第163話 雪解け

 フォルネイヤ・スノー侯爵令嬢。


 彼女は、呪いによる被害を受けていた。


 今では友人のティアラ・カラーがいなければ、まともに学園生活も送れないほどに呪いは酷かった。


 毎日のように苦しみ、より強くなっていく呪いに怯えていた。


 いつしか、彼女は笑わなくなった。


 いつしか、彼女は誰とも群れなくなった。


 いつかは死ぬ命だと見切りをつけて、それまでの人生を平凡に過ごした。


 唯一の救いは、太陽のように笑顔を振りまく友人の存在。




 ティアラ・カラーは、フォルネイヤにとっての太陽だった。




 しかし、そこに新たな太陽が現れる。


 マリウス・グレイロードだ。


 マリウスは、パーティーで顔を合わせただけのフォルネイヤを救った。


 自分の身に危険が迫ることも厭わず、暗闇に手を伸ばした。


 最後にはティアラすら守りきり、自分ひとりが犠牲になってフォルネイヤを救った。


 その結果、マリウスは記憶の一部を失ってしまう。


 その一部は、これまでのマリウスの人生の一部だった。


 親しい人物すべての顔と名前を忘れたマリウスは、まるで逃げるように王都から姿を消した。


 それを追いかける旅に参加したのは、ティアラへの罪悪感ゆえ。


 自分が悪い。


 自分が大人しく死ななかったせいで、マリウスを陥れることになった。


 多くのヒロインたちの中で、フォルネイヤだけが自分を責め続けた。


 だが、それを知ったティアラはフォルネイヤに言う。




「マリウス様の記憶が消えたのがフォルのせいなら、責任の一旦は私にもある。フォルを助けたいとマリウス様に頼んだのは、他でもない私なんだから。ひとりで全部抱えないで! 一緒に……一緒に罪を背負おうよ! フォル!」




 その言葉に、またしてもフォルネイヤは救われた。


 彼女の心は正しい。聖属性の魔法を持っているから正しいのではない。


 ティアラ・カラーは、その正しき心が聖属性魔法を生み出したのだとわかる。


 以降、フォルネイヤは下を向くのをやめた。


 マリウスに感謝と恩を返すべく行動するようになった。


 いまだ完全に罪悪感が薄れたわけではないが、ティアラのおかげで幾分かマシにはなった。


 それに……。


 フォルネイヤは心の中で、いつしか一人の顔がちらつくようになった。


 誰かは言わずもがな。


 時折、暇を見つけると彼の名前を呟いてしまう。


「マリウス……」


 今もそうだった。


 彼に会えないのが寂しい?


 彼と話せないのが哀しい?


 彼の顔を見ないと虚しい?


 よくわからない。自分の心でさえ、把握しきれていない。


 それでも。たしかに変わったことがある。


 前までは、ティアラがマリウスと仲良くなるように仕組んだ。


 その気持ちが、気付けば羨ましいと思うようになった。


 わかってる。わかっている。


 この気持ちは蓋をするべきものだ。叶えようとしてはいけない。


 すでにマリウスには魅力的な女性が多くそばにいる。


 そこに自分までもが加われば、ティアラを裏切る形になってしまう。


 この気持ちは必要のないものだ。


 ティアラさえ応援すればいい。彼女さえ幸せならそれでいい。


 ——そう、フォルネイヤは思っていた。


 でも……もしも、許されるなら……。


「ティアラと一緒に……」


 彼女となら、ぜんぜん恥ずかしくない。彼女となら、自分は素直になれるかもしれない。


 そう思った。




 直後。




 廊下の奥から、記憶を揺さぶる女性が姿を現した。


 彼女を見て、咄嗟にフォルネイヤは身構える。


 ティアラたちに聞いていた人物だ。


 記憶にある。


 たしかマリウスにさんざん迷惑を働いて接見禁止になった……。


「ラフラ……バレンタイン」


 その名が自然と口元から零れた。


 片やフォルネイヤは目を細めて。


 片やラフラは不気味な笑みを浮かべて。


 二人が、真っ直ぐに近付いていく。


 フォルネイヤの中で妙な胸騒ぎがした。答えが目の前にあるような、それでいて掴めない謎。


 モヤモヤする気持ちを抱きながらも、ラフラは単なる赤の他人だ、と意識を切り替える。


 とくに関わり合いのない相手だと断定し、フォルネイヤは彼女の隣を通り過ぎた。


 そのとき。


 すれ違ったラフラの体が、大きく横に倒れた。


 背後から、「きゃっ!?」という声が聞こえる。

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