第18話

 拝啓、父さん、母さん、兄弟達よ。

 この異世界で何度も窮地になった事がある俺ですが、今回のこれは神様からの報酬なんでしょうか……?


 どういうことなのか一言で説明すると、自分は今聖女様に膝枕をしてもらっている。

 テラスに案内される寸前で意識がプツンと無くなったのだが、気が付いた時にはこのような状態になっていた。


 慌てて起き上ろうとした自分は、聖女様に止められて強制的に寝かせられている。

 相手はSランク狩人。限界を突破したGランクであっても、ステータスの差は圧倒的。


 抵抗する事も出来ず、人形のように細い膝の上に頭を寝かせる形となっていた。

 顔の右側面が感じるのは、国で一番美人だと言われている少女の温かい体温。

 それと宿の硬い枕とは比較にならない、間違いなく世界で一番の寝心地。


 彼女が漂わせている花のような匂いに包まれて、気を抜くと直ぐに眠ってしまいそうだった。

 きっと天国とは、この事を指すのだろう。今なら永眠しても死神に文句は言わない。


 この城に到着してからずっと高鳴っていた心臓は、聖女様のやさしさに包まれる事で緊張感と共に静まっていく。

 頭を撫でる優しい手の感触に、年下である彼女に強い母性を感じてしまう程だった。

 前世では専門外だったがなるほど、これがバブみというやつなのか。


 ……聖女様の癒し! なんたる包容力ぅ!


 本能が戻れと言っている気がするが、もう少し進む事で新しい扉が開きそうな気がする。

 そういった状況下、彼女の放つ光がすっと身体の中に浸透するように入ってきた。

 内側に蓄積した負の魔力が、聖女様の力に触れて霧散していく。


「良かった……かなり汚染が深かったので、ちゃんと浄化できるか焦りました……」


「……お、お手数をおかけしてスミマセン」


 ホッと胸を撫で下ろす聖女様に、正気に戻った俺は心の底から申し訳ない気持ちになった。

 どうやら今回レベリングを頑張り過ぎたせいで、負の魔力を大量に溜め込んでしまっていたらしい。

 だから彼女は気を失った自分を寝かせ、このように膝枕をした状態で浄化をする事にしたのだ。


 聖女様に迷惑をかけるなんて、穴があったら入りたい。

 どんより暗い気持に陥っていると、頭の天辺から足のつま先まで聖女様の慈愛が全身を満たしていく。


 邪心の無い『純真な心』を直に感じることで、俺は彼女が能力や見た目だけではなく根底から『聖女』に相応しい存在なんだと改めて認識させられる。気が付けば身体の力を完全に抜いて、まるで前世の実家にいるように手足を伸ばしていた

 異性を相手に、ここまでリラックスしたのは初めてかも知れない。

 アスファエルと一緒にいる時ですら、未だに緊張して少々落ち着かない状態になるのに。


 だけどこれで〈極光の王〉から課せられている日課は終わり。

 名残惜しいけど後は起き上がって聖女様とお茶をした後に、酒場で夕食を済ませて誰もいないボロ宿に帰らないといけない。

 そう考えていたのだが、ここで一つ自分にとって誤算が生じた。


(……あれ? 起き上がれないぞ?)


 浄化が終ったら、膝枕からあっさり解放されると思っていた。

 だが予想に反して身体を起こそうとすると、彼女が両手で頭を膝に固定して全く動かせない事態となった。

 これは一体どういう事なのだろう。まさかまだ何か問題が残っている?


