第98話 脱出エスケープ


 空間の断層に浮かぶ瞳。

 虚無を湛えたそのまなざしは、まるで奈落に誘う洞穴の様だ。

 俺達を傲慢に睥睨する視線。

 ただそれだけで魂が凍え怯えてしまいそうになる。

 皆が緊張に立ち竦む中、俺は一人臨戦態勢を取る。

 刀の柄に指を添えるように這わす。

 膝の力を抜き脱力。

 緊張感を意識して排除し前傾に構える。

 そんな俺を見て迷宮主は面白そうに瞳を細める。

 何が奴の琴線に触れたか知れないが俺に興味を持ったようだ。

 空間全体を震わす声で語り掛けてくる。


「さすが望まれし忌み子よ……

 吾輩の把握領域の中でも平静を保つとは、な」

「それは誉め言葉か?

 ならばお褒めに預かり恐悦至極、だ」

「口の減らぬ小僧め……

 貴様、いつから気付いた?」

「何を?」

「吾輩の事を、だ」

「ああ、それか。

 答えは簡単だ。

 俺はこういったケースを幾つか想定していただけだ」

「どういう事だ?」

「このタガジョウダンジョンがいかに難度の高いダンジョンとはいえ、出来て数年も経つのに攻略されないのはおかしい。

 事実、波に乗ってるとはいえ俺達は僅か二日目でここまで来れたしな」

「ほう」

「そこのマフユが率いたパーティだけがここへ来たのが初めてじゃない。

 多分それ以外にも実力か偶然かで最下層まで来たパーティはあった。

 しかし……生還できたパーティは残念ながらいなかった。

 その為、周知出来なかったんじゃないか? 違うか?」

「ふっふっふ……中々に聡い考察よ。

 ならばその生還できない理由とは?」

「無論、お前の存在だ。

 迷宮主……いや、ダンジョンマスター。

 先程も推察した通りこの最下層である鍾乳洞はお前自身だ。

 ここはお前の胎内であり、お前の世界そのものなのだろう。

 だからこそお前はこの階層においては神のごとき力を持つ。

 いや、違うな。

 正確に言えば【世界結界】により弱体化される前に限りなく近い力を振るい得るのだろう。

 それを知らずアタックした先人はお前に全て斃されていた。

 誰もが想定しないだろうな。

 まさか階層そのものが業魔という存在とは。

 そして戦いようがないだろう。

 任意に自らを出現させその力を発動させる相手には」

「殊勝な言葉ではないか……

 ならば抵抗する事の無駄を理解しておるな?

 大人しく我が軍門に下り、勇者共を吾輩に差し出すがいい。

 そうすれば貴様の命だけは獲らずにおいてやろう」

「断る」

「ほう……迷いはないか。

 以前に戯れでこの誘いをした時の人間共は醜い仲間割れをし始めたものだが」

「阿呆が。一緒にするな。

 ここにいる俺の仲間は一騎当千の強者だ。

 誰がお前ごときの誘いに応じるかよ」

「吾輩に委縮して動けぬそいつらが強者?

 はっ! 笑わせおる。

 お前たち人族はやはりどうしようもない愚者よ。

 我が手を下すまでもない、絶望に陥るがいい」


 紅の瞳がひときわ朱く輝く。

 次の瞬間、俺達を放射状に囲む霧。

 それは瞬く間に異形を為し、爪牙をもって俺達へ襲い掛かる。

 だが展開を予想していた俺はただ冷酷に命じた。


「コノハ」

「うん、了解! 自己犠牲自爆呪文(メ〇ンテ)!」


 一歩前に出たコノハから放たれる爆風。

 それは現出した業魔を構成する霧そのものを吹き飛ばし一掃する。

 何もなくなった空間に紅の瞳は面白そうに眼を開く。


「それが噂の自爆勇者の力か……

 なるほど大したものよ。

 魔将バァールモスが敗れたのも理解できる」

「奴を知ってるのか?」

「吾輩が仕えるあの御方。

 その配下の一人にしか過ぎぬよ。

 奴は我ら魔軍の内でも最弱。

 司祭(ビショップ)クラスの吾輩と同位に考えて貰っては困る」

「あいつよりも格上、か」

「ふっ……その娘が吹き飛ばしたのは所詮は我が力の断片。

 この場所にいる限り吾輩は無尽蔵の力を誇る。

 貴様らに勝機はあるまい」

「確かにそうだな。

 一度に出せる出力の限界はあるとはいえ補充が効くのは反則だ。

 ――マフユを泳がせたのもワザとだろ?

 疲弊絶望し、堕ちた魂を喰らう。

 お前たち業魔が考えそうな卑劣な手段だ。

 ……まっ、俺達と合流したのは予想外だったようだが」

「それがどうした?

 吾輩の胎内であるこの階層にいる限り貴様らに勝ち目はない。

 また小賢しい転移や魔導具も扱えない。

 貴様らは詰んでいるのだ、諦めよ。

 吾輩の名は魔将司令ゾォールマ。

 潔く敗北を認め、その命を差し出すがいい!」


 嘲笑の声と共に立ち上る霧。

 確かにこのままで果て無き消耗戦となり俺達に勝ち目はない。

 ……今は。


「お前の言う通りだ、魔将司令。

 だからこの場は退かせてもらおう」

「させと思うか、小僧!」

「押し通るさ……

 何故俺がこの階層に来てから抜刀しなかったか?

 お前の足りない頭で考え至らなかったのが失敗だ、間抜け。

 煌めけ、細雪!」


 裂帛の気迫と共に鞘走り――抜刀。

 閃光の様に煌めいた樫名による名刀は、【魔力で構成された空間そのもの】を斬り裂き断裂する。

 先日レイカさんは言った。

 信仰を経て斬る事に特化した刀を迂闊に抜くな。

 抜けば魔力で構成された工房の備品に過負荷が掛かりショートする、と。

 そこに退魔の概念が加わったらどうなるか?

 結果は一目瞭然だ。

 魔力で練られた奴の胎内である階層そのものを切り裂き――本来のダンジョンの姿を束の間、露出させる。

 そしてそれだけで十分だった。


「総員・緊急脱出!」


 組み換え式ダンジョン故、遭難率の高いここの探索者に行政が施した処置。

 誰もが一度だけ使えるリ〇ミト。

 探索者証に施された効果は十分に発揮され俺達を転移結界で包み地上へと運ぶ。


「おのれ!

 貴様らの顔――忘れはせぬぞ、人間ども!」


 魔将司令ゾォールマの苦悶が微かに聞こえる。

 奴にしてみれば直接体内を斬られた感じだ。

 初めての痛痒にしばらく身動きは取れまい。

 しかしああいう事を言ってる時点で何故格下と気付かないのかね?

 まあ何はともあれ――

 俺達は奴の毒牙を擦り抜け、地上への生還を無事果たしたのだった。





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