第2話 あれ?
余り深く考えずに踏み込んだ世界は、何もない世界だった。転移した部分が何もなかったのではない。見渡す限り全てが無なのだ。一筋の光すらない。重力も無い為上も下も分からない。俺には様々な世界の記憶がある。魔法が発達した世界や科学が発達した世界、はたまた精神世界で過ごした記憶も持っている。だがこんな空間は今まで経験が無かった。次元の狭間などではない。世界としては確かに存在しているのに、中にあるのはひたすら無なのだ。
自分の体内にある膨大な魔力が拡散していくのを感じる。慌てて気を引き締める。魔力どころか、自分の身体さえ意識を強く保っていなければ存在が消えそうになる。引き裂かれるのとは違う。自分自身の身体を保つ力さえ存在していないのだ。何とか自分自身の力によって形を保っているが、長くいたら霧散してしまうだろう。身体だけでなく魂さえも。そう思える世界だった。
流石に、こんな世界に用はない。次の世界に渡ろうとするが、その力は霧散して消えていく。そのことに恐怖よりも悔しさが先に来る。俺はこんなところで消えるために、今まで力を蓄えてきたのではない。何か方法はあるはず。霧散しようとする力、というかそういう力があるわけではないので、実際には全てが無に帰すという世界の法則といったほうが良いだろうが、それに必死で抗い、解決策を考える。
どれぐらい時間が経っただろうか。薄れそうになる意識を何とか保っていると、急に引っ張られる力を感じる。それは抵抗しようにも抵抗できない程の力だった。抵抗を諦め、意識だけは失うまいと必死に気合を入れる。
そして、力が消えた時、先ほど召喚された世界に戻っていた。目の前には俺を召喚した女が立っている。
「間に合ったようですね。あのままでは勇者様は消えてしまうところでした」
どうやらこの女に俺は命を助けられたらしい。そしてこの女は、俺の知らない特殊な能力を持っているようだ。
「取りあえず礼を言おう。助かった」
どうも、いつもと勝手が違う。仕方なしに俺は情報を仕入れるため、まずこの女と友好的な関係を築こうと決めた。
「もったいないお言葉でございます。勇者様のお役に立てたのでしたら何よりでございます」
女は再び俺の前に跪く。
「俺の名はヴィルヘルム・クライノートだ。ヴィルと呼ぶが良い。お前の名前は?」
俺はいくつもの持ち名の中から真っ先に浮かんだ名前を言う。
「私の名前はルイーダと申します。性はありません」
「ふむ。先ほどは事情を考慮せず突き放して悪かった。そちらの話を聞こう」
先ず話を聞くだけは聞こう。それで今後どうするかを決めても遅くは無いだろう。少なくともいきなりさっきのような世界に行くのは避けたかった。
「何とお優しいお言葉。私、感激に打ち震えております」
こちらの気持ちを知らないせいか、女は感極まったという感じでそう答えてくる。たかが話を聞こうとするだけで感激されると、流石にこそばゆい。
「ああ、まあ、なんだ。ここでは何か落ち着かん。せめて床があるところは無いのか?」
先ほどまでいた無の世界程ではないが、足元に堅い床が無く、ふわふわと浮かんでいる状態というのはどうも落ち着かない。
「これは失礼いたしました。ただ今用意をいたします」
ルイーダがそう言うやいなや、足元に床が広がる。ただそれは美しいものではなく、でこぼこした石畳で、尚且つ湿っている。しかも所々苔や汚れが見える。例えて言えば衛生状態の悪い地下牢の床のような感じだった。とても直接座ろうとは思えないものだ。大理石や絨毯が敷き詰められた床までは望まないが、せめて座っても抵抗がないくらいの清潔さは欲しかった。
「ええっと。床が作れるのなら椅子やテーブルもできるのか?」
「勿論でございます」
ルイーダがそう言った後にイスとテーブルが現れる。現れたのは良いのだが、椅子は至る所に針が出ており、見ただけで痛そうだ。しかも全体的に薄汚れており、針も錆か血糊か分からないようなものが付いている。テーブルは粗末な木の机だが。その上には万力のようなものが置いてある。あれは拷問具の指つぶし機ではないだろうか。
あれ?もしかして相当怒らせた?
「これはいったいどういう意味かな?」
動揺を表に出さないように、務めて平静に尋ねる。
「どういった意味と言われましても……ただのイスとテーブルですが……」
ルイーダは顔を上げて不思議そうな表情をする。
「いやいや、どう見ても普通じゃないでしょ。この椅子、針が出てるよ。これ審問椅子でしょ。それにテーブルの上にあるのは指つぶし機だよね。両方とも拷問器具じゃないか!」
「御心配には及びません。この椅子は針が密集していますので、裸で座るならともかく、ヴィル様の装備でしたら、針が突き刺さることはありません。それと、指つぶし機はテーブルの標準装備品ですよね?」
「そんなわけ有るか!」
俺は素でツッコミを入れる。いかんいかん。こんなつまらない事で喧嘩してもしょうがない。
「少なくとも俺の常識では、初対面の相手を拷問器具に座らせるというのはないな」
そう言ってルイーダを睨みつけると、ルイーダはいかにも申し訳ないというように、身体を小さくする。
「すみません。私は何も知らない人から、この様な椅子やテーブルに座らされてばかりでしたので、他のものは知らないのです。もしかしたら忘れているだけかもしれませんが……」
一体どんな人生を送ってきたんだ?気にはなるが、取りあえずの問題として、こんな椅子に座る気は無かったので、体内に収納した物の中から適当なソファーを2つとセンターテーブルを出し、片方に座り話を聞くことにした。
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