「せ、聖女様……?」


「すみません。もう少しだけ、このままでいさせてください」


「物凄い殺気が向けられているんですが……」


 この状況で、ずっと自分を睨んでいる存在がいた。

 まるで刃のように研ぎ澄まされた殺意。下手な行為をしたら即座に八つ裂きにされそうなこの感覚は一人しかいない。

 間違いなく、俺の事を心底嫌っているメイドのオリビアだ。


 他の者達は少し距離を取って、仕事をしながら此方を見てソワソワしていた。

 ネコミミとモフモフシッポを生やした、獣人族の美少女メイド達は集まると小声で、


「あんなに積極的な姫様は、初めてみるにゃん!」


「初々しいにゃん! 胸がキュンキュンするにゃん!」


「この目で姫様が男性に膝枕をするのを拝めるなんて、夢のようだにゃん!」


「くそっ……じれったいにゃん! ちょっとやらしい雰囲気にしてくるにゃん!!」


「「「──おい、オマエはなんでメイド長の逆鱗に触れる発言をするんだにゃん!?」」」


 何やらコントのような事をした後、彼女達の内一人はオリビアの放った黒い雷に焼かれ「にゃああああああああ!!」と悲鳴を上げて地面に転がる。

 駆けつけた同じ顔をしたメイド達が、黒焦げになった彼女達を慣れた様子でタンカーで運ぶ。

 実に恐ろしい光景を眺めていたら、自分の頭を撫でながら聖女様がくすりと笑った。


「ふふふ、いつもあんな感じなんです」


「……なんていうか、とても怖……ユニークな方々ですね」


「ええ、とても優しくて楽しい姉達ですよ」


「はぁ……まったく。アレでも偉大な王から生まれた眷属なんですから、彼女達にも少しは自覚と気品というモノを身に着けて欲しいのですが……」


 先程の殺意はすっかり消えて、呆れた様子のオリビアの苦言が耳に届く。

 どうやら今の騒ぎで、此方に対する注意は薄れたらしい。

 彼女の鋭い視線は、離れた場所から自分達を見ているメイド達に注がれる。

 何かこそこそ話をしているメイド達のグループが、他にも何組か出てくるとオリビアは大きな溜息を吐いた。


「お嬢様、申し訳ございません。少し教育指導をしてきます」


「はい、ちゃんと手加減してあげて下さいね」


「本気を出した所で彼女達が死ぬかは大いに疑問ですが、お嬢様のお言葉です。先程と同じように雷で肌をこんがり焼く程度で済ませましょう」


 オリビアはそう言って前に歩み出ると、この場から一瞬にして消えた。

 同時にメイド達が「逃げるにゃーっ」と叫びながら一目散に散り、庭園は一瞬にして『地獄の鬼ごっこ』のフィールドと化す。


 なんて恐ろしい教育指導、並みの狩人の『強靭値』だったら確実に死ぬ光景だ……。

 内心ドン引きしながら素早い身のこなしで雷を避けるメイド達を、俺は聖女様に膝枕されて眺めるという不思議な状況となった。


 この現状は一般的なラブコメとは、どう考えても乖離し過ぎている。

 何なのだこれは、一体どうしたら良いのだ。それとも考えてはいけない事なのか。

 沢山の悲鳴が聞こえるシュールな状況を理解できなくて、ただひたずら困惑していると聖女様の指先が自分の額にそっと触れた。


「本当に優しい姉達です。オリビアの厳しい目から貴方を守る為に、わざとあのように全員で挑発したのですから」


「……そ、そうだったんですね。自分の為に……それは大変申し訳ないです」


「お気になさらないでください。それにこう言っては何ですが、彼女達は毎日ふざけてオリビアにお仕置きされていますから雷を受けるのは慣れています。最近は良く分からないのですが、クセになってきてるそうですよ」


「それはもはや末期なのでは?」


 目でとらえる事ができない速度で逃げ回るメイド達の悲鳴は、確かにあの危機的状況をどこか楽しんでいるようにも聞こえる。

 でも手加減しているとはいえ、皮膚が黒焦げはどう考えても重傷レベル。

 じっと観察すると、彼女達は雷が被弾してもすぐに再生しているのが分かった。


 最初の犠牲者もタンカーで片隅に運ばれただけで、直ぐに何事も無かったかのように起き上がっている。

 何たるバカげた回復力。しかもアレを楽しそうに避けるなんて、上級狩人達は常識外すぎる……。


 しばらく眺めた後に、この件に関して俺は深く考えるのを止めた。

 それよりも大事なことを、今は彼女に伝えないといけなかったから。


 でもムードもクソも、あったもんじゃない。こんなギャグコメみたいな状況下で、感謝の気持ちを伝えて良いのだろうか?

