第9話
「……んん、ここは?」
目を覚ますと、そこは貧相な自室ではなかった。
白を基調とした清潔さをメインとする小さな一室。
あるのは自分が寝ているベッドだけで、他に設置されている家具は何もない。
正に寝起きしかする事のないこの部屋は、過去に何度か利用した記憶がある。
たしか大聖堂にある、怪我人を治療する為の個室だ。
どうしてこんな場所で、寝ているのだろう。
上半身を起こしてみると、全身に凄まじい激痛が走り顔が苦痛に歪んだ。
「……えっと、確かいつも通りノルマをこなそうと狩りに出かけて。そこから何故か〈デュラハン〉に遭遇して……ってなんだこれ?」
傷みに耐えながら一つ一つ確認していたら、枕元に一通の手紙を発見する。
中身を確認してみたら、そこには『助けてくれてありがとうございました。妖精のリリスより』と記載されていた。
妖精、妖精ってまさか───ッ!?
稲妻のような衝撃と共に全てを思い出した俺は、先ず助けた彼女が無事だった事に頬を緩めた。
そっかあの子は無事だったのか、それは本当に良かった。
そして彼女の事が夢では無かったという事は、同時に第二エリアのモンスターですら一度も倒した事が無い自分が、Eランクの格上モンスターを自身の力だけで討伐した事が夢ではなかった証拠でもある。
傷一つない両手を見下ろし「やったんだ……」と心の底から歓喜に震えた。
胸の内側を満たすのは、この半年間で一度も味わった事のない大きな達成感。
言葉にならない感動に、両目から薄っすらと涙が浮かんでくる。
男なのに泣くなんて誰かが来たら恥ずかしい姿だけど、今は羞恥心よりも喜びの方が勝っていた。
それに仲間のいない自分のお見舞いにやって来るのは、半年前から気にかけてくれている天使のアスファエルくらいである。
だから我慢せずに嬉し泣きしていると、不意に部屋に一つしかない扉が音を立てて開いた。
「ちょ──、流石に入る時はノックして欲しいなぁ!」
ビックリして、慌てて涙を拭って姿勢を正した。
気持ちとしてはエロ本を読んでいる最中に、母親が部屋に入って来たような気まずい気分だった。
病室に入って来た人物に視線を向ける。
中に入って来たのは良く見知った金髪の優しい天使ではなく、黒いローブを纏った不審な人物だった。
顔はフードを目深まで被っているので、性別は全く分からない。
え……いや、本当に誰だ。
警戒心を抱いて身構える。黒いローブの不審者は、俺が見ている目の前で徐に黒いローブに手を掛け地面に脱ぎ捨てた。
不審者の正体は白と赤を基調とした法衣を身に纏う、美しい──白髪の少女だった。
身長は百六十センチくらい。誰が見ても全てが完璧に整った容姿をしており、まるで女神が現れたかのようだ。
清楚という言葉がぴったりな彼女は、真紅のつぶらな瞳で俺の顔をじっと見つめる。
「せ、聖女様……なんでこんな所に?」
口にしたのは、彼女が有する最も有名な二つ名。
最強のギルドリーダー〈閃光〉の一人娘で、サンクチュアリ国で最も美しい国宝とも言われている人物。
名は──アウラ・オレオール。
年齢は今年で十八歳、種族は人族と妖精族の間に産まれた『混血族』。
産まれた時からAランク以上の能力を持ち、現在はSランクに至っている最強の一人。
正に転生者とは住む世界が違う、雲の上のような存在だった。
そんな彼女が何故正体を隠して、こんな最底辺狩人の病室に現れたのか?
まさか入る部屋を間違えたとか、そんな凡ミス?
普段はお城の中にメイド達と引きこもり一般狩人との交流を一切持たない箱入りお嬢様が、こんな場所に足を運ぶのは考え難かった。
もしかしたら、ここはまだ夢の中なのかもしれない。
だから右手で力を込めて、右頬を強く引っ張ってみると──メチャクチャ痛かった。
「がは……っ! ゆ、夢じゃない……って事は、目の前にいるのは」
「……よかったです」
「よか……、は?」
「貴方が無事でよかったです」
どこか安心したような声で、聖女様は近くまで歩み寄って来る。
そしてベッドの側で立ち止まった彼女は、そっと細い両手を伸ばしてきた。
聖女様が接近して来たことに身構えてしまうと、彼女の伸ばした手が頭の後ろの方に回り、
ギュッと、そのまま胸に力強く抱き寄せられた。
「──────ッ」
上質な布越しに感じるのは、大き過ぎず小さ過ぎない理想郷のような居心地。
初めて異性に触れられた上に、更に抱き締められるという想定外の出来事。
直面した自分の思考は、押し寄せる情報過多によって完全にフリーズした。
なにこれ、どういう状況なんだ?
