第48話 崩壊アイデンティティ


「さあ――己が愚行に対する報いの時は来た。

 断末魔の声を上げ、死に逝くがいい」


 充分に錬られ、棘状に具現化した数多の魔力。

 数百を超えるそれが魔将バァールモスからついに放たれる。

 全方位から隈なく注ぎ込まれるその構成は最早流星雨に等しい。

 ――終わりだ。

 如何なる力を持っていようがこの状況を打破する術はない。

 渾身の力を込めて放った一撃に満足しながらバァールモスは嗤う。

 業魔の血を汚した忌み子。

 おぞましき人族の血が混じった半端者め。

 何やら最後まで反抗的な眼をしていたが……

 ここから逆転する事はどう足掻こうが不可能よ。

 無論、あやつに与えたられたという力が気になってはいた。

 だが――この様子ではどうやら発現はしなかったようだな。

 所詮は下賤なるもの、ということか。

 まあよい。

 重要なのは奴の心臓と勇者の身体。

 血に秘められし鍵としての力と加護の恩寵を受けた門としての力。

 その二つさえあれば事足りる。

 我が主にその身を捧げ、境界を打ち砕く礎としてくれよう。

 これで忌み子の方は片付いた。

 次はあの勇者の小娘の番か――

 少しは泣き叫んで反応してくれれば面白いのだが。

 命を奪わず辱める残忍な手法を幾つも思い浮かべつつ、放った術の結末を見届けることなくコノハの下へと向かうバァールモス。

 ローブを翻し魔将としての貫禄を持った威風堂々たる歩み。

 その歩みが――止まる。

 絶望に涙すると思われた勇者の小娘。

 苦痛に歪んでいた顔が、喜色を浮かべているのを見つけた故に。

 瞳に宿るのは輝き。

 奇跡を見た者が浮かべる希望の双眸。

 抑えきれぬ戦慄をこめて踵を返す。

 バァールモスはそこで信じられないものを見た。


「馬鹿な……」


 全身を貫かれ惨めな死体を晒すはずの忌み子。

 奴は――生きていた。

 それどころか、傷一つすらない姿で。

 あろうことか奴を庇い瀕死の重傷を負ったはずの女戦士。

 その娘すらも――無傷。

 自身の身体を信じられないと見回している。

 あの一瞬にして、全ての傷が癒えていた。


「ありえぬ……」


 魔力棘は確実に放たれた。

 何の抵抗もなく奴等に直撃したのを実感した。

 この構成魔力は魔将としての必殺の術。

 主を除いて防いだものはいなかった。

 そう、我が主――業魔を束ねるあの御方を除いて。

 瞬間、気付く。

 奴の双眸――

 汚れた漆黒の瞳が、今は虹色の煌めきを燈しているのを。

 ――それはまさしく業魔の間で【神魔眼】と呼ばれるもの。

 摂理を超え因果すら改変する圧倒的強者――

 即ち、神々に連なる存在の証。

 

「まさか、お前は――」


 無意識に呟いた言葉に、虚ろげだった奴の瞳が自分を認識する。

 刹那、背筋を貫く言い知れぬ恐怖。

 それは存在自体が上げる生存への悲鳴と警告。

 だが――バァールモスは認められない。

 卑しき半端者に対し、誇り高き魔将たる自分が恐れを抱くだと?

 ――それは何よりも許されざる行為。

 ならば奴を否定しなくてはならない。

 そうしなければ――アイデンティティが崩壊してしまう。

 衝動的に残された全魔力を総動員。

 術式を編み込む余裕もない。

 ただ全身全霊を込めた魔力波を放とうとする。

 しかし――それすらも奴の瞳の前で掻き消される。

 魔将たる自分を支えていた不可視の魔力――その存在ごと。


「お前は……」

「やれ、コノハ」


 魔将の疑問に応じるのは氷の様に冷たい死刑宣告。

 機会を窺い猟犬の様に待機していたコノハは自爆呪文を解き放つ。

 先程とは違い防御に回す魔力がない以上、防ぐ術はない。

 瞬く間に全身を吹き飛ばされ、塵も残さず消え去るバァールモス。

 消滅の最後に視たのは、まるで運命を嘲笑う様な忌み子の不敵な貌だった。


 

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