怨讐の勇者と災厄の聖女
地水火風
第1話 プロローグ
靄のようなものが果てしなく広がり、薄明りがそれを満たす中、どす黒くそして禍々しく燃える炎の塊がある。それが俺の今の姿だった。
信じられないことかもしれないが、かつては光り輝く魂を持っていた。だが今の俺は暗い復讐心に燃えている。今の俺は、魂の邪悪さで言ったら、歴代の魔王をもしのぐかもしれない。
それもこれも、俺を崇めていた人間が、信頼していた仲間が、忠誠を誓った王が、愛し合った恋人が、信仰していた神がことごとく俺を裏切ったからだ。それも一度や二度ではない。最初は何かの間違いだと思った。次はちょっとしたすれ違いが大きくなったのだと思った。その次は相手も悪いが自分も悪かったと考えた。
だが裏切りはそれで終わりではなかった。何度も何度も裏切られ続けた。自分がいくら世界のために尽くしても、世界は俺を救ってはくれない。何時しかそう悟った。
普通の魂は死んだら前世の記憶がすべて消える。だが、俺の魂はすべて消えるには強すぎたらしい。そして、最初はほんの少しだった傷が、次第に大きくなり、暗く燃え上がり、今の俺を作った。そう、俺は勇者への裏切りの記憶の塊だ。
「お前はかつての私だ」
何度目かに倒した魔王の言葉が思い出される。ああそうだ、彼も同じような目にあったに違いない。今なら分かる。彼の怨念が、そして憎しみが。
だが、中途半端な力で肉体を得た場合、魔王として新しい勇者に倒されるだけだろう。それは避けなければならない。
俺は復讐を誓った後、何度も召喚され、そして裏切られた。でももう何とも思わなかった。なぜならばそれは俺を強くするための、謂わば経験値稼ぎの時間に過ぎなかったからだ。自分の真の力を隠し、わざと殺され、そしてその度に力を蓄えていった。そして今の俺は何物にも負けぬ、と思えるほどの力を手に入れたと確信するに至った。
神ですら今の俺の前には跪いて命乞いをするしかないだろう。この魂の溜まり場とて、今の俺なら跡形もなく消すことが出来る。だがそれではつまらない。俺の絶望は一瞬で消せるほど浅くはないのだ。
次は生まれ変わりか、召喚かは分からないが、世界に再び生を受ける時を楽しみに待っていた。先ずは召喚された世界の希望を打ち砕いてやろう。人間は希望が絶望に変わった時、最も苦しむものだ。それは自分自身で経験済みだ。次の世界は地獄と化すだろう。そして、そこから他の世界を滅ぼしに行こう。今の俺は異世界すら容易く行き来できる。
(……勇者様……勇者様……どうか世界をお救い下さい……)
久しぶりに聞く助けを求める声だ。暫く前までは、うるさいほど聞こえていたが、ここ最近は何故かぱったりとやんでいた。声の様子からすると転生ではなく、召喚を試みているのだろう。ようやく俺の復讐の第一歩が始まる。そう思うとまだ召喚前の不定形の形であるにも関わらず、嬉しさのあまり頬が緩むように感じる。
そうして俺は、声に導かれるまま、その世界へと降り立った。
そこは不思議な空間だった。今までいた魂のたまり場に似ているが、そこの様に居心地はよくない。何とも言えない冷気が体を包む。何度も召喚されたが、こんな場所に召喚されたのは初めてだった。
魂のたまり場と同じように薄靄がかかっていて、自分は空中に浮いている様だ。ハッキリとしたことが分からないのは、重力が感じられず、地面というものもなかったためだ。ただ自分の身体は確認できる。今回は召喚である。今まで自分が手に入れた武具がちゃんと装備出来るのを確認する。
世界樹を切り倒し、世界を焼き尽くすと言われる魔剣レーヴァテイン。人や魔物を倒すための剣ではない。世界そのものを焼き尽くす炎の剣だ。それは俺の魂とつながり黒い炎の剣と化している。
神々の武器ですら貫くことはできない、無敵の鎧カヴァーチャ。一度つけたら身体と同化し脱げない、という欠点も俺は克服している。
盾は魔眼の持ち主バロールの血を吸った、ハシバミの木から作られたフィンの盾を持っているが、まだ装備しないで良いだろう。何故なら、見ただけで相手が逃げ出すため呼び出したものと話が出来ないからだ。
