第18話 据え膳

 木々の間から日が射し始めて目が覚める。明確な気温の変化がないせいか、大分遅くまで寝ていたようだ。パシャパシャと水の音がする。魚が跳ねているとしたら少し大きすぎる音だ。もしかして、自分が気付かなかっただけで、モンスターがいたのだろうか。仮に昨日は居なかったにしても、何かの生き物が水を飲みに来た可能性は十分にある。

 俺としたことが、全く気配に気付かなかった。随分油断したものだと自嘲する。俺はそっと起き上がると、茂みに隠れながら泉へ近づいていった。

 茂みの間から泉を見ると、ルイーダが裸で水浴びをしていた。くすんだ白髪は塗れて朝穂を浴び、まるでプラチナブロンドのように輝いている。病的に白かった肌もほんのり赤みが掛かって、健康的というか、白磁のようなとは言えないまでも普通の肌に見える。すらりとしたその姿態は、出る所は出ていて、なかなかのスタイルと言えるだろう。顔は元から整っている。これで中身を知らなければ思わず見惚れていただろう。

 取りあえず危険はないと判断し、元に戻ろうとした時、ルイーダがこちらを向いて目が合う。わざと覗いたわけではないが、気まずい。だがルイーダは微塵もそんな事は思って無さそうだ。


「ヴィル様も起きられたのですね。良ければ水浴びでもいかがですか。ちょっと最初は冷たいですが、気持ちが良いですよ」


 ルイーダは大事な部分を隠す訳でもなく、ごく普通に話しかけてくる。こちらの方が恥ずかしくなって、視線を逸らす。初心な子供じゃあるまいし、何やってんだと思わなくもないが、条件反射のようなものだ。


「おまえは少しは恥ずかしくないのか。こちらが恥ずかしくなるぞ」


「えっ、そんなみすぼらしい身体でしたか。汚れは落としたつもりですし、痣や出来物も無いですし、嫌悪されるようなほど酷くはないと思うんですけど……出来ればよく見て、何処が悪いか言っていただけませんか、出来るだけ直しますので」


 そういって、心持ち縮こまる。いや、恥ずかしがるポイントがちげーよ、と心の中だけでつ込みを入れ、ルイーダの方に向き直る。と言っても流石にまじまじと見るのはためらわれるため、視線を顔に集中する


「いやそういう意味じゃない。俺は男だぞ。裸を見られて恥ずかしくないのか?」


「いえ、全く。此処にはヴィル様しかいませんから」


「それはなにか。俺を男として思ってないと言う事か?」


 そうだとしたらちょっと不愉快だ。


「いえ、そんな事はありませんよ。最初ヴィル様が私を殺そうとした時も受け入れたではありませんか。私はヴィル様に何をされても平気ですよ。丁度身体も綺麗にした事ですし、良かったら抱かれますか?出来れば余り乱暴にしないでいただけると嬉しいんですけど……」


 そう言って、少し頬を赤らめるが、素っ裸で朝ごはんにしますか、のノリで言うセリフじゃない。いや、むしろ素っ裸だから言うセリフなのか?ともかくこういうのには手順や雰囲気というものが有るはずだ。違う者も居るだろうが、少なくとも俺はそうだ。据え膳食わねばなんとやら、という言葉は有るが、これは据え膳じゃない。例えて言えば、パイを不意打ちで顔に叩き付けられたようなものだ。例えぶつけられた本人じゃ無くスタッフだったとしても、後で食べようとは思わない。それが正体不明の食べ物だったらなおさらだ。


「いや、止めておこう。今はそんな気分じゃない」


「そ、そうですよね。私なんか触るのも嫌ですよね。申し訳ありませんでした。最近嬉しいことが続いたせいか、調子に乗っていたようです。お目汚し失礼いたしました、直ぐに服を着ますね」


 そう言って、恥ずかしそう、というより残念そうに肩を落として、泉から上がり、服を着始める。身体も拭かず、急いで服を着たせいで、薄い服が濡れて所々がうっすら透けて見える。下手な裸より色っぽい。


「いや、そういう意味で言った訳じゃない。その、なんだ、俺がそう言った気分になれなかっただけだ。お前が悪いわけじゃない」


 自分でも何を言ってるんだか、と言ってから思ったが、思わず漏れてしまった本音だ。


「それよりも、また旅を進めるぞ、この森がどれぐらい広がっているかも分からないしな」


 そうだ、この森はどれぐらい広がっているのか分からない。ユニは数億年単位でものを考えるべきだと言う。ルイーダも似たような感覚だろう。だが俺にとっては、数億年どころか数年でさえ、ただ単に歩き続けるだけ、というのは苦痛に他ならない。だが少なくとも以前見た地平線から推測すると、5、6年も歩き続ければこの惑星は一周できるはずだ。あくまで、以前と大きさに変化がなく、その途中にトラブルや障害が無ければという前提だが。


 1週間ほど特に変化の無い森の中を歩き続ける。このまま、ずっと歩き続けることになるのか、それとも旅する方向を間違えたか、そもそも森の中を旅をするという行為自体が間違っていたのではないか。そう考え始めたころ、森が唐突に途切れる。幸いにして、俺の心配は杞憂に終わったようだ。


 森の外は低い草で覆われた草原で、所々に花が咲いている。少し離れたところに丘があり、あまり遠くまでは見渡せない。今までは木々の間からしか見えなかったが、上空には雲一つなく、透き通るような青い空が広がっている。ずっと森の中にいたせいか、乾いた風と開放感が気持ちいい。

 探索の魔法はあまり信用が置けないとは分かっているが、一応使って丘の先の様子を探る。取りあえず何の反応もない。目の前と同じ草原が探索範囲外まで広がっているようだ。ただ、目の前に飛んでいる蝶も、空高く飛んでいる鳥も、目で見えるのに探索には引っ掛からない。分かってはいても、やはり少し落ち込む。


「どうかされましたか?」


 俺をよく観察しているのか、それともそういう能力があるのか、ルイーダは俺が少し落ち込んだだけで、心配そうな顔で気遣ってくる。これが外見通りの少女だったら俺も悪い気はしないのだが……


「いや、なんでもない。目で見える範囲には草原以外何も無い様だ。取りあえず丘まで登るか。適当な野営地が無かったらここまで戻ろう」


 これまで危険な動物がいなかったし、丘の上で野営をしても大丈夫だとは思うが、なにぶん警戒して暮らしていた時間が長いので、どうも開けた場所というのは寝づらい。

 丘は高さ50m程で、傾斜も緩やかなので、そう苦労することもなく頂上に着く。そこから見た風景は予想外のものだった。

 草原は相変わらず広がっている、ただ、丘を降りたところにいるのはどう見ても人間だった。それも一人や二人ではない、大勢だ。俺は草むらにしゃがみ込み、警戒を強め、観察し始めた。

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