様は身の程知らずだと評するだろう。


 今自分にできる最善は出しゃばらず、後方で大人しく全てが終るまで待機している事。

 少しでも聖女様の邪魔になる可能性を考慮するのなら、本当は戦場に留まらない方が一番の選択。


 けれど彼女に全て任せて逃げることは、胸の内に秘める〈英雄願望〉が許さなかった。

 意地だけで俺は、この場に留まっている。例え一瞬で終わってしまう戦いにすらならない一方的な展開になると知っていても。


 せめて近くで見届けたい。聖女様を一人にしたくない。

 他者が聞いたら自己満足にしか聞えない、くだらない理由だけでこの場に立ち続けていた。

 聖女様の背中が遠い。手を伸ばせば届くはずなのに、遥か彼方にいると感じてしまう。すると、


「ソウスケ様は逃げないんですね。わたくし嬉しいです」


「──────────────────ッ」


 一瞬だけ聖女様は、こちらを振り返り心の底から嬉しそうに笑った。

 彼女の笑顔に、まるで稲妻のような衝撃が全身を駆け抜ける。周囲の時が止まったかのような感覚に陥る。

 脳裏に思い出したのはドウジンシの内容、誰が描いたのか偶々ピンチに陥った聖女様を自分が助ける英雄的なワンシーン。


 本当に自分は弱いからと言って、全てを強いからの一言で聖女様に任せて──いや、投げ出して良いのか?

 寂しさとか嬉しさとか、そんな複雑な感情が込められた少女のという言葉。

 目を閉じて、今ここで改めて自分自身に問いかける。問いかけなければいけない。


 ソウスケ・カムイ。


 オマエは本当に何もしないのかと。


 勝てないから。それが最善だからと言って。戦う事を放棄して背を向けて良いのか。

 逃げることは簡単だ。誰だって楽な方に流れるのは、何も考えなくて済むからだ。


 加えて相手はDランクモンスター、Eランクの双頭の魔獣〈オルトロス〉とは違う。

 Dランクを境目に敵の強さは変わる。中級狩人達が苦戦するのもソレが原因だと本で知っている。


 今回は今までとは違う、余りにも分が悪すぎる相手。大人しく聖女様に任せる方が、賢明だと判断するのが自然の流れ。

 でも自分の魂が叫んでいる。ここで前に出なければ、彼女の隣に並ぶ資格は無いと。


 リスクを避けるのは、一般的な狩人として身につけなければいけない常識だ。

 しかし安全な道ばかり選んでいては、この先に立ちはだかる困難を乗り越える事はできないのも道理。


 安全を第一に挑戦する事をしない道と、リスクを踏まえた上で敢えて挑戦する道を歩むか。

 自分の今の目標を思い出す。それは聖女様に相応しいランクにまで上り詰める事じゃないのか。


 目標は遥か彼方。この場合どう動くのが正解なのか、そんな事は考えるまでもなかった。

 逃げるな。目を背けるな。前に踏み出す力を得たのならば進んで、あの本に描かれていた夢のようなワンシーンを勝ち取れ。


 大きく深呼吸をして腹に力を込める。眦を吊り上げ戦意を前進に行き渡せる。そして強い一歩を踏み出した。

 ありったけの勇気を振り絞り、そのまま一歩ずつ進んで彼女の横を追い越して前に立つ。


「そ、ソウスケ様!?」


 驚いた聖女様の声が、背後から浴びせられる。

 俺は振り返らず、前を向いた状態で彼女の呼びかけに答えた。


「すみません。聖女様に任せるのが一番だと思うんですが、やっぱりコイツは俺に任せてくれませんか?」


「で、ですが相手はDランク、いくら限界突破をしていてもGランクのソウスケ様では……」


 聖女様が抱く不安は、全く持って正しいこの世界の一般論だった。

 Gランクごときが挑むなど無謀の極み、普通に戦えばどうなるかなんて結果は誰でも分かる。

 だけど譲る事はできない。特に聖女様の前でだけは絶対に引き下がりたくない。


「役不足なのは理解しています、勝てるかどうかは分かりません。それでもやりたいんです。──やらせてください!」


 いつか貴女の隣に相応しい男になりたいから。

 まだ伝える場面ではない。最後のセリフをグッと呑み込んで、剣を手に彼女に笑顔を向ける。


 聖女様は何か言いたそうな顔をするが、覚悟を尊重してくれたのか伸ばした手を自身の胸に抱いた。

 甘酸っぱい雰囲気に頬が緩みかけるのを、俺は引き締めて正面で待つ敵を見据える。


『うふふふふふ、気持ち悪いほどの〈英雄願望〉ね。だけどこれで彼女に手を出さないで済む。お礼に特別な戦場を貴方にプレゼントしてあげるわ、勇敢で無謀な器ちゃん』


 誰かの声が耳に届く。空耳かと思ったら聖女様との間に、突如見えない結界が発生した。

 これにはビックリして周囲を軽く見回す。結界は〈ラーヴァ・ベヒーモス〉と自分を取り囲むように展開していた。

 一目見ただけで、その結界に尋常ではない力が込められている事を理解する。


 恐らく結界を張ったのは、この戦場を作った犯人なのだろうか。

 結界の向こう側で聖女様が光魔法を発動し、破壊を試みるが結界には恐ろしいことに傷一つ無かった。

 先程の口ぶりから察するに、未だ敵が襲って来ないのも声の主が待つように指示を出していたのかも知れない。


 状況はいまいち掴めていないが、全ての目的は自分だったと考えるのが自然だろう。

 あの大量出現した〈デュラハン〉から察するに、第一エリアの件もコイツの仕業の可能性が高い。


 ……良いだろう。何が目的なのかは分からないが、周囲に被害が出ないのなら自分にとっては好都合。


 炎獣の身体からムダに放出されている、強い魔力を掌握して『黒衣』と『黒剣』を生成した。

 原理としては先程の〈デュラハン〉に対してやったのと同じ技。そこに制御されていない負の魔力があるのなら、俺は自分の力に変換することができる事を不幸中の幸いだが今回の一件で学ぶことができた。

 ただ魔力の総量が足らないので黒衣に関しては、上着だけしか生成できていないが。


 自分が前に出て以降、つまらなそうな顔をして待機していた炎獣は燃える剣を手に嬉しそうに笑みを刻む。

 気のせいかも知れないが、まるで一方的な戦いにならない事を喜んでいるような感じだった。


 待機命令が解除されたらしい炎獣は、手にした炎剣の素振りをして戦いを開始する準備運動をする。

 お互いに戦意は十分、黒剣を構えた俺は眼前にいる強敵に向かい合った。


「いくぞ〈ラーヴァ・ベヒーモス〉!」


『GUOOOOOOOOOOOOOOOOOOッ!』


 お互いの闘気がぶつかり合って、周囲の温度が急激に上昇していくのを感じる。

 張り詰めた空気の中、前景姿勢を取ると俺と炎獣は、ほぼ同時に地面を強く蹴って駆け出す。

 こうして戦いの火ぶたは切って落とされた。

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