第191話 腕くらい安いもの

 人生っていうのは、基本的になにが起こるかわからない。


 嬉しいこともあれば、哀しいこともある。


 そんな二つの繰り返しを楽しみながらどう生きるのかが人生だ。


 ——そう思っていた。


 けど、これだけは認められないという問題も起こる。


 たとえば今、風で揺られたラフラが屋上から落ちたこと。


 このまま地面まで真っ逆さまに落下すれば、彼女は確実に死ぬだろう。


 即死しなくても間違いなく助からない。


 なのに、伸ばした俺の手はラフラには届かなかった。


 虚しく空を切る。もう、彼女を引っ張りあげることはできない。




 ——だったら!




 視界からラフラが消えた直後、俺は咄嗟にもう一歩前に踏み出した。


 屋上の縁に足をかけ、眼下に見えるラフラを再度視界に捉える。


 手を伸ばしたまま助けを乞うようにも見えるラフラ。


 俺のやるべきことは決まっていた。


 俺は、そのまま地面に向かって縁を蹴る。ただ落下したラフラとは違い、自分の意思で落ちる俺のほうが速い。


 加速が加わってすぐにラフラへ追いつく。彼女の体を抱きしめて、限界まで身体強化魔法を全身へ巡らせた。


 地面に落ちるのに一秒。あっという間に轟音を立ててぶつかった——。


 凄まじい衝撃が発生する。


 卓越した身体強化魔法の才能を持つ俺でも、人間二人分プラス加速による重力と衝撃が痛みを生んだ。


 魔法が咄嗟のことで完全に効果は発揮できていなかったのかもしれない。


 自分よりラフラを強化するのに集中したからかもしれない。


 結果、視界いっぱいに広がる砂煙を見ながら気付く。


 ——あ……腕折れてるわ、これ。


 と。


 少しでも動かすと激痛がすごい。だが、痛みに我慢しながら起き上がる。


 ラフラは、涙を流しながら俺の顔を見つめていた。


「ま、マリウス様……」


「……助かってよかった。無事? どこか痛むところがあったら言えよ。ティアラに治してもらうから」


「ら、ラフラは無事です! マリウス様が守ってくれたから……。多少、体が痛む程度で済みました」


「それは僥倖。ラフラを腕一本で救えたなら、これ以上の結果はないな」


「腕……?」


「ああ。ぶつかった時に折れたっぽい。痛むからあまり触らないでくれよ?」


「そ、そんな——」


 ラフラが絶句する。ぷらん、と力なく垂れた右手を見て、どうしたらいいのか困惑していた。


 涙が次々と流れていく。


 そんなに泣かなくてもいいのに……。


 落ちたのはラフラのせいだが、それを助けたのは俺の意思。それに、腕一本くらいすぐに治る。


 明らかに自分よりひ弱な彼女が無事で嬉しいくらいだ。




「——マリウス様!?」


 泣き続けるラフラの頭を左手で撫でて宥めていると、そこへ聞き慣れたリリアの声が響く。


 ちらりと横へ視線を向けると、砂煙が晴れてリリアがこちらに向かってくるのが見えた。


「やあリリア。お早い到着だね」


「あれだけ大きな音が鳴ったら、気になるのは当然ですっ。嫌な予感がして来てみたら……。これは、一体どういう状況でしょうか?」


「見たまんまだよ。ちょっと足を滑らせてね。屋上からここまで落下した」


「ら、落下——!?」


 リリアが驚愕を浮かべた。無理もない。自分の婚約者が屋上から真っ逆さまに落ちたのだ。心配しないほうがおかしい。


「ああ。でも大丈夫だよ。この通り腕が一本犠牲になったくらいで済んだ。魔法さまさまだね」


「なにを言ってるんですか! 十分に大怪我です! 早く保健室に……いえ、それより先にティアラさんを探して……!」


「落ち着きなよ。冷静さを欠くと正しい判断ができなくなる」


「むしろなぜ本人がそれほど落ち着いていられるんですか! もう少し焦ってください! 腕が折れているんですよ!?」


「えぇ……。そんなこと言われてもね。意外と元気だからなんとかなるよ。それより彼女のほうが心配かな」


 そう言って目の前の少女を見る。ラフラだ。


 彼女はリリアが現れてからもずっと泣いたまま。正直、こっちのほうがオロオロとしてしまう。


 リリアもそういえば、と彼女の存在を思い出した。


「そう言えばなぜラフラさんもご一緒に? ラフラさんがなにかしたんですか?」


「ううん。そういうわけじゃ——」


「ラフラが! 屋上から飛び降りようとしたせいで、マリウス様が!」


 ……ら、ラフラさん?


 いま誤魔化そうとしてたのに、自分で自分の過ちをバラした。


 おかげでリリアの瞳がすうぅっと細められる。


 これは、確実に怒っている顔だ。果たして、彼女はどちらに怒っているのか。


 泣きじゃくるラフラから視線を外したまま、俺は硬直するのだった。


———————————————————————

あとがき。


祝!200話達成!

もう思い残すことはありません……!

あと二話、お付き合いお願いします!

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