第49話 謁見
一時間待ちようやく城内に通された。衛兵に案内されながら廊下を歩く。
古く美しい石壁の城内はこんもりと花で埋め尽くされ、香水を振りまいたように高貴な香りが漂っていた。壺や鎧のような調度品も全く無いわけではないのだが、それ以上に壁際の花が賑わっている。
ベージュのエプロンをつけた召使いが何人も連なりせっせと盆に山盛りの花を運んでいて、廊下ですれ違うたびに色鮮やかな花弁が視線をくぎ付けにした。
高い天井には明かり取りの小窓がいくつかあり、御来光のように床に注いでいる。雰囲気を配慮して敷かれた落ち着いた柘榴色の絨毯はとても品があり、王室の趣味のよさを感じさせた。
玉座の間にたどり着くと王と王妃が遠くに見えた。衛兵が開け放しの扉の両側にも二人いたが、特に厳重に警戒しているという様子ではなく、あとは王と王妃の側に分かれて傍仕えが一人ずついるだけ。警備の緩さがこの国の治安を如実に表していると思えた。
セラは二人の前へ着くと跪いた。すると王が慌てて立ち上がった。
「そのようなことをする必要性はないよ。立ち上がって」
人好きのする柔らかい声に顔を上げる。王は髭を蓄えた恰幅のいい、赤毛の男性であった。
セラが立ち上がり礼をして視線が合ったのを感じると王はホッとした様子で笑った。
「国民に平伏は求めていないんだ。王妃が嫌うから」
そういうと隣に座る王妃に恵愛を注いだ。
隣を見て息を飲む。透けるように綺麗な乳白色の肌と豪華な絹をも素朴な物と感じさせるほどの美貌の目鼻立ちの女性がいた。大きな一粒パールで纏め上げた淡黄の髪が背を伝い、腰元にまでするりとなだらかに流れ落ちている。
王妃は豪華な椅子の上に斜めに腰かけてシュクルの花のように微笑んでいた。
「要件を聞こうか」
王が優しく声を滑らせた。隣の王妃も好意的に望んでくれている。
「王妃様に御相談……したいことがあって参りました」
あまりの美しさに呆気に取られていたが、言葉をようやく取り戻し、セラは手の中の花を献上した。
「まあ、レフランの花。もう咲いているのね」
そういうと花の香りを愛おしげに嗅いで傍仕えへ「これも」と渡した。
「王妃に用とは。まさか求婚ではあるまいな」
王が玉座に肘をついて複雑な表情を見せる。そういう身の程知らずがやってくるのか、と笑いたくなったが自身は決してそういう用ではない。
前置きも無しに問うては失礼ではないか、と考えながらも上手い表現を見つけられず要件を伝えた。
「王妃様は精霊だと伺いました」
二人が少し驚いたような表情を見せる。やはりこんな無礼をいきなり切り出すものはいないのだろう。だが、それでもセラにとって問わねばならないことだった。
「いかにも。わたしは虹の精霊イーリスです」
雄大な笑みで頷く。その笑顔にこの国の上空を思い出した。おそらく国を守るように張り出した美しい虹はきっとこの美しき御仁の加護によるものに違いない。
彼女ならば、とセラは覚悟を決め服に手をかけた。
「イーリス様、国王様。どうか御無礼をお許しください」
そういって上着をスッと脱いだ。二人は戸惑った様子を見せたが、セラの半身にのたうつ文様を見てさらに驚いた。
「わたしは罪深きことに精霊を殺めました。それはその時に出来た文様です。遺恨の類だと思いますが知識なきわたしには分かりません。この文様を取り去る英知をお授け下さいませんでしょうか」
イーリスは何もいわず整った顔立ちで穏やかに見つめていたが何かを考え込んだ後、傍仕えを呼んでそっと耳打ちをした。傍仕えは聞こえぬ位の声で返事をし、いそいそと奥室へ引いた。そのやりとりの後、イーリスは玉座からふわりと立ち上がり、セラの眼前まで歩いてきた。薄衣がふわりと舞って静まる。
優しく微笑み、穏やかにこれまでの辛かったことすべてを受け止めるような器でセラの手を包むとそっと告げた。
「ご安心なさい。それは遺恨ではないのです」
イーリスがゆっくりと話を聞きたいと望んでくれたため、セラはそれに応じた。イーリスは王に謁見の職務を任せ、セラを王宮の庭へと誘った。
城の吹き抜けにある小さな庭は豊かな光彩に彩られ、緑の草花の絨毯が敷かれていた。今は丁度開花の季節で豪奢な花がそこら中で香り立っている。これまでセラは花についてほとんど感銘することが無かった。でも、この時ばかりはとても美しいと思った。輿入れした時に王が贈ってくれたとても心休まる場所だという。
傍仕えのような華やかな花の精霊もたくさんいるが皆、優雅で大人びていた。突然現れたセラを客人として受け入れ、優しい眼差しを送っている。素朴な町中のものとはずいぶん雰囲気が違っていた。
イーリスが緑の絨毯の上に座り、セラも促されて正面に座った。召使が頃合いを見て盆にのせたティーカップを運んできて傍に置いた。仄かに花の香りがしている。
彼女が遠くに下がるとイーリスは話を始めた。
「それは聖痕です」
「聖痕?」
聞いたことのない言葉だった。
「精霊と人間の混血児にそういう文様が現れるのです」
手招きすると傍に控えていた小さな少女が歩み寄った。
「娘です」
娘と紹介された彼女の緑の瞳や亜麻色の髪はイーリスより少し暗いだろうか、だがしなやかな質は良く似ている。大人しく十歳前後に見えて、可憐なドレスを纏った踊り出しそうな長い手脚の王女だった。
イーリスはごめんなさいね、と告げると王女の腕を優しく引き寄せて、絹の袖をそっと肩にまで捲り上げた。セラはさすがに拝見していいものかと迷ったが、王女は恥ずかしがることなく見せてくれた。
ここ、と示された肩の部分に小さな文様がある。まるで蔦にも見えたし花にも見えた。そしてそれはこれまでどの文献で見たものよりもセラのものと酷似していた。
「この子はわたしと王の間に生まれた子です。生まれた時にはなかった物ですが、日を追うごとに少しずつ体に現れ始めました」
精霊と人間の混血児、という言葉が心の奥で揺れている。これまでに味わったことのない感情だった。焦る必要は一つもないのだ。なのにまるで水に沈められるような恐怖が身をすくませる。怯えた心が自身はもしかして、と恐ろしき可能性を描こうとしている。
「人……なのですよね」
「……」
「違うのですか」
焦り問いかけると王妃は穏やかに微笑んだ。
「あなたは人ではありません」
宣告された。精霊が見えた理由、自身は人でなかった。
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