第19話

 太陽が隠れて、天上を真っ暗な闇が黒く塗りつぶす。

 日輪の代わりに頂点に君臨するのは、見る者の心に平穏を与える月輪。


 日輪は闇を否定し、魔を押さえる役割を担い。

 月輪は闇を認め、魔を解き放つ役割を担う。

 陰と陽のバランスを保つのが、天に浮かぶ日月じつげつの存在意義。


 邪悪な空気の密度が増すことで、見張りをしている騎士達は警戒レベルを上げて。

 同時に国全体に張り巡らされている結界は、その強度を数段階ほど強化していく。


 窓ガラスの向こう側に見える街は、暗い闇に飲み込まれないように太陽の光を蓄積した魔石が明るく照らし。

 更に地面が淡い光を放つと、古に〈四大天使〉が構築した敵を寄せ付けない魔法陣が発動する。


 気が高ぶり大勢の狩人の気配に引き寄せられて、大量のモンスター達が牙と武器を手に接近してくるが。

 魔法陣の結界に触れた瞬間に、それらは全て跡形もなく消滅した。


「もうこんな時間か……」


 夕暮れから真っ暗に染まる天を見上げ、一日が経過する早さに溜息を吐く。

 本日の業務が終ったアスファエルは、夜勤担当の天使と受付を交代し大聖堂の二階にある食堂に足を運ぶ。


 天使の仕事は主に、担当狩人の活動のアドバイスと狩人達のリザルト処理。

 一人が抱える狩人の数は多くないが、一番大変なのは後者である。

 ソウスケとのやり取りを終えた後、かれこれ五時間はまともに休憩する事も出来ずに狩人達のリザルト処理を行っていた。


 そのせいで空腹感はあるけど、たまった疲れのせいか食欲は余りない。

 神の眷属である天使でも肉体の構造は狩人達と同じなので、長時間の休憩なし労働は疲労が溜まる。

 生理現象だってあるし、心もちゃんと宿っているので仕事後は過労で何もしたくない。

 だから食堂に着くとメニューを見て軽い食事を求めて、


 ……これなら食べられるか?


 と思った野菜多めのサンドイッチを、厨房にいる天使に頼んで受取った。

 トレーを片手にアスファエルは、お気に入りの中央エリアを見渡せる窓際の一席を陣取る。


 今の時刻は午後十八時、外は暗く国に戻って来た狩人達の対応数は爆増する。

 天使達にとっては正に、一日の中で最も戦場となる時間帯だった。


 きっと今頃一階の受付フロアでは、外から帰還した狩人達が長蛇の列を作っている。

 担当の天使達は、きっと涙目で対応に追われている事だろう。


 何故そうなるのか大きな理由を説明すると、モンスター達は夜になると強化されて強さが実質一つ上のランク相応になるから。

 それで狩人達はほとんどが、ギリギリ夜になる前に帰還する事を徹底している。


(……本当に、この世界の夜は恐ろしいからの)


