第180話 砕かれる悪意

「リリアがラフラに呼ばれた……?」




 教室に戻ってきたリリアは、開口一番にそんなことを言った。


 その場に集まった誰もが俺と同じ疑問を口にする。


「どういうこと? まさか今度はリリアになにかをするつもり? これでも王女よ?」


「その発言は後ほどきっちりとお伺いしますね、セシリア。ですが、そこまでしないといけない、と思うほど彼女が追い詰められている証拠です。これは面白くなりますよ」


「面白いって……。当人がそんなこと言っちゃダメだろ。なにをされるか分からないんだぞ、リリア」


「ええ。存じています。ラフラさんは私に正式に謝罪したいそうですが、普通に考えて中央棟に飛び出す必要はありません。しかも階段上とはまた……」


「露骨だよねぇ。露骨すぎてお姉ちゃんでもその意図がわかっちゃうよ~」


「……なんでフローラさんがここがいるんですか。一年生の教室ですよって何度言えば?」


 じろり、と俺の隣に並ぶ二年生——フローラをリリアが睨む。


 睨まれた当人はケロっとした表情で、悪びれることもなく答えた。


「そりゃあマリウスくんがいるからねぇ。マリウスくんのいる所にお姉ちゃんあり! だよ」


「無理やり縛って二年生の教室に置いていきますか……。やれやれ。毎度毎度、私に手間をかけさせないでください。あなたを縛るのに慣れたら、マリウス様に野蛮な婚約者だと思われてしまいます」


「とかなんとか言いながら、普通に鎖を取り出したよこの人。いいの、マリウスくん? キミの婚約者がどんどんおかしな方向に尖っていってるけど」


 懐からフローラ専用の鎖を取り出すリリア。それを見たフローラが、なんとも悲しげな視線をこちらに送ってくる。


 だが、俺はもう慣れた。俺も縛られることあるし、こういうのは現実を直視しないにかぎる。


 それに、さ。よく言うだろ?


 手のかかる子ほど愛おしいって。


 ……言わない? まあまあ。俺自身もそうだからさ。文句言えないんだ……。


 どこか悟った笑顔を浮かべて、フローラに「大丈夫」と無言の返事を返した。


「マリウスくんもこの光景に慣れたもんだねぇ。最初の頃はお姉ちゃんを助けてくれてたはずなのに……」


「あなたは少しくらい成長してください、フローラ先輩」


「セシリア様まで厳しい!」


 リリアにぐるぐる巻きにされたフローラ。地面でジタバタと暴れながらも連れ去られることはなかった。


 どうやら、最後まで会話には参加させるらしい。パンパン、と手を叩いたリリアが話を続ける。


「とりあえず、私はラフラさんの話に乗ってみようかと思います」


「危険だよ。階段の上ってことは、また階段から落ちるか落とされる可能性が……」


「承知の上ですわ、マリウス様。ラフラさんが落ちるのも、ラフラさんに落とされるのも」


「わかっていて行くって言うのか!? そんなの、婚約者である俺が納得できるわけ……!」


「ええ。ええ。マリウス様は私のことが心配で心配で心配でしょうがないのでしょう? わかっています」


「そこまでは言ってない」


 冷静なセシリアの突っ込みが入る。


 しかし、リリアはそれを無視して言った。


「けれど、この一連の騒動を止めるためにも。彼女には決定的なダメージを与えないといけません。いまの冷静さを欠いたラフラさんになら、今回の件は致命傷になるはず。だからこそ、私は行くのです」


「で、でも……。だからって……」


 俺は心の底から納得できなかった。好きな相手を、危険だとわかっているのに送り出せるものか。


「ふふ。わかっています。マリウス様が納得できないのは。セシリアだってそうなんでしょう? 顔に書いてありますよ。不服だって」


「当たり前じゃない。親友で幼馴染なのよ? 黙って見送るくらいなら、私が直接ラフラ・バレンタインのもとへ乗り込むわ」


「男らしい意見ですね。でも、その必要はありません。だって、私ひとりで行くわけないですから」


「……え? それってどういう……」


 思わず俺がそう尋ねると、リリアはさらに笑みを不敵なものに変えた。


「相手が最初からなにかを企んでいるのなら、こちらは数で乗り越えよう……というだけのこと。手伝ってもらえますよね、マリウス様」


「お、俺? 俺にできることならなんでもするけど……。なにか、役に立つことが?」


「それはもう! 先ほどあなた自身も仰っていたではありませんか。階段から落とされるかも、と。その対処にですね?」


「う、うん?」


 ひそひそと、リリアは声を抑えて俺に告げる。その内容は、非常にシンプルなお願いだった。




 ▼




 放課後。


 鞄を手にしたリリアは、中央棟の階段上に立っていた。ラフラと約束した時間だ。そろそろ彼女が来ると思われる。


 そう思っていたら、ものの数分ほどでラフラが姿を現した。


 足取りはあまり正確ではなく、瞳も生気を失っているように見える。


 典型的な動揺状態。焦りと怒りを隠しきれていない。


 ——これなら、いける。


 彼女を見てリリアはたしかにそう結論を出した。


 すると、リリアの目の前でラフラは動きを止める。虚ろな瞳でリリアを一瞥すると、ふいに、周りをたしかめて……。


「ふふっ」


 小さく笑った。


 その瞬間。


 彼女は勢いよく横に取り付けられた階段へと飛んだ。当然、その先に床は続いていない。二階から一階へと真っ逆さまに落ちていく。


 怪我は必至——と思われていた。


 だが、そんな彼女を、階段の隅に隠れていた人物が飛び出して受け止める。


 その姿を見て、地面より柔らかな感触を得て、ラフラは驚愕とともに目を見開いた。


 嘘だ。嘘だといわんばかりに彼の名前を呟く。




「——ま、マリウス様……!?」

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