第190話 落下
屋上の扉を開ける。
転がり込むようにして外に出ると、落ちそうになっていたラフラを見つける。
彼女はこちらに視線を向けると、どこか悲しげに呟いた。
「マリウス様……」
対する俺は、声を荒げて叫ぶ。
「それ、だけは……絶対に、させないぞ!」
と。
そして息をゆっくりと整えて会話をはじめた。
「……止めないでください。ラフラはマリウス様たちに謝る必要があります。詫びる必要があります。責任を取る必要があるんです」
「誰もそんな方法は望んでない。ただ頭を下げるだけじゃダメなのか?」
「ダメです。ラフラは許されない罪を犯しました」
「リリアはおまえを許したはずだ。なのに、なぜ」
数日前。
彼女は王族であるリリアをハサミで襲おうとした。最終的にラフラは攻撃をしないまま俺に説得される形になったが、その時のことも含めてリリアは彼女を許した。
ビンタを浴びせることで笑顔で別れを告げたじゃないか。
俺だってそうだ。これ以上だれにも傷付いてほしくなくてラフラを責めなかった。彼女ならきっと反省してくれると信じて。今度こそ、と。
だが、その想いは違う方向で裏切られた。かつての自身を取り戻した彼女は、あろうことか自殺を試みる。
心優しいラフラには耐えられない重荷だったのだろう。気持ちはわかる。痛いくらいに理解できる。理解できるが……。
それを黙って認めることはできなかった。
「たしかにリリア王女殿下はラフラを許してくれました。あんな真似をしたラフラを、それでも彼女は気にしていない風に笑った。——だからこそ!」
キ————ン。
ラフラの甲高い叫び声が屋上に響く。両手で頭をかきむしるようにして彼女は泣いた。
「だからこそ……ラフラはラフラを許せない! 他人の優しさに付け入り、誰かを害することしかできない自分自身が許せない!!」
ぱらぱらと数本の髪が抜ける。風に乗って髪はどこかへ運ばれ、虚ろなラフラの瞳が隙間から覗く。
「わかるよ。ラフラは優しい子だ。気にするのはわかる。けど、ラフラが死んだら誰も喜ばない。ラフラが生きていてくれることで助かる人もいる。リリアだって、ラフラにそこまでしてほしいわけじゃない。もちろん、セシリアやフローラもね」
それにティアラやフォルネイヤもだ。
みんな、悪評を流されたりしたくらいで実害にはあっていない。恨みこそして、ラフラに殺意のような感情など抱いていないのだ。
だから、こっちに来てほしい。その願いを込めて一歩前に踏み出した。同時に右手を彼女へ差し出す。
「だからこっちにおいで。飛び降りは怖いよ。痛いよ。死ぬのは辛い。生きて反省して、一緒にまた学校生活を楽しもう」
「……なんで、マリウス様はそこまでラフラを気にかけるのですか? 好きではないのでしょう? 婚約者にしたくはないのでしょう? 冷たくあしらってさえくれれば、ラフラは……」
「おいおい、勝手に決め付けないでくれよ。たしかに婚約者にはできないって言ったけど、なにもラフラのことを嫌いだなんて言ってないだろ? すでにひとりいるんだから、そう簡単には作れないのさ。それに——……俺は、ラフラのことは好きだよ」
「ッ——!?」
ラフラが目に見えて狼狽える。
顔を赤くして、瞳がぐるぐると渦を巻いていた。反面、それ以上は言わないでほしい、という感情も浮かぶ。
——これはチャンスだ。
いまのラフラは精神的にかなり弱っている。弱っているから自殺なんて考える。
だったら、逆に付け入る隙にしてしまえばいい。
少々彼女には悪いが、正直な気持ちでもある。直接、言わせてもらおうか。
内心でリリアに謝罪しつつ、俺は笑顔を浮かべて言った。
「ラフラは昔から優しくて、人の痛みがわかるいい子だった。初めてあった時から、君のことは好意的に見てた。少しだけ外見や性格に変化はあったけど、俺を想ってくれる気持ちも嫌じゃない。ちょっと度は越してたけど、それも俺のためだろう? そこまで想ってくれる相手に、嫌悪感なんて抱かないさ」
そう言って一歩、また一歩と前にいく。近付くに連れて、ラフラの心に変化が訪れた。
——死にたくないという気持ちが出てきたのだ。足が震え、自殺に対する躊躇が生まれた。
さらに突き進む。
「リリアたちもそこまで嫌ってないよ。学園内の噂を積極的に否定してるくらいだからね。もちろんラフラの噂を。さあ、戻っておいで。ラフラの場所はこっちだよ」
「……! ま、マリウス、様……」
手を引っ込めようとするラフラ。どこまでも強情な子だ。
あと少しで彼女に届く。彼女の心にだって届く。
だからよりいっそう手を伸ばし——かけて、それより先に、強い風が吹く。
「——へ?」
足場の悪い場所に立っていたラフラの体がぐらついた。
慌てて手を伸ばす。しかし。
俺の手は空を切り、ラフラが後ろに倒れた。
そのままスローモーションのように俺の視界から消える。
屋上から、彼女が落ちた。
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