 小さな口でサンドイッチを頬張りながら、壁の向こう側に広がっている広大な魔物達のテリトリーに目を向ける。

 全く底が見えない深淵に、光の存在であるアスファエルは身震いした。

 夜を甘く見た狩人の死亡数は、やはり昼間よりも圧倒的に多い。


 特にGからFに一つランクアップした多くの若輩が強くなったからと調子に乗って、第二エリアで死亡するか身体の一部を失って高い治療費をローンで払う事になる。

 つい最近ではとある下級ギルドの狩人達が、大人数なら第二エリアでも大丈夫だろうと慢心した。

 バカな事に夜狩りを決行し、翌日に全員行方不明になる事件が発生しているのだ。


 現場に大量の血痕が残っていた事から、モンスターに殺されて死体は食われたんだろうと調査は打ち切られたけど。

 なんで彼等がそんな無謀な事をしたのか、その理由は実に単純で分かりやすい。


 ──夜のモンスターは倒すと、経験値が通常よりも大量に獲得できるから。


 特にFに上がった下級狩人が直面する問題で、それはランクが上がる事によりレベルアップの必要経験値が増加する事にあった。

 中級か上級狩人達にキャリーされて第三エリア以上に行けるのなら、この問題は早くクリアする事が出来る。

 だけど中堅ギルドにすら入れなかった下級狩人達の集まりは、問題を長期間突破できなくて今回のようにやらかすのだ。


 ランクは百年間後の報酬に大きく関わるファクター。

 少しでも次の人生を有利にしようと、無茶をする者達は後を絶たない。


 そういえば報告の中では、下級狩人達の間で不穏なアイテムが流通しているらしい。

 内容はステータスを一時的に強化するかわりに、肉体に多大な負担と依存性を与える危険なドラッグポーション。


 回復系と違って身体強化系のポーションは、製法が難しくどれも必ず副作用が発生してしまう。

 数百年前には強力な依存性のせいで、複数のギルドが再起不能になったほど。それ以降、国は強化系ポーションは全面的に禁止している。


 既に調査は行われているのだが、販売している大元ほ巧妙に証拠を残さない狡賢ずるがしこい奴等らしく、騎士達も少々手を焼いている様子。


 ギルドに見かけたら拘束するように通達が出ているけど、まったくどの世界にも悪党というのは出てくるものだ。

 大抵そういう者達は上を目指す途中でを、口車に乗せて利用するのだから余計に質が悪い。


「はぁ……、ランクアップか……」


 上を目指すと考えて、脳裏に浮かんだのは少年の姿だった。

 つい先日覚醒を果たした事で、彼はレベルがGランクの限界値である100を越えて今まさに高みを目指し大きく羽ばたこうとしている。


 第一エリアですら、安全を第一に考えて活動していた少年の事だ。

 強くなるのに最も必要な力を得たとしても、無謀な行動はしないと信じたい所だけど。

 どうしても脳裏をチラつく、第二エリアでこれまで起きてきた数々の死亡事件。


(いかんいかん、つい悪い方向に思考が流されてしまうのじゃ)


 首をぶんぶん左右に振り、アスファエルは頭の中に思い浮かべた想像を払う。

 それから皿の上に残っていたサンドイッチを完食し、お茶で一気に流し込んだ。

 一息ついたら次に、風呂に入ってサッパリしようかと思い席から立ち上がると、


「ぬわ!?」


 いきなり背後から誰かが抱きついてきた。


「アスファちゃーん、疲れたから大浴場行こぉーぜ」


 気の抜けた甘い言葉が、耳元で囁かれて背筋がゾワッとした。

 覇気のない声だけでアスファエルは、背後にいる人物が何者なのか理解する。


 今日は同じシフトで、狩人達の事務対応を頑張っていた天使サルタエルだった。

 振り返った先には予想していた通り、金色のくせ毛でセミショートヘアの女性がいる。

 シスター衣装の胸元を大きくはだけているという、実にけしからん姿が目に留まり思わず眉間にしわを寄せた。


「ぬう、サルタエル。相変わらずオフになった時の堕落っぷりが酷いのじゃ……」


「えへへ、だってきちんとして働いた後に思いっきり脱ぐと解放感が凄いんだぜ?」


「誰も性癖を言えなんて一言も口にしてないんじゃが」


 呆れた顔をしながらアスファエルは、だらけきった同僚を振り払う。

 それから使用したトレーを返却口に置きに行った。


 ごちそうさまでした、と一言伝えた後にそのまま大浴場に向かって歩き出す。

 すると後ろからついてきたサルタエルが、鼻歌交じりに隣に並んできた。


「なんでついて来るのじゃ」


「たまには背中の流し合いっこしよーぜ」


「嫌なのじゃ、オマエに任せると変なところ触ってくるし……」


「えー、そんなぁー」


 きっぱりと断られた彼女は、露骨にガッカリして見せる。

 演技しているのは長い付き合いで分かっているので、そのまま無視して歩き続けていると、

 予想通りサルタエルは、次にはケロッとした顔で話題を変えてきた。


「そういえばアスファ、さっき四大天使のウリエル様から聞いたんだけど近頃モンスター達が異常な活動をしているらしいぞ」


「……モンスター達が異常な活動? ウリエル様から聞いたって、それ本当なのじゃ?」


「もちろん、本人に聞いた最新情報だぜ。明日には天使達に正式に話をする重大なお話を俺様は先に聞かせて貰ったんだぜ」


 四大天使のウリエルは、天使達を統括する上司の一人である。

 少しだけ興味を引かれると、サルタエルは更に上司から聞いた話を続けた。


「どうやらが、最近複数のエリアで確認されているらしいんだ」


「は……?」


 聞かされた話の内容に、アスファエルは驚いて足を止める。

 モンスターが集団で大移動をする原因は、この世界では一つしかないからだ。


「サルタエル、それはまさか……」


「ああ、単独活動が基本のモンスター達が集団でいる。この異常な事態が起きている原因はただ一つ、近い内にSSクラスの災厄級のモンスターが近隣のエリアに出現するかもって話だぜ」


 衝撃的な話の内容に、近くで聞いてしまった天使達も足を止めて彼女を凝視する。

 ニヤニヤと楽しそうに、周囲の視線を一身に浴びるサルタエルは最後にこう言った。


「近い内に始まるぞ──中級、上級狩人達によるフェスティバルが!」


 

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