第十四話・母親への憧れ
車から降りた
服装は背広。無人の離島に似つかわしくない、どこからどう見てもごく普通のサラリーマンである。招集にあたり『動きやすい服装で』と言われたにも関わらず、これしか浮かばなかったからだ。私服よりも着慣れた背広は彼にとっての戦闘服。戦場には不釣合いでも、気合いを入れて大仕事に挑むにはこの格好以外に有り得ない。
ガガガッと連続した銃声が響き、目の前の地面が何ヶ所か抉れ、砂埃が舞った。威嚇射撃。あちら側はライフルのような武器を所持していることが判明した。
当たれば命に関わる。銃口を向けられ、内心ヒヤヒヤしながらも、安賀田は表情を変えずに歩き続け、校舎から二十メートル程の位置まで近付いた。
『失礼。ここの
声を張り上げ、日本語ではない言葉で流暢に語り掛ける。これにはあちらも驚いたようで、割れたガラス窓の隙間から向けられていた銃口が空を彷徨い、一旦降ろされた。
それを見た安賀田はにこりと笑みを浮かべ、更に言葉を続けた。
『船の故障で港への停泊を許可してもらったので御礼に来ました。よろしければ責任者の方に直接ご挨拶させてください』
口調も物腰も柔らかいが、有無を言わさぬ強さがある。校舎内にいる者たちの困惑した気配が感じられた。
自国の言葉で丁寧に話し掛けられれば問答無用で撃つような真似はしづらい。しかも相手は責任者を指定して呼んでいる。下の者が無断で攻撃をするわけにはいかない。そう考えているのだろう。
安賀田の勤める会社はアジアに広く展開する自動車部品メーカーで、国内だけでなく海外にも幾つか工場を持ち、国外のクライアントも多い。妻の難病発症前は直接海外に赴いて担当者とやり取りしたこともあり、数ヶ国語の日常会話は可能。
船での移動中に乗り込んできた男達や上陸直後に一人を制圧した際にどこの国の人間かを把握し、その国の言葉で語りかけているのだ。
迂闊に危害を加えれば後ろに控えている強面の右江田や銃を構えた多奈辺が動く。反撃を恐れ、相手は下手に動けない。
返事がないことでハッキリした。
現在ここに敵方の責任者はいない。
残っているのは見張りだけ。
つまり、地対艦ミサイルの発射権限がある者がいないと言うこと。
無防備な状態で敵の前に姿を晒したのはそれを確認するためだけではない。実際にミサイルが積まれているトラックを見て、三台のロケットランチャーのみでの破壊に自信が無くなった。故に、別ルートから来るであろうゆきえ達の到着を待っていたのだ。
情報収集と時間稼ぎ。
彼は一人でそれをやっていた。
校舎の裏手から近付いてくる複数の車のエンジン音を聴きながら、安賀田は小さな声で呟いた。
「……もしかしたら、君達も同じ境遇なのかもしれないけど、私達にも事情がある」
窓の隙間から見えた人影。
安賀田には彼らの姿が見えていた。
軍服ではない。
訓練を受けた様子もない。
言われるがままにここを守るだけ。
予定外のことが起きれば動けない。
『手出しをしなければ怪我をせずに済むと思いますよ』
深々と頭を下げてから踵を返し、安賀田は来た時と同じように悠々と歩いて自分の車へと戻った。
撃たれないと確信しているわけではない。堂々とした態度で居ること、不安な気持ちを悟られないこと、それが自分を守る盾になると分かっているからだ。
安賀田が車に乗り込むとほぼ同時に、裏手の道から三台の軽自動車が校庭になだれ込んできた。
安賀田率いるメインルート班と、
このまま
その様子を見て、校舎の中にいた敵方が動き始めた。先ほどは安賀田のパフォーマンスに
身を隠して狙撃するならばともかく、走りながら撃つのは難しい。だが、的が大きければ当たる。
「うわっ!」
敵方の一人が
ヒヤヒヤしながらも、自分達は車、相手は生身という事実に優位性を感じていた。
「でも、油断したら
さとるは前を走るゆきえの車を目で追った。
山を登る手前の住宅街で、ゆきえはさとるを庇って足を撃たれた。手拭いで傷を覆っただけの状態だ。血を流しながらも心配かけまいと気丈に振る舞うゆきえの姿を思い出し、ハンドルを握る手に力を込める。
さとるの母あやこは我が子のために身を呈してくれるような人間ではなかった。
外では良い母親を演じているが、人目がなくなればすぐに芝居をやめる。暴力こそ振るわれなかったが、不機嫌を隠さず態度で示されるだけでも怖かった。いつもより音を立てて開け閉めされるドア。荒く机に置かれるコップ。食事が用意されないことは当たり前。学校の給食だけで凌いだ日も多かった。
そんなことより存在を無視されるほうが辛かった。
さとるは早い段階であやこからの見返りを諦めていた。高校に入ってアルバイトが出来るようになってからは稼いだ金を渡し、家事をして、弟のみつるに苛立ちの矛先が向かないようにした。高校を卒業して世帯分離してからも、渡す金が増えただけで何一つ変わらなかった。
だから、ゆきえを見て複雑な思いを抱いた。
世の中には我が子のために身体を張る母親がいるのだと初めて知った。失敗しても怒らず笑顔を向けてくれる、絵に描いたような理想の母親。
マイクロバスの中で眠る小さな女の子の髪を優しく撫でていた姿を思い出す。
何故それが自分の母親ではなかったのだろう。
どうして自分は大事にされなかったのだろう。
「……母さんになってくれねーかなぁ」
無意識のうちに自分の口からこぼれ落ちた言葉に、さとる自身が驚いた。散々打ちのめされ、絶望しながらも、まだ母親という存在に憧れ、求めている。大人になった
おかえりと出迎えてくれる。
側にいけば抱き締めてくれる。
美味しいごはんを作ってくれる。
学校であったことを聞いてくれる。
頑張ったことを認めて褒めてくれる。
やりたいことを心から応援してくれる。
弟の親代わりをしていたが、それは全部自分がしてほしかったことを出来る範囲でやっただけ。本当は、さとるが一番愛情に飢えている。
安賀田や
ゆきえも彼らも家族の元に返してやらねば。
さとるに大きな目標が出来た。
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