初対面の上流階級のお嬢様からいきなり抱き締められる理由なんて、生きる事に必死だったこの半年間の中で心当たりは全くない。
担当天使のアスファエルが半年間、女性免疫力を付けるためと言って色々と特訓をしてくれなかったら気を失っていただろう。
取りあえず混乱しながらも、誰か説明してくれと思いながら周囲を見回す。
すると扉の付近に先程はいなかった、専属メイドっぽい美しい少女が控えている事に気が付く。
見た目の年齢は十代後半、高くても二十代前半くらい。
同じ人族な上に黒髪の彼女は、日本人の自分にとって親近感が湧く容姿だった。
少女は助けを求める視線に気づくと、その整った顔に不気味な笑みを浮かべた。
「カムイ様、大人しくして下さい。少しでも拒絶したら殺します。それと変な気を起こしても殺しますので、そのまま指を一本も動かさずに呼吸もしないようにお願いします」
ひえええええええええええええええええええええええ。
呼吸もしたらいけないんですか。
綺麗な花には棘があると言うが、そんな生易しいレベルではない。
暗い感情が垣間見える笑顔は、口にした言葉が冗談じゃない事を
美人メイドに殺害予告をされた俺は、ただ言われた通りに無機物な抱き枕のようになり、聖女様に身を委ねる事しか出来なくなった。
恐怖心に震えながら、聖女様の心音と小さな息遣いにドキドキする。
何やら温かいモノが流れ込んで来る感覚に、恐怖心とか今までため込んでいた色々な負の感情が薄れていく。
これが聖女様の母性というやつなのか、気が付くと全身の力を抜き子供の用に身を委ねていた。
でも「ママー」なんて口にしたら、その瞬間にメイドの手によって首が飛びそうなので我慢する。
数分間ほど無言で抱き締めていた彼女は満足したらしく、ゆっくり離れると間近で視線が合った。
一瞬にして顔が耳まで赤くなると聖女様は、脱兎の如くメイドの後ろに隠れてしまった。
「……オリビア! 初めて、あの方に触れちゃいました!」
「ファーストコンタクトとしては、いささか行きすぎ感がありましたけどお見事です。グレンツェン様にはちゃんと、お嬢様が立派に役目を果たした事を伝えておきましょう」
「は? や、役目って?」
唐突な二人の会話に、全くついていけなくて困惑する。
役目とは一体なんぞや、それにグレンツェン様って〈極光の王〉の名前……。
オリビアと呼ばれたメイドは、首を傾げる俺に冷たい視線を向けて、
「まだ自分の状況が分からないとは、これだから下位の狩人は嫌いなんです。お嬢様が浄化のスキルを使用しなければ、己の力によって汚染が進み怪物になっていたというのに」
「……汚染で、自分が怪物に?」
「言葉で説明するよりも、先ずはこれを見なさい」
彼女はそう言った後に、俺が下半身にかぶっていた掛け布団を掴んで一気に剥がす。
ベッドの上には半袖のシャツに短パンという、実にラフな自分の格好がさらけ出された。
「は……? なにこれ?」
自分の身体を見ると言葉を失った。
露出しているつま先から膝に掛けて、何やら見たことが無い〝黒い紋様〟みたいなモノがある。
その紋様は目の前で純白に変色すると、光の粒子となって消えた。
説明を求めて彼女達を見たら、オリビアが小さな溜め息を吐いた。
「この世界には〈負の魔力〉が満ちている、だから狩人は干渉を受けないように肉体に厳重なプロテクトを施されています。その事は貴方も知っていますよね?」
「なんでそんな当たり前の話を……って、まさか」
「そのまさかです。貴方が目覚めた力は、その〈負の魔力〉に干渉して操り自らの〈装備〉とするのです。……ですが干渉する際にプロテクトが解除されるので、多用し過ぎると汚染されてモンスター化する大きなデメリットがあります」
「そ、そんな欠陥があるのか。……という事は、さっき聖女様が抱き締めてきたのは」
「貴方の中に蓄積されていた負の魔力を、お嬢様が〈浄化〉で打ち消していたんです」
なるほど、そういうことだったのか。
通りで初対面のはずなのに、彼女がいきなり抱き締めてきたわけだ。
今のところ浄化を使用できる神聖魔法は、〈聖母〉マリアンと〈聖女〉アウラしか使い手がいない激レアスキルだ。
図書館で公開しているスキル図鑑には、あらゆる状態異常を打ち消して正常に戻す魔法だと記載されている。
つまり先程のハグは、自分に対する恋愛感情ではなく治療が目的だったのだ。
真実を知った俺は、顔には出さずにガッカリした。しかし、いつまでも落ち込んではいられない。
気を取り直すとオリビアに向き直った。アスファエルから女性に慣れる為の特訓を受けている俺は、目を合わせなければ多少は会話できる。
「この力について、どうしてそんなに詳しいんですか? 自分だって目覚めたばかりで、どんな能力なのかも分かっていないのに」
「数万年前の神話時代にも同じ力の持ち主がパーティーメンバーにいた事を、オレオールの始祖〈極光の王〉グレンツェン様から直に聞いたからですよ」
「なんだって……?」
彼女の口から出た言葉の内容は、余りにも衝撃的過ぎるモノだった。
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