 数分くらい悩んでいたら、メイド達は俺の雰囲気から何か察したらしい。

 オリビアを引き連れて、全員この場から離れた。


 ほんと、気遣いの化身みたいな姉達だった。

 彼女達が居なくなることで、先程まで大騒ぎだった周囲がシーンと静まり返る。

 二人っきりになる事で今度は、彼女と俺の周囲に甘酸っぱい空気が満たしていく。

 聖女様もそれに気づいたらしい。緊張した様子で、恥ずかしそうに視線を明後日の方角に向ける。

 伝えるなら今だと、覚悟を決めた俺は口を開いた。


「……聖女様」


「は、はい! なんでしょうか!」 


「あの……その……いつも手紙と菓子を、ありがとうございました。……この数か月、辛いことがあっても乗り越えられたのは……聖女様のおかげです」


「……っ」


 辿々しいけど、ようやく直に伝えられた感謝の言葉。

 これは半年もの間、ずっと言おうと思っていた正直な思い。


 何せ俺は周りから〈スキルゼロ〉と呼ばれて、同じ下級狩人達からは道を歩けば鼻で笑われるような存在だった。

 正直に言って、くじけそうになった事は何度もあった。この努力は前世と同じように実を結ばないんじゃないかと思った。

 そんな時は必ず応援する言葉をつづった手紙を、何度も読んで気持ちを奮い立たせていた。

 

 応援する言葉というのは、どんな形であれ嬉しいものだ。

 百の罵倒を浴びせられたとしても、心の底から応援してくれる人達がいたら立ち上がる事が出来る。

 俺が諦めずにこれまでやって来れたのは、間違いなく彼女の応援が大きかった。それは手紙ではなく声に出して直接伝えたかった。

 聖女様も最初の歪だった菓子のクオリティが次第に上達していき、バリエーションも徐々に増えていった。

 貰う度に送り主の頑張りが伝わり、自分も頑張らなければいけないと強く思った。


 毎日のモチベーションは、送り主の分からない手紙と菓子の二つだったのだ。

 この半年間、アスファエルやエステルにも沢山助けられた。

 だけど何よりも聖女様の優しい手紙と菓子は、傷ついた自分の心を甘く癒してくれた。


 ……ああ、やっと言えた。


 恩人に感謝を伝える事ができて、肩に入れていた余分な力が抜ける。

 もう満足だ。アニメならばエンドロールが始まって真っ白になり、燃えつきた自分を看取る感じで終るだろう。

 目を閉じて彼女の膝枕に身を委ねていると、いきなり横を向いていた顔を上に向けさせられる。

 しっかり固定されると聖女様と目が合った。真紅に輝く瞳は潤んでいて、今にも泣きそうな感じだった。

 乙女心の分からない俺は、彼女の顔を見てギョッとしてしまった。


 え、もしかして傷つけるようなこと言った?

 このような場合はどうしたら良いのか分からなくて、見つめ合った状態で固まってしまう。

 聖女様の真っ白な頬は瞳と同じように赤く染まり、ピンク色の小ぶりの唇から甘い吐息がもれる。

 数秒間見つめ合うと、彼女は徐々に顔を近づけてきた。


 え? ちょっと聖女様なにを……?


 誰も振れてはならない不可侵の唇が、額にゆっくり押し付けられる。

 身体の全感覚が額に集中する。周りの音が完全に消えて頭の中が真白になる。

 一秒が永遠の様に感じられるような二人だけの世界で、聖女様は離れて恥ずかしそうに笑った。


「オリビアには、内緒ですよ」


 ──我が生涯に一片の悔いなし。


 余りにも尊みが過ぎるその姿に、自分はキュン死した。

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