第3話

 学校の授業が終わり、俺は川近くにある斜面の草むらであおむけになっていた。

 雪紐の家はこの近くのはずだ。だから絶対に来る。

「…………」

 民家が建ち並ぶなか、さら地がずっと目についていた。

『土地を売ります』という看板が立っていて、草の生え具合から、ずっと前からそこにあったことがわかる。

 なぜか気になる。


 ――あそこに家、あったよな?


 小さな頃の記憶がよみがえる。

 家はあったはずだ。

 どこかに引っ越したのか?


 ――きた!


 雪紐が学校指定のカバンを持ってやってきた。

 ウサギマフラーがよく目立つ。

 歩幅が小さいのがウサギっぽい。

「ととっ、よっ!」

 俺は斜面にある草にすべりそうになりながら、雪紐の所まで登っていき、気軽に手を挙げた。

「…………」

 雪紐は俺をチラッと見ると、となりを通りすぎた。

「おーい、無視するなよ」

 俺が声をかけると、雪紐は「ダンッ!」と片足を鳴らして止まる。

 お怒りのようだ。

 タイミングは最悪だが、告白するしかない。今しかチャンスはない。

 俺は心臓を高鳴らしながら、

「春風さんとはなんでもないんだ。おっ俺は――その、俺は」


「『月へいったウサギ』の話、知ってる?」


 雪紐の妙な質問のおかげで、俺の告白は中断。

 俺はポカンと口を開ける。

「絵本で一緒に読んだでしょ? 老人が動物たちに食べ物がほしいと言った。動物たちは自分が持つ能力を生かして、老人に食べ物を持ってきた。だけど、ウサギだけは食べ物を持ってこられなかった。それでウサギは他の動物に頼んで、木を燃やして、たき火を作ってもらった。ウサギはどうしたと思う?」

 雪紐から物語を聞いて、俺の脳裏に子供時代のことが浮かぶ。

 小さな頃、彼女と一緒に絵本を読んでいた。


 絵本のタイトルは『月へいったウサギ』。


 読み終わったあと、雪紐は泣いていた。俺も悲しかった。

 結末が残酷だったからだ。

 そうだ。

 あの絵本を読んでから、雪紐はウサギマフラーをつけはじめたんだ。

 ずっとウサギと一緒にいたいからって。

 かわいそうだからって。



「……ウサギはたき火に飛び込んで、自らの肉を老人に差し出した」



「そう。老人は神様が化けていて、ウサギの自己犠牲に感動し、月へ行かせることにした。私はウサギ。月にいるの。――あなたの手じゃ届かない」



 雪紐は後ろを向いたまま、俺を見なかった。

 ――ふられたのか?

 俺の頭がぐちゃぐちゃになってしまい、言葉が出てこない。

 雪紐の小さな背中が、もう話さないでと訴えている。


 ウサギマフラーのウサギたちが、俺のほうを一斉に見た。

 一匹、また一匹と、ウサギたちが燃え上がっていく。

 焦げた臭い。皮膚が熱い。遠くから鳴るサイレン。

 民家が燃えていた。

 すべての家が。

 火の粉が空で踊っている。パチパチと、喜び歌っている。

 地獄だ。

 亡者たちの悲鳴が俺の鼓膜を破壊し始める。

 めまい、息苦しさ、吐き気。足に力が入らない。


「……ひっ」


 俺の声が引きつった。

 雪紐のウサギマフラーが燃えていた。

 ウサギたちから燃え移ったか。

 彼女は俺の前に立っていた。

 立ち上がる炎のすきまから、雪紐の目が、俺の目をのぞく。

 冷たい手が、俺のほほにふれた。

 俺の目から涙が流れ、彼女の指先をぬらす。



「大丈夫。私はもう出てこない。これが最後だから安心して――私がいなくても、あなたならやっていける」



 雪紐の声が不思議と遠かった。


 俺は誰もいない堤防に立っていた。

 全身汗びっしょりで。

 民家は静かにたたずみ、火は跡形もなく消えている。


 俺の目に映ったのは、真っ赤に燃えた夕方の太陽だった。

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