第48話 ウェストフラムの町で
町に入ると音楽が流れていた。
道淵で薄衣を纏った女性がたおやかにハープを奏でている。心をそっと優しく包み込むメロディにこれまでの旅路で背負ってきた気持ちが解けた。辛いこと悲しかったこと、尖っていた気持ちがゆっくり丸めこまれていく。
ハープのそばで妙齢の華奢な女性が長い手足を伸ばし優雅に舞っているが、きっと彼女の姿はセラにしか見えていない。彼女もまた精霊だ。
彼女のような精霊の姿は町のいたるところに散見される。
大道芸人を真似てその隣で逆立ちする精霊や子供たちの後を追いかけて最後尾を走る幼い精霊、屋根の棟で昼寝しているマイペースな精霊もいる。あまりに自然で感覚に優れたセラですら見分けるのは容易でないが、それほどに彼らはこの物語的な景観に溶け込んでいた。決して活気がある訳ではないが、うら寂しくない。この国の姿は
それにしても、と視線を巡らせた。町角に花屋の多さが目立つ。近場の店で男性客がこんもりと盛られたシュクルの花を買い求めているが、ずいぶん色に迷っているようだ。店は繁盛しているらしく品ぞろえもいい。ようやく手に取り一つ決めて、男性客は代金を払い駆けていく。愛する女性がいるか、きっと目的の場所があるのだろう。
「お兄さん」
声をかけられ振り向くとおさげの少女が花かごを手にして立っていた。
「一ついらない? 百ディルなの」
そういって差し出したのはマメ科に似ている名前も知らない大ぶりの黄色い花だった。
「旅人なんだ」
飾る場所などないと伝えたつもりだったが、少女は微笑む。
「王様に謁見されるでしょう。花が必要なのよ」
「花が必要?」
王への謁見に、と聞き返すと少女は丁寧に説明してくれた。
「精霊である王妃様は花が大変お好きなの。それで国王様に謁見する際は王妃様に一輪の花を贈るようにって、王様がお決めになったの」
口をぽかりと明けて唖然とする。耽美じゃないか、王は愛に傾倒しているのかとその善行を疑ったが、余計な詮索はせずに彼女から事情を聴いた。
「市民にも謁見が許されるのか」
「毎日されているわ」
通りすがりの客が慣れたようにディルを渡し、かごから一輪貰っていく。種類までは選んでいない様子だった。少女がありがとうと見送る。先程の客と同じ方角へ行ったから、彼もまた謁見に向かうのだろう。
「花を渡せばゆきずりのものでも会って下さるのか」
「この国を訪れる人は多いわ」
少女が是と微笑んだためセラは少女から花を買い求めた。
一輪の花を手にして、物思いにふけりながら町を歩く。
長閑な町の様子を見ても貧困や犯罪など裏悲しいものからは程遠く、どうやら耽美に溺れ施政が滞っているわけではなさそうだ。もしかしたら王の愛は耽美などという下賤な言葉ではいい表せない種のものかもしれない。
世界を探せば謁見のために国民に高価な献上品を求める国王もいると聞く。だが、この国の王が求めるのは愛する女性の為の一輪の花のみ。国民に多大な代償を求めてはいないのだ。
それはおそらく王がそれほどに精霊である王妃を深く愛し、その愛を以って国民をも愛しているからだろう。
何と心を打つ慈愛の体現なのか。
人と精霊、二種族が手を取り合い暮らすことの行きつく先がこのような国であればいいとセラは思う。二種族の間には明確な線引きがなく、誰もが心豊かに暮らしている。木漏れ陽のような柔らかな幸せを人と双方が享受しているのだ。
そうした景色は一環して優しい。町角には露店もいくつかあるが商売に躍起になるものなどなく、流れゆく時間をあるがままに楽しんでいる。
これまで訪れたどんな町よりも好きな景色だ。セラは心からそう感じていた。
(見返りのない愛があるからなんだろうな)
咲きこぼれる人々の笑顔を見てふと思った。
愛とは赦すことと船舶で読んだ恋愛小説に著してあった。正直、今のセラにその言葉の重みは分からない。
だが、人と精霊が赦し合った国が確かにここに存在している。垣根を越えて赦し合ったものたちの作る国の未来はきっと明るく晴れやかなものだろう。富んで栄えるばかりが国ではないのだと思う。精神を満たされるということがいかに重要であるか。
水彩画のごとく淡く輝く美しい町並みを見てそんなことをふと思った。
城は国の中心部にあった。その壮麗な姿は山の頂からでも遠く拝見出来たが、近づいてみるといかに美しい建築物であるかが分かる。余計なものを突破らった円柱のデザインは目が覚めるほどに壮麗で、陶器のように真白い壁と漆黒のとんがり帽子のような尖頭には気品がある。一番高い尖塔には深紅の国旗が大きくはためいて、それを眺めた先に巨大な虹が輝いていた。
虹は普通、雨上がりの空にかかると知っている。だが、山を越えてきた二日間、この地域に雨は降っていなかった。
城門前には長蛇の列があった。簡素な服を着た庶民たちがそれぞれ大小の花束を手に、心躍る様子で並んでいる。王と会うのに皆普段着だというのだから驚いた。世界には王と会うためにドレスを新調する国さえあるのに。そんなことを考慮すればこの国の王がいかに気安く親しまれているかが分かる。
並んでいると面会を終えた赤子を抱いた男女が列の横を通り過ぎていった。朗らかな笑顔を交わしながら幸せそうに歩いている。生まれたばかりの子を王に見せに来たに違いない。有難い名など貰ったのだろうか。
少しすると今度は若い女性が通り過ぎていった。要件は推測出来なかったが飛び跳ねるように歩いて一人で破顔していた。
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