第159話 専属メイドですから

 ティルノア・クラベリーは、マリウス・グレイロードを敬愛している。


 子供の頃から変わらぬ愛を抱いている。


 無邪気だった幼少期。


 ワガママを言うようになった少年期。


 成長し、大人になった青年期。


 すべてがティルノアにとって愛おしいと言えるものだった。


 願わくばマリウスがリリアと結婚してもなお、そばに居続けたいと思っている。


 幸いにもマリウスはグレイロード公爵家を継ぐ存在だ。すでに父親の仕事の手伝いなどをこなしている。


 マリウスが王家へ婿に行くのではなく、リリア側が公爵家にやってくる形になる。


 だから自分は、まだマリウスの専属でいられるかもしれない。


 それを思うと、たまにティルノアの口角は上がる。


 自らの想いが決して叶わぬ夢だと理解しておきながら……ただそばにいたい。


 そばで支えてあげたい。


 そう想うようになっていた。




 しかし、夏休みのあいだに大きな騒動があった。


 マリウスが記憶を失い、王都を出ていくという大きな問題が起こった。


 普段からマリウスに気を配っていたティルノアだからこそ気付けたし、駆けつけることができた。


 おかげで、一時的な夢を見ることができた。


 のどかな田舎の村での生活は、もともと平民だったティルノアにはなんの苦労もない。


 むしろ大貴族の跡取りであるマリウスが、平然と生活できていたことに驚く。


 もしかすると、子供の頃に平民の暮らしでも体験したことがあるのだろうか?


 ティルノアが知ってるのはあくまでマリウスの一部。


 全てではない。


 それを寂しいと思う反面、知らない一面を知れるチャンスがあると喜ぶ。


 だが、そんな夏休みもやがて終わりを迎えた。


 マリウスを探しに来たリリアたちと共に王都へ帰還し、日常の中へと戻る。




 しかし、平穏はすぐに終わった。


 ラフラ・バレンタイン。


 バレンタイン伯爵家の息女にして、元・婚約者候補の少女。


 彼女は、数年前にマリウスに助けられて以降、歪んでいるとしか思えない好意を向けていた。


 当初は、ティルノアも彼女の気持ちが理解できたため容認していた。


 当然、手紙や贈り物などは捨てたし、マリウスへ接近する際は阻んだ。


 けれど、その行いが徐々にエスカレートしていくと、ティルノアの中でもラフラに対する認識が変わった。


 いくらなんでもやっていいことと悪いことがあるだろう。


 そう思うようになっていった。


 そして現在。


 なにやら悲劇のヒロインのような顔でマリウスに泣きつくラフラを見下ろして、ティルノアは冷たい目を向けていた。


「うぅっ……! 酷いです、マリウス様。さっき、知らない女性に罵声を浴びせられて……なぜ、ラフラがこんなに目に……! きっと、ラフラを虐めるよう誰かが扇動してるに違いありません!」


 ぴーぴーと甲高い声を鳴らすラフラに、ティルノアの主人はどうしたものかと焦っている。


 そもそも接見禁止のくせに、ラフラは何度その約束を破れば気が済むんだ? と内心で思っているティルノア。


 言いよどむマリウスの代わりに、ラフラを引き剥がして答えた。


「そういうことはマリウス様ではなく、父君のバレンタイン伯爵にご相談ください。何度も言いますが、ラフラ様はご両親とグレイロード公爵たちに接見禁止を言い渡されています。これ以上は、家に迷惑がかかるかと」


「…………あなた、たしか……ティルノアだったわね。マリウス様の、専属メイド」


「はい」


 尋ねられてもティルノアの態度は変わらない。


 相手は伯爵令嬢だ。その権力は平民がいくら束になっても及ばない。


 にも関わらず、ティルノアは平然とラフラに冷たい態度をとれる。冷たいというか、きっぱり言えるし、引き剥がす権限をもらっている。


 他でもない彼女の父親とマリウスの両親から。


 それを知ってるラフラは、不敬だなんだと言い出すことはなく、代わりに鋭い視線でティルノアの眉間を貫いた。


 しばし、二人の目が合わさる。


「……ふふ、ふひっ。わかりました。ご迷惑をおかけして申し訳ございません。少しでもマリウス様にこの気持ちを楽にしてもらいたかっただけです。他意はありません」


 ウソつけ、と思ったことは秘密だ。


「それではラフラはこれで。ああ……哀しみで胸が引き裂かれそうです……」


 最後に特大の嫌味を吐いてから、ラフラは姿を消した。


 そのマリウス以外にはなんでもやるぞ、という性格がさらにティルノアの神経を逆撫でする。


 だが我慢だ。


 彼女が明確な問題を起こすまでは、ティルノアとて何も言えないしなにもできない。


 グッと拳を握りしめてから、苦笑しているマリウスの後ろにスッと戻る。






「ありがとうティル。助け船を出してくれて」


「いえ……」


 その言葉だけで十分だった。


 今日もティルノアは、マリウスといられて幸せである。

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