その他の装備品も自分の身体の中にあるのを確認する。そう俺は自分の身体の中に体積を無視して物を収納できる。装備と同じく魂の一部となっているので世界に顕現したのと同時に体内に収容される。そして俺の身体の中にあるので、俺を殺さない限り誰も触れられないし、俺の意志で自由に取り出せる。そして、その気になれば巨大な城とて体内に収納できるだけの容量があった。最後に姿見で自分の外見を確認する。所謂人間と呼ばれる種族の20歳前後の青年の姿だ。金髪碧眼、我ながらハンサムと言って良い顔立ちだ。
一通り確認してあたりを見渡していると、すうっと靄が晴れ、一人の若い女が現れる。白金ではなく白色の長い髪、灰色の瞳、病的なまでに白い肌。着てる服も真っ白で飾り気がなく簡素なワンピースだ。顔立ちは整っているのだが、まるで靄が固まったような感じで存在感が薄い。真っ先に浮かんだのは、薄幸の美少女という言葉だった。美少女という表現は間違っているかもしれない。不老若しくは不老に近い種族などいくらでもいる。それに何だか少女というには、瑞々しさがない。まるで長い年月を生きて、生きることに疲れ黄昏た、老婆のような雰囲気を感じる。
いでたちからすると生贄の儀式のようなものが行われたのかもしれない。こちらから見る限りまだ生きている様ではあったが……
「ようこそおいで下さいました、勇者様。どうか世界を、滅亡した世界をお救い下さい」
そう言ってその女は祈るように両手を握り合わせ、俺の前に跪く。
「……?滅亡に瀕した世界ではなく、滅亡した世界を救えだと」
女の言葉に引っ掛かりを覚えた俺は尋ねる。滅亡に瀕したとか危機に陥った世界を救ってくれと頼むのは分かる。だが滅亡した世界とは何だ?そんな頼みごとをされたのは初めてだった。しかも世界が滅亡しているならこの女は何者だ?そんな疑問が頭をよぎる。
「はい。勇者様も御覧の通り。この世界には何もありません。世界に存在しているのは混沌と、僅かに残ったこの空間だけです。既に滅亡しているのです」
なんと、この世界は既に滅んでしまっているらしい。元の世界がどんなだったかは知らないが、良くここまで何もない世界にしたものだと感心する。それと同時に急速にこの世界への興味を失う。俺は破壊された跡を見たかった訳ではない。世界を破壊したかったのだ。
それにこの女の言葉を信じるなら、ここまで破壊された世界を救うのは勇者の仕事ではない。それは神の範疇だ。俺は神々を殺し、世界をも焼き尽くす力を手に入れたが、創造の力を持っている訳ではない。
「それは残念だったな。俺は破壊された世界を救うような力を持っていない。それにそれは神々にでも祈るものだ。勇者がやることではない」
「ですが、この世界の神々は既に滅んでいるのです……」
それを聞いて益々俺はこの世界に興味を無くす。俺がやれる事は目の前の何の力も無さそうな女を殺す事ぐらいだ。なんでこの女だけが残っているのかは不思議だが、特に害がありそうでは無いので殺さないことにした。
そして、俺はこの世界から別の世界へと行こうと決めた。異世界を渡りまわる力は身に着けている。本当だったら俺という存在を呼び出したものに、後悔と恐怖を与えたかったのだが、予想外の世界に召喚されてしまい、気がそがれてしまった。
魔力を込めていくと異世界への門が開いていく。
「ま、待ってください。何処に行くおつもりなのですか?」
女が慌てて駆け寄り足に縋りついてくる。俺はそれを乱暴に振り払うと、女を見下ろしながら言った。
「別の世界へだ。俺はかつては確かに勇者と呼ばれるものだった。だが、何度も裏切られた。世界が俺を裏切るのなら、俺は世界に復讐する。そう誓った。そのための力も手に入れた。呼び出された世界が既に滅んでいたのは予想外だったが、ならば別の世界を滅ぼすまでだ。俺の中の憎しみの炎が消えるまでそれを繰り返す」
わざわざ質問に答える必要は無かったが、そうした方がこの女が後悔すると考え答える。この善良そうな女は、自分が呼び出した者が世界を破壊すると後悔し続ければ良いのだ。
「ああ、憎しみは憎しみを呼ぶだけです。それでは世界だけでなく勇者様も救われません。破壊の後には虚しさが残るだけなのです」
知った風な事を、とそのセリフを聞いたとたん思う。俺が抱いているのは、そんな言葉で収まるような憎悪などではない。
「お前に何が分かる!せいぜいこの滅びた世界で、別の勇者にでも神にでも、好きなだけ祈り続けるが良い」
そう言い放ち、俺は異世界への門を潜り抜けた。
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