第30話 ムルティカ島
トニヤは次の日から懸命に働いた。
興味の無かった魚の名前も積極的に覚えたし、ジャンクに師事して船仕事も覚えた。
以前はよく理解していなかった決まり切った動作、それらにすべて意味があることにも気付いた。そうして忙しく日々は過ぎ、セレス号はいよいよノーザンピークとドムドーラの真ん中の海域へと入った。
「ムルティカに寄港してクルタス神を拝む」
ディードが皆の前でそう宣言した。端々で「ついに来たか」と呟く声が聞こえた。
「クルタス神」
トニヤは呟いた。ルウが親切に教えてくれる。
「トニヤ知らないのか。この精霊の大地を作った神様のことだよ」
「知らない」
「クルタス神が大地に精霊の命を播いてそれが北の地で芽吹いた。それが精霊王となり精霊王の血が星を巡って……まあ、とにかく精霊を作り出した偉大な神様のことさ」
「へえええ」
「この少し先の海域では時々船が消えるんだ。原因は分からないけれどおそらく精霊の力によるものなんじゃないかっていわれている」
「だから、クルタス神を拝んで精霊が船に悪させぬように祈る」
ディードが力強く言った。
「安全な航海が出来るようお前たちも祈れ。間違っても加護を疑うんじゃないぞ」
「船長はムルティカの出身なんだ。だから信心深いんだよ」
ルウがこっそりと耳打ちするのでトニヤは「なるほど」と頷いた。
ムルティカへと上陸したトニヤはルウとともに長い市場を歩いた。
色とりどりの民芸品に目を奪われて再々足を止めた。ある店では店主の腕に客寄せの子猿が巻きついていて、ある店では色鮮やかなトカゲがケージに入って高値で売られていて、ある店では豪快に焼かれた豚の半身が足を縛られロープで吊るされている。これまで見てきたどの島よりも個性的で、情緒にあふれ、味と香りに満ちて。心を躍らせてルウとはしゃぎながら物見遊山した。
「お兄さんたち」
呼び止められて立ち止るとアクセサリー店の女性店主が声をかけてきた。
「お兄さんたち船乗りだろう。セイレーンの伝説は知っているかい」
「セイレーン」
トニヤは聞き返した。
「海の魔物さ。この海域の船の遭難はセイレーンが関わってるって噂なんだ」
ルウがしたり顔で教えてくれた。
「このネックレスはセイレーンの邪気を払う特別な力を持った石だ。これを持ってクルタス神を拝礼するといい。きっとクルタス神がお守り下さる」
女性がそういって二人の前に突き出したのは紺碧の小さな石が先端についたネックレスだった。
「いくらなの」
ルウが問うた。
「一つ二千五百ディルのところ二人で三千ディルにオマケするよ」
三食食べられるほどの値段だがこれで安全が買えるのなら安い。結局、二人で金を出しあってネックレスを購入した。
購入したネックレスを首にかけ荘厳な神殿を参拝する。
神殿の中に佇んでいた石像の御神体はこの町にあるどの建物よりも高かった。彼が望んでいるのはティエリア海に浮かぶすべての船なのかもしれない。どうか無事海を渡れますように、何事もありませんように、と石を握り己の航海の無事を祈る。
真摯な気持ちで参拝した後、ルウが飯に行こうと誘ったので地元の屋台を探すことにした。美味い猪肉の串焼きを楽しんでいるとポテト料理を運んできた女性店員が「あんたたち騙されたね」と笑った。トニヤとルウは意味が分からず女性を見た。
「セイレーンの伝説だとか何とかいってその高いネックレス売りつけられたんだろ」
「えっ」
「あの店はずっとそうやって漁師相手に商売してるんだよ」
女性はそういって皿を机にドンと置く。
「この二年セイレーン何てこの海域で出ちゃいないよ」
トニヤはあんぐりと口を開けた。
「それ本当ですか」
ルウが叫ぶ。店中に響く声だった。
「二年前にね、とある船舶がセイレーンを見たという噂だ。けれど船舶も乗員も全員無事。それきりセイレーンに遭遇した船の噂はないよ」
そんなとこぼした後、二人とも二の句が継げなくなった。
食事を終えた二人は鬱屈した気持ちで市場を歩いた。せっかく買ったというのに途端に要らないものに思えてくる。
「コレどうしような」
ルウがネックレスをぐるぐると回す。トニヤも首にかけているがどうも信じる気持ちは湧いてこなかった。
「お守りだ何だって他の人に売りつけちゃおうか」
「お守りをそんなことにしていいのかな」
「ああ、損した」
ルウはそういうとネックレスをズボンのポケットへと仕舞った。
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