第186話 めでたしめでたし……?

 パアァッン! という、乾いた音が響く。


 リリアの右手が、ラフラの頬を叩いた。


「マリウス様はお優しいですからね。きっとラフラさんを許すと思ってました。そもそも、ラフラさんを助けるために行動してましたし。——ですが、私は話が違います。あなたには容赦しません。マリウス様の意思は尊重しますが、それでも許せないことはあります。マリウス様を困らせ、周りに迷惑をかけ、親友にまで嫌がらせをしたあなたを私は許しません。許さない。……そう、思っていました」


 自らの手をさすりながらフッとリリアは笑みを浮かべる。慈愛すら感じさせるその眼差しが捉えたのは、俺ではない。ラフラだった。


「けど、まあ……いまの一発で許しましょう。たしかにあなたは本来、許されないような事をしました。簡単に許していい問題でもありません。複雑な気持ちです。ただ、一番苦しみ、一番悩み、しかしあなたに手を差し伸べようと最後まで優しさを貫いた夫のために……ええ、許しましょう。ラフラさんの気持ちがわからない私ではないので」


「り、リリア……王女殿下……」


 涙を流すラフラの視界には、「やれやれ」という顔のリリアが映っているに違いない。


 俺も少しだけ意外だった。


 リリアのことだから、ラフラには今後も厳しく接すると思ってた。俺の手前、批判や非難などはしないが、それでも気持ちは燻ると。


 だが、蓋を開けてみればどうだ。


 最終的にはリリアが一番の善人だった。改めて彼女に惚れなおす。


「ありがとうリリア。ラフラを許してくれて」


「さすがに立場が逆転して私が虐めるのも後味が悪いですからね。マリウス様はすでに私のもの。被害はほとんど出てませんし、考えさえ改めてもらえるならまだ間に合います。……特別ですよ」


「わかってる。俺の婚約者は最高だね」


 でも俺は忘れない。忘れてない。


 ラフラとの真面目な話の中で、さらっと俺のことを「夫」と言ったことを。


 たびたび出るそのマウント? はなんなんだろう。まだ結婚してないのに。というか、前世基準だと結婚できる年齢ですらないんだが、俺。


「ラフラは……ラフラは……!」


 俺がリリアの発言にヤキモキしているあいだに、顔を伏せたラフラの涙が止まらない。


 表情は見えなくなったが、落ち込むその姿を見るだけで彼女が変わったのだとわかる。


 自らの醜さを省みて、リリアの輝きに当てられたのだろう。


 ラフラが漏らす嗚咽の中には、後悔と謝罪の言葉が含まれていた。




 ▼




 しばらくしてから泣き止んだラフラと別れる。彼女は自分の部屋に戻るとのこと。


 ひとりで考えたいことがあるらしい。それを止める権利は俺たちにはない。


 改めて深々と頭を下げるラフラに手を振って教室に戻る。


 その傍ら、一緒に歩くリリアへ声をかけた。


「お疲れ様、リリア。すごくカッコよかったよ」


「……女性に向かって、それも婚約者に向かって言う言葉ではありませんよ。私はカッコいいより、可愛い、と言ってもらったほうが嬉しいですっ」


 ぷいっと顔を逸らすリリア。ちょっとだけ頬を膨らませる姿が可愛かった。


 くすりと笑って彼女の要望に答える。


「ふふ。ごめんごめん。でも本当に立派だったよ。これまでで一番リリアがカッコよく見えたかも。もちろん、俺の婚約者がこの世界で一番かわいいっていう前提の上でね」


「本当ですか? 未だに余計な言葉があるみたいですけど」


 じろり、とリリアの視線が戻る。


 俺は右手で横に並ぶ彼女の腰を引き寄せた。かすかにくっ付く俺とリリア。


 少々歩きにくい感はあるが、彼女は決して離れようとはしなかった。


 わずかに頬を赤くして照れる。


「本当だよ。リリアは可愛い。リリアが一番可愛い。リリアが世界で一番。可愛い、可愛い、可愛い」


「——み、耳元で何度も囁かないでください! その素敵な声で私を魅了しないでください! 私はとっくにマリウス様に堕ちてますがね!」


「どんな反応」


 徐々に顔を真っ赤にしていくリリア。羞恥心が限界を振り切ったのか、声を荒げて俺のそばから離れてしまった。


 ずんずんと先に教室へ戻っていく。


 その背中を見送ってから、左側にはめられた窓の外を眺める。


 空は晴天。鳥たちが優雅に飛んでいた。咲き誇る花の花弁は美しく、もうなにも心配いらないよ、と俺に告げているようにも見えた。




 しかし。


 なぜだろう。この胸元に抱えたモヤモヤが、未だ晴れないのは……。


 もう、すべては終わったというのに。

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