第156話 嫌われ者の彼女
目の前に現れたラフラ。
しかし、なぜか彼女の制服は水で濡れていた。
肌に張り付く様子から目を逸らしながらも、ひとまず自分の制服の上着を脱いで彼女に被せる。
ラフラはスタイルがいいから目のやり場に困る。そうでなくてもびしょ濡れの女性が目の前にいたら、誰だって紳士的に対応するだろう?
そう思いつつも彼女が濡れた原因を尋ねた。
「そ、その格好……どうしたんだ? 濡れてるみたいだけど……」
「あ、ありがとうございます、マリウス様……ふひっ」
ふひ?
気のせいか? ラフラの口からおかしな声が漏れたように聞こえた。
けれど俺の制服を羽織ったラフラは、哀しんでいるのか顔を伏せている。
表情が見えないのでたぶん気のせいだと思われる。
「実は……先ほど中庭のほうを歩いていたら、急に頭上から水が降ってきて……。その際、二階の窓際にだれかがいました。怖くて、ここまで走ってきたんです……。マリウス様に会えて安心しました」
「水を……かけられた?」
なんて陰湿な。もはや事件とも言える話だった。
前世でも他者をいじめる学生というのはいたし、水をぶっかけるのは常套手段とも言える。
だが、そこまで過激な人間がこの学院にいるだろうか?
こう言ってはなんだが、平民のティアラがかつて貴族令嬢に絡まれた時はもっと酷い目に遭ったが、あれはティアラが平民だったから。
いくらなんでも貴族令嬢相手に水をかけるなんてちゃちな嫌がらせ……しないともかぎらない、か。
地球も異世界もそういう、人の倫理的なところではあまり差はない。
犯罪をするやつはするし、意味不明な人間もまた生まれる。
「そういうことなら、ひとまずラフラは保健室に向かったほうがいい。ここにいるとまた変な奴に絡まれる可能性がある。まあ、俺がそばにいる以上なにも手出ししてこないだろうが……絶対ではないしな」
ただでさえラフラは過去の諍いが原因でかなりの数の貴族令嬢から嫌われている。
万が一にも水をかけられる以上のいじめに遭わない保障はなかった。
ぷるぷると恐怖に怯えるラフラ。彼女の手を取って保健室まで送ってあげようと考える。
しかし、そこへ先ほどからずっと声を潜めて佇んでいたティルが「待った」をかけた。
「お待ちくださいマリウス様」
「ティル……? どうしたんだ。早くラフラを保健室に運んでから着替えさせないと、風邪を引いてしまう」
「それなら私がラフラ様を保健室まで運びます。マリウス様はラフラ様に近付いてはいけないとリリア王女殿下にも言われていたでしょう? それに、彼女のメイドが近くにいないようですし、ここは女性である私が彼女を送ったほうがいいかと」
……ふむ。たしかに言われてみればそのとおりだ。
俺がいたほうが追撃されない可能性は高まるが、かと言って彼女を保健室に送り届けたあとは、ティルかラフラのメイドに着替えさせるしかない。
そうなると俺の意味はそこで終了してしまうし、公爵家のメイドであるティルが一緒なら、ラフラに水をかけた奴も行動しにくいだろう。
彼女が言ったように、俺は本来ラフラに近付いちゃいけない。
心配だが、最後まで面倒を見るのは諦める。
そう思ってラフラから手を離してティルの意見を採用しようとした時、俺が声を発するより先に廊下の角、階段のそばから誰かが近付いてきた。
咄嗟にラフラを守るように前へ出ると、近付いてきた女性はぴたりと足を止めて呟いた。
「ラフラお嬢様……? その姿……どうなされたんですか!?」
彼女は……たしかラフラのメイドだ。見覚えがある。
「シーラ……ちょうどよかったわ」
ラフラはどこか残念そうな声でそばに寄るメイドへ手を伸ばす。
「水をかけられてびしょ濡れなの。保健室までラフラを送ってちょうだい」
「水を——!? それは、どういう……」
「あとで詳しく話してあげるから、いまはさっさと保健室まで送って。早く」
「え? あ、はい……畏まりました」
妙な圧の込められたラフラの声に、疑問は残るもののメイドは従った。ラフラの手を取り踵を返す。
最後にラフラがこちらへにこりと笑みを向けて、「それではラフラはこれで。ありがとうございました、マリウス様」と言ってからその場を立ち去った。
残された俺は、ひとまず面倒事が去ってホッと一息をつく。
だが、なぜか後ろを向くと険しい表情を浮かべるティルの姿が見えた。俺が声をかけると、彼女は一瞬にして表情をもとに戻す。
一体なんだったんだろう? 首を傾げながらも問いかける気にはならなかった。
きっと、接見禁止の件でラフラを少しだけ警戒していただけだろう、と。
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