第184話 あなたさえ居なければ!

 ラフラとの騒動から一日が経った。


 今日は平和な日常が待っていると信じている。


「おはようございます、マリウス様」


 教室に入ると、すでに登校していたリリアに声をかけられた。


 笑みを浮かべて挨拶を返す。


「おはようリリア。今日も早いな」


「これでも第三王女ですからね。皆さんの模範となるべく行動するのが信条ですっ」


 そう言って彼女は胸を張る。


「だったらいい加減、癇癪を起こしてフローラ先輩を縛るのをやめたら? 他の生徒が真似したら困るわ」


「セシリア……。なんですか、もう。藪から棒に」


 リリアの後ろからセシリアが姿を見せる。


 どこか憂いを帯びた眼差しで彼女は続ける。


「だって普通に考えておかしいでしょう? これまで誰も言わなかったけど、王女様が鎖持ってうろつくのは……ね?」


「むむ! まるで私のことを不審者みたいに言いますが、それなら私だってセシリアに言いたいことがあります!」


「な、何よ……」


「自室で特注のマリウス様人形を相手に、いつもなにやっているんですか? ものすごく気になります。プライバシーの侵害なのであまり見てませんが、さすがに人形相手に欲じょ——」


「わぁあああああああ————!!」


 台詞の途中で、セシリアが凄まじい叫び声をあげた。びりびりと教室中に響く。


 周りから多数の視線を向けられるが、構わずセシリアはリリアの口を両手で塞ぐ。顔が真っ赤になっていた。


「な、なななななんでそれを知ってるの!? っていうか、疑問系なのに答え知ってるような口ぶりよね!? ふざけんじゃないわよ!」


「もごご、もごもご……」


 リリアがなにか言ってる。おそらく返事を返しているんだろうが、口を塞がれているため何を言ってるのかサッパリだ。


「えっと……何の話だ? 俺にもわかるように言ってほしいな」


「マリウスは聞かなくてもいいの! というか聞かれたら私は絶対に自殺する。あなたたちを刺して死んでやるわ……ふふ、ふふふふ」


「いやそれ、一番困るの君の家だよね……」


 第三王女と公爵子息を刺殺するって、普通に考えてとんでもない罪に問われる。


 前世の日本なら、個人の犯罪は個人の罪として裁かれるが、この異世界にそんな優しい法律はない。


 実行犯のセシリアがその後どうなろうと、アクアマリン公爵家は没落の道を辿るだろう。ってか、一族郎党斬首レベルの大罪だ。


「もごごご……もご。——ぷはっ! いい加減、手を離してください、セシリア。暑苦しいです」


 ようやくセシリアの手を退けることに成功したリリア。すうはぁ、と呼吸を整えていた。


「あなたが変なことを言うからでしょう!? 仮にも一国の王女様が殿方の前でそんなこと言わないの!」


「では人目を避けたら言ってもいいと? マリウス様に」


「ダメに決まってるでしょ」


 日本人形ばりの恐怖を抱かせる眼差しでリリアを睨むセシリア。


 今日のセシリアも実に面白い。


「……あ。そろそろチャイムが鳴るから席に座ろう。いつまでも入り口で駄弁ってたらほかの人の邪魔になるしね」


「あら、もうそんな時間ですか。セシリアがうるさいから気付きませんでしたわ」


「あなたのせいだけどね! あなたの!」


 ぎゃあぎゃあ騒ぐセシリアを無視して、俺もリリアも自分の席に座った。


 授業がはじまる。




 ▼




 午前中の授業がすべて終わった。


 マリウスたちと食事にいく前に、リリアはトイレへ向かう。


 近場のトイレは時間帯的に混んでいたため、少し離れたトイレへ足を運んだ。


 珍しく人の気配がない廊下を通る。


 すると、正面から見覚えのある生徒が歩いてきた。


 視界に映った途端、その相手が誰なのか彼女は知る。


 見覚えがある、なんてものじゃない。自分にとって、あまり会いたくなかった女生徒だ。


 ——ラフラ・バレンタイン。


 愛する婚約者マリウスに迷惑をかけるだけじゃない。その周りの人物にまで迷惑をかけた女。


 自然と視線が鋭くなる。


 だが、リリアは怒鳴りたい気持ちを堪えて彼女の横を通り過ぎようとした。


 けれどそれより先にラフラが足を止める。


 反射的にリリアも足を止めた。


 ほとんど目の前で止まる二人の女性。


 ラフラが顔を上げた。そのときの表情は、酷くやつれているものだとわかる。


「ラフラさん……あなた……」


 いくらなんでもやつれすぎている。


 睡眠不足らしい隈。ストレスで乱れた髪。なにより、その瞳が黒く濁りきっていた。


 見たことがある目だ。


 かつてマリウス相手に精神が不安定だった自分のような……。


 ——そこまで考えたところで、ラフラが動く。


 懐に手を入れ、なにを取り出そうとしていた。


 嫌な予感がする。胸がざわついた。


 しかし、最後の最後でラフラの動が止まる。なにかを躊躇するように視線が左右へブレた。


 荒々しい呼吸は、葛藤と怒りのせめぎ合い。


 最終的にラフラの感情は————怒りで満たされてしまった。


 取り出したのは、当たり障りのない鋏。


 陽光を反射して輝く鋏を振り上げて、ラフラは涙を滲ませる。


「あなたさえ……! あなたさえ居なければ!!」


 口元から零れた激情。それを受け止めたリリアは……不思議と、寂しそうな表情を浮かべた。

 メイドがラフラの凶行を防ごうと前に出る——直前。




「……ダメだよ、ラフラ」


 ひとりの男性が現れる。

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