第183話 甘酸っぱい

 ラフラが中央棟からいなくなって5分。


 階段の下に集まった俺たちはホッと胸を撫で下ろす。


「ふう……。なんとか上手くいったな。最初、リリアからこの話を聞いたときは緊張したよ。俺が一番重要なポジションだったからね」


「ふふ。マリウス様だからこそ信用できたんです。必ずラフラさんを受け止めてくれる、と」


「リリアからの信用は嬉しいけど、ただの学生には冷や汗ものだったよ」


 実際、ラフラをキャッチしてから背中の汗がヤバい。緊迫した空気を読んで表情には出さなかったが、今すぐ風呂に入りたい気分だ。


「お姉ちゃん的にはものすごくカッコよかったよー! マリウスくんは役者に向いてるかもね!」


「なにを……。俺が役者に向いてるなら、リリアのほうが凄かったよ。真に迫ってた」


 フローラの褒め言葉を軽く流す。


 真に褒められるべきはリリアだ。階段の下でかすかに聞こえた声は、それが演技とはとても思えなかった。


 まさに前世でいう女優レベルである。


「それはそうですよ。だってあれは演技じゃありませんから。本気で怒っていました、私は」


「……え? そ、そうなの?」


 意外だ。俺とフローラ以外にはあまり怒ったりしないリリアが、本気で怒ってた?


 わずかに背筋が震えたのは、そのせいだったりするのかな?


 自分で言ってて哀しくなった。


「私は最初からリリアが本気だったことに気付いてたわ」


「さすがですね、セシリア。幼馴染だけあります」


「まあね。あれは、よくフローラ先輩に向けていた目によく似てたから」


「——え!? しょ、衝撃の事実なんですけど!? お姉ちゃんラフラさんのことばかり見てて気付かなかったよ! どうりで背筋に寒気を感じたわけだ……」


 おいフローラよ。俺と同じか、お前も。


 変なところでシンクロする従姉妹殿。ぜんぜん嬉しくなかった。だってそれは、俺とフローラだけ身に覚えがあるほど怒られたっていう証拠なのだから。


「でも、ラフラさんを逃がしちゃってよかったの? いろいろ問い詰めたほうがお姉ちゃんはいいと思うけどなぁ」


「いいえ。あれでいいんです。今度こそラフラさんは正気を失うはず。焦りが頂点に達し、これまで以上に短絡的な思考に陥るでしょう。ふふ。きっと簡単にボロを出しますよ。手に取るようにわかる」


「うわぁ……。見てよマリウスくん。あの王女殿下の邪悪な笑み。このまま王女殿下と結婚なんかしたら、あの笑みがマリウスくんにも向けられるんだよ? 危険じゃない? やっぱりマリウスくんの正妻にはこのお姉ちゃんがだね——」


 ——じゃら。


「ひぃっ!?」


 金属の擦れる音が聞こえた。条件反射でフローラが肩を震わせる。


 全員の視線が、リリアの手元に集中した。そこには、当たり前のように鎖が握られている。


「まったく……。今回ばかりは協力してくれて好感度も上がったんですがね……。あなたはすーぐそうやって調子に乗る。巷で囁かれる聖女という名に傷が付きますよ?」


 一歩、また一歩とリリアがフローラに近付く。ゆっくりと、恐怖を植えつけるために。


 逆にフローラは同じくらい後ろに下がった。それが無意味だとわかっていながら。


「り、リリア殿下? ちょっと顔が怖いですよ? いつもより!」


「いつもよりは余計です。さっさと捕まってください。あなたの心がより綺麗なものになるよう、祈りながら教会の屋根に吊るしますから」


「そんなの全然効果ないから! 絶対に違う扉を開いちゃうよ! 恐怖という名の扉を!」


 そう言ってフローラは踵を返す。全速力で廊下の奥へと逃亡をはじめた。


「なに意味わからないことを……。待ちなさい!」


 逃げるフローラを追いかけるリリア。その姿は、とても一国の王女には見えなかった。


 次第に二人の背中が消える。


「……行っちゃったね」


「……行っちゃったわね」


 その場に取り残された俺とセシリアは、同時に「ハァ」と深いため息を漏らした。


 その息が意味するのは、きっと互いの幼馴染と従姉妹が問題だろう。


 色んな意味で一番気が合うのはセシリアだったりするのかもしれない。


「とりあえず俺たちも帰るか。もう時間も遅いしな」


「ええ。……あ、待って!」


「セシリア?」


 歩き出そうとした俺の、制服の袖を彼女が掴む。


 視線だけを向けると、セシリアはどこか恥ずかしそうに頬を赤くしながら言った。


「その……せっかく、二人きりじゃない? だから、もう少しだけゆっくり話せない、かな? 最近、マリウスとあまりお話できていない気がして……」


「……うん。いいよ。そういえばそうだったかもしれない」


 甘えてくるセシリアを振り払うことはできなかった。


 彼女の手を握り、寮のある方角とは別の道を進む。


 ゆっくり話すなら、やっぱり人目の少ない個室が一番だ。


 嬉しそうに「ありがとう、マリウス! だ、だだだ、大好き……」と声を震わせながら言うセシリアとともに、夕陽に染まった廊下を歩く。


 そこに言葉は必要ない。ただ、ちょっぴり甘酸っぱい空気だけが広がった。

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