第189話 世界からの退場

 それは偶然だった。


 思考を巡らせたことによる奇跡。先ほどまでの動作を繰り返すように外を見た。


 すると、視界の端に人影が映る。それを追って視線が上にあがると、本来は生徒など立ち寄らない屋上にだれかいた。


 目を凝らしてみてハッキリする。特徴的な髪色だったから。


「——ラフラ?」


「? はい?」


 俺の呟きをそばにいたリリアが拾う。疑問符を浮かべた彼女に、しかし俺は構う余裕がなかった。


 ——なんで、ラフラがあんな所に?


 屋上は危険だから校則で立ち寄ってはならないことになっている。当然、他に生徒の姿はない。


 不思議と、彼女の姿を見ているだけで心臓がバクバクと早鐘を打った。


 嫌な予感がする。屋上とラフラという組み合わせが、ありえないはずの未来を想像させた。


 ——飛び降り。


 前世ではありふれた自殺の方法。特に自殺国家とさえ言われた日本では、首吊りについで飛び降り系の自殺が多かったと記憶している。


 まあ、俺の前世の記憶など大してあてにならない。なにかそういう統計を見たわけじゃない。


 だが、今はそれは関係なかった。問題なのは、ラフラが屋上にいるっていう事実。


 胸騒ぎがする。早く止めないとまずいことになる気がした。


 ゆっくりと席を立つ。振り返り、首を傾げるリリアに短く告げた。


「わ、悪い、リリア! 俺、行かないと! ラフラが屋上にいるんだ!」


「……え? ラフラさんが? なぜ?」


「さあな!」


 雑に会話をぶった切って走る。身体強化魔法を使うと、角など曲がりきれない恐れがあるため、自分自身の脚力のみで廊下を駆け抜ける。


 階段を何段も飛ばしながら上がっていき、汗を滲ませながらラフラのもとへ向かう。


 途中、すれ違ったセシリアやフローラたちが驚愕を浮かべていたが、彼女たちに構ってる暇はない。


 急いで屋上を目指した。




 ▼




 視界に青空が広がる。鳥が泳ぐように軽やかな動きで飛んでいた。


 それらの光景を眺めながら、ラフラは屋上の端に足をかける。


「自分は絶対に死ねない人間だと思ってました。いざという時、醜く生にしがみ付く人間だと」


 けれど、とラフラは笑う。


「けれど、人は存外に脆い生き物ですね。一度でも決心するとあっけなく死ねる……。昔は恐ろしかったはずなのに、いまは何も感じない……。見下ろした先に安堵すら抱けてしまう」


 それは果たして彼女の逃げなのか。


 辛い現実を受け止めきれず、人生そのものから退場しようとしているのか。


 ズルいとはラフラ自身も思っている。


 楽な逃げ道だと自分を馬鹿にする。


 だが、無理だった。辛い現実を認め、受け入れ、それでも前に進むほどの度胸と勇気、強い心はラフラにはなかった。


 早々に諦めてしまう。もう自分はマリウスたちのそばにはいれないのだと。


「ああ……せめて、来世でもあなたと一緒に過ごしたい。今世では失敗しましたが、この想いに欠片ほどの変化や迷いはありません。どうか神様……次こそは、マリウス様と幸せな日々を……」


 世界そのものに別れを告げる。


 何度も何度も心の中でマリウスと父に詫びる。


 特に父には、死後、ものすごい迷惑をかける。きっとたくさん怒られるだろう。不出来な娘だったと嫌われるだろう。


 けれど、自分自身が許せない彼女に逃げる以外の選択肢はなかった。


 たとえそれが間違っていようと、償う方法としてもっともシンプルでわかりやすい。


 だから、ラフラはさらに一歩前に踏み出した。


 もう一歩先へ足を動かせば、高所からの落下を果たせる。


 ぎゅっと目を瞑り、祈るように両手を合わせて足を——。




 動かす直前、ラフラの背後で扉が開く。


 甲高い音を立てて、荒い呼吸を繰り返すひとりの青年が乱入してきた。


 おそるおそるそちらへ視線を向けたラフラの目が見開かれる。


 震える声で、彼女は乱入者の名前を呟いた。どこか、泣きそうな声で。




「マリウス……様」


 一方の乱入者ことマリウスも、呼吸を整えながら口を開く。


 汗を流しながらも叫んだ。


「それ、だけは……絶対に、させないぞ!」


 再び、ふたりの運命が重なる。

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