第167話 消えない予感
「もしかすると……ラフラさんが何かしたのかもしれませんね」
声を潜めて、しかし確実にリリアがそう言った。
誰もが驚く。
その想像をしてなかったわけじゃない。
恐らくみんなが一度は同じことを思った。
それでも口に出さなかったのは、明確な証拠がないため。
実際に現場を見たわけでもない俺たちが、安易にラフラの罪を問えなかった。
にも関わらず、リリアは言う。
どこか確信めいたものを抱きながら。
「どうしてそう思った?」
単刀直入に尋ねる。
リリアの視線が俺に向けられた。
「理由は単純です。私自身がラフラさんをそういった目で見ているから。あの方は、私と同じタイプです。目的のためならなんでもする。そういう人間なんですよきっと。事実、過去にどれだけ問題を起こしたか」
「たしかにそうだけど……なにも証拠がないからな」
「それで言うと、フォルネイヤ会長がなにかをしたという明確な証拠もないのでは?」
「……たしかに」
言われてみるとそうだ。
アナスタシアから聞いた話に、ひとつでも暴力やら暴言を振るい吐いたというものはなかった。
あくまで、そういう現場を見たってだけ。
被害者側に責任を問えないのはもちろん、加害者側にだってまだ責任は問えない。
まあ、そもそもの話が違うんだが。
あくまで今回の件は、侯爵令嬢が伯爵令嬢の足を引っ掛けたってだけ。
言い方は悪いが、問題になるほどじゃない。
たとえフォルネイヤ会長が悪意を持ってラフラを転ばせたとしても、それを罪には問えない。ラフラとて表立って彼女を糾弾できない。
ここはそういう世界だ。
生まれながらに明確な格差社会がある。
仮にラフラがフォルネイヤ会長に殴られた、ということなら話も変わるが。
それはもう暴力沙汰だ。証拠さえあれば格上貴族の令嬢だろうと罪に問えるかもしれない。
でもただ転んだだけ。
事故だといえばなんとでもなる。
だから、そこまで深く考える必要もない。
だが、俺はふと嫌な予感が脳裏に浮かんだ。
確証こそないものの、妙に胸がざわつく。
唯一、何かが……この学院内部でなにかが起きようとしていた。
それだけは、自信を持って言える。
恐らくリリアも同じ気持ちを抱いたのだろう。真剣な表情を崩さないまま彼女は続けた。
「そういうわけなので、皆さんもラフラさんにはくれぐれも注意してくださいね。なるべく人通りの少ない道は避けるべきでしょう。あと、ひとりで行動するのもよくないかと」
「俺も?」
「マリウス様は……まあ、平気でしょうね。仮にラフラさんがなにかするとして、直接的な被害を与えるとは思えません。想いをぶつけるのはともかく、明確な嫌がらせを本人にするタイプではありませんでしたから」
「そう……だな」
リリアの言うとおり。
頻繁に届く大量のラブレターとか、気持ちの悪いプレゼントなんかを除けば、ラフラは絶対に俺だけには手を出さなかった。
矛先のすべては周りの女性へと向いた。
相手側にキレるタイプのヤンデレみたいだな、まるで。
それでいうとリリアは完全に好きな相手に手を出すタイプだから困る。
いい加減俺の剣を返してほしい。
「どうかしましたか? マリウス様。なにか言いたげな顔ですが」
「……イエ、ナンデモアリマセン」
さらっと俺の心を読んだリリア。
視線を逸らしてすっとぼけると、ずずいっと彼女の顔が近付く。
黒い瞳が俺を貫くが、それでも無視を決め込む。
汗を流しながらも沈黙を貫くと、やがてリリアは「……そうですか」と低い声で呟いてから顔を離した。
超怖かったです。
「では、皆さんそういうことで。マリウス様以外は絶対に気をつけるように。特にティアラさん、あなたですよ」
「え? 私ですか?」
「ええ。フォルネイヤ会長が狙われたとしたら、この中で一番の友人はあなたです。繋がりからして狙われる可能性が一番高いですよ」
「えぇ!? こ、怖いこと言わないでくださいよ……」
「だから注意したんです。誰でもいいから頼ってくださいね」
「……はい。ありがとうございます、リリア王女殿下」
そこで話は終わった。
HRを告げる鐘の音が校内中に響き渡り、俺たちは席につく。
教室に先生が入ってきてもなお、俺の胸中から嫌な予感は消えることがなかった。
▼
午前中の授業がすべて終わる。
昼休みに突入するや否や、すぐにトイレへ向かった俺。
近場のトイレは珍しく混んでいたので、少しだけ教室から離れたトイレを使う。
すると、その帰り道。
「……マリウス様」
暗い表情でこちらに向かってくるラフラが見えた。
ピクリと一瞬だけ体を強張らせて、俺は口を開く。
「……やあ、ラフラ。ちょうど、君に会いたかったところだよ」
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