第十七話・しがらみからの解放
山頂に
先ほど
妙な居心地の悪さを感じたさとるは、多奈辺から目をそらして窓の外を見た。
視線の先にはゆきえの軽自動車があった。
これから移動せねばならないというのに、彼女はハンドル部分に凭れ掛かって顔を伏せている。それに気付き、さとるはすぐに右江田の車から降りた。
「あのっ
運転席側に回り込み、軽く窓を叩いて声を掛ける。ゆきえはすぐに顔を上げ、窓を開けて笑顔を取り繕った。
「ごめんなさい、ちょっと疲れたみたいで」
「足の怪我のせいですよね。運転すんのキツいでしょ。代わりますよ、俺」
「え、でも」
返事を待たずに運転席と後ろのドアを開ける。そして、ゆきえの身体を抱きかかえ、後部座席へと運んで座らせた。その時にちらりと左足を確認する。傷口を覆う手拭いに滲んだ血を見て、さとるは下唇を噛んだ。
「シートベルト、しといてください」
「え、ええ」
すぐに運転席に座り、座席の位置やミラーの角度を調整し、さりげなく後部座席のゆきえの様子を窺う。顔色が悪い。やはり運転を代わって正解だったとさとるは思った。
「それじゃ、俺ら先に
「分かった。みんなを頼むよ」
「はいッ!」
右江田のオフロード車を先頭に校庭から山道へ向かい、続けて
一人校庭に残った安賀田は、まずボロボロのセダンに乗り込んだ。パンクしていてスピードが出ない。ガタガタと揺れる車体に耐えながら、何とか軍用トラックの側に止めた。
軽自動車はまだ燃えている。その反対側、トラックにぴったり横付けするようにセダンを止めて給油口のキャップを外し、全てのドアを開け放った。
その際に、地対艦ミサイルが積まれたトラックを間近で見上げる。軍用車だけあって装甲が厚い。
だが、ミサイルを積んでいるトラックを壊すことは出来る。
自分のSUV車に乗り込み、アクセルペダルに右足を置く。
「……うまくいくといいが」
何気なく呟いた自分の声が少し上擦っていたことに気付いて、安賀田は苦笑いを浮かべた。じわりと滲む手のひらの汗をハンカチで拭い、再びハンドルを握り直す。
もう帰れなくていい。
安賀田はそう考えていた。
大きな仕事を任せられ、喜びを感じた。仲間の命を預かり、陣頭指揮を執り、計画を実行した。まだ成果は出せていないが、久々のやりがいのある大仕事に気力が満ち溢れていた。
戦争一歩手前の情勢という話は本当だった。例え自分たちの働きで多少改善されたとしても、日本が他国と緊張状態にあるという事実は揺るがない。それを知りながら元の生活に戻れるはずがない。
平穏な日常に戻れるとしても戻りたくなかった。もし日常に戻れば、あの生活が待っている。上司から疎まれ、同僚から蔑まれ、部下からも冷たい視線を向けられる。家に帰れば難病の妻ちえこがいる。彼女の病は自分の罪の証のように思えてならなかった。家事や病院への送迎は苦にならないが、苦しむちえこの姿を見ている時間が何より辛かった。
ちえこを安全なシェルターに預けた今、安賀田にはもう何の心残りもなかった。
あとは目の前にあるミサイルを破壊するだけ。
彼を縛るものはもう何もない。
「は、はは……」
思い切りアクセルを踏み込み、安賀田は車をトラックへと突っ込ませた。動く限り、何度も何度もぶつかっては退がるを繰り返す。バンパーが外れ、ボンネットがひん曲がってもエアバッグは作動しなかった。改造時にアリが外していたのだろう。
そのうち、先に燃えていた軽自動車が激しく爆発し、セダンに燃え移った。トラックの運転席からも煙が上がり始めた。
それを見て、安賀田の心の
「ははははは! 私は、……オレは自由だ!!」
とうとうSUV車の前面がトラックにぶつかった衝撃で潰れ、エンジンルームから火の手が上がった。炎は荷台の筒……ミサイルが格納されている部分を包み、激しく燃え盛った。
激しい爆発音が島中に響き渡った。
「ああ、そんな……」
ゆきえは今にも泣きそうな表情で後部座席の窓に張り付いている。運転席に座るさとるは、気まずそうに頭を掻いた。
ひとり残った安賀田が何をしようとしていたか、さとるは知っていた。知った上で先に山を降りた。この爆発を見て、彼が目的を果たしたことも分かった。安賀田のことは頼れる大人として尊敬していた。同じ協力者という立場でありながらリーダーシップがあり、終始落ち着いて行動していた。ここに連れて来られた最大の目的である『地対艦ミサイルの破壊』。それを、彼は命懸けで成し遂げた。
喜ぶべきだと思ったが、ゆきえは違った。
「あのまま山頂にいたら俺たちも爆発に巻き込まれてました。だから、安賀田さんは一人で残って」
「そうまでしなきゃダメだったの? こんなの、やっぱりおかしいわよ……」
ついに、ゆきえはボロボロと涙をこぼし始めた。その姿をバックミラー越しに見て、さとるは黙り込んだ。
彼女は普通の感性を持っている。こんな異常な状況下に置かれてもそれは変わらない。付き合いの短い仲間の死に対しても本気で憤り、本気で悲しんでいる。これが真っ当な人間の当たり前の反応なのだろう。
それに比べ、さとるは落ち着いていた。状況が異常過ぎて理解が追いついていないだけかもしれないし、何より優先すべき存在を見つけたからかもしれない。
ゆきえを無事に帰すこと。
それだけがさとるの目標になった。
クラクションの音に顔を上げると、前方に止まる右江田のオフロード車がゆっくり前進し始めたところだった。合図をくれたのは後ろの三ノ瀬だ。
山頂ではまだ断続的に爆発が起きている。非常に危険な状況だ。安賀田の安否の確認しに行くという選択肢は無い。確認しなくても生存は絶望的だろうと誰もが思っていた。
現在地はまだ山に近い。早く港まで戻り、船に乗ってこの島から出る。
そして、シェルターに家族を迎えに行くのだ。
島の外周をぐるっと回る道を走り、ようやく港が見える地域まで戻ってきた。ここまで来れば山から火の粉や木片が降ってくることもなく、安心して車外に出られる。
遠くに
「どうしたんですか右江田さん」
車を横付けして窓を開け、さとるが声を掛ける。
右江田は視線を港に向けたまま、いつになく険しい表情で口を開いた。
「──
今日の早朝、この港を出発した時よりも船の数が増えている。そう言われ、さとるは息を飲んだ。
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