第143話 二人の婚約者

「あぁ……マリウス様……」


 陽射しの遮られた薄暗い部屋の中、ひとりの少女がベッドの縁に座っていた。


 彼女の名前は——ラフラ・バレンタイン。


 伯爵家の中でもかなり古くから名声を保ってきた、由緒正しき貴族の令嬢。


 しかし、当の本人は、マリウス・グレイロードという公爵子息に恋をし、著しく本来の性格を狂わせてしまった。


 その暴走行為は、あまりにも行き過ぎている、迷惑だと言われ、マリウスの両親はおろか自身の両親であるバレンタイン伯爵とその夫人にも、マリウスへの接見を禁じられた。


 それからは、酷く退屈な日々を送る。


 その中でも、親に秘密で画家に描かせたマリウスの似顔絵は、いつしか彼女の部屋の壁をびっしりと埋め尽くすほどに集まった。


 専属のメイド以外は誰も部屋には入れず。そのメイド——シーラの報告で、恐ろしい娘の趣味を知るバレンタイン伯爵は、可愛い娘が≪あくまでもマリウスには近付いていない≫と、彼女の暴走を見なかったことにした。


 その結果、本当にたまたま街中でマリウスと再会を果たしたラフラは、その心にひっそりと秘めていた感情が爆発する。やはり自分はどこまでもマリウスが好きなのだと再認識した。


 けれど、いくらマリウスに近付こうと、想いを伝えようと彼は応えてくれない。それどころか、つい数日前には本人から明確に拒絶されてしまった。


 なるべく感情を表に出さないよう努力したラフラは、しかし部屋に戻った途端に荒れた。

 ベッドを壊し、枕を引き裂き、置かれた人形をズタボロのゴミへと変えた。それでも壁に貼られたマリウスの似顔絵だけは、傷どころか汚れひとつ付いていない。なんと言われようとも、ラフラはずっとずっとマリウスのことが好きだった。諦めきれなかった。


 なにか良案はないものかと、あの日の夜に必死に頭を悩ませていたラフラ。その途中、両親に部屋へ来るようにと言われた。


 しぶしぶ父が待つ書斎へ向かうと、そこで父バレンタイン伯爵から衝撃の知らせを聞くことになる。


 内容は、


「どうやら、数日後にリリア王女殿下が我が屋に来るらしい。ラフラと話がしたいと」


「……? ラフラに、話?」


 咄嗟にとぼけてみたが、ラフラには心当たりがあった。リリア王女殿下と自分を結び付ける縁、そんなのマリウス以外に考えられない。


 父バレンタイン伯爵もそうだと決めつけ、とぼけるラフラに苦言をしいる。


「言っておくが、くれぐれもリリア王女に失礼のないようにな」


 と。


「畏まりましたわ、お父様。ラフラにお任せください」


 表面上は穏やかな笑みを浮かべて書斎から出た。


 しかし、部屋に戻るなり、ラフラはやっぱり忌々しげに悪意と殺意を撒き散らす。


 どうせ自分の行いを注意し、文句を言いに来るのだろう——と。


 ならば適当にかわしてやる。言質をとられないように全力でとぼけてやる。この時のラフラは浅はかにもそう考えた。


 壁に貼られたマリウスの似顔絵のひとつを慈しむように撫で、あまつさえゆっくりと口付けする。


「あぁ……絶対に、ラフラは……」


 暗闇の中、彼女の瞳はどこまで暗く、黒く染まっていく。











 そして当日。


 王家の家紋が入った馬車にて、バレンタイン伯爵邸へリリアが姿を見せた。


 ツートンカラーの元・婚約者候補と、金髪の現・婚約者が、二人きりで顔を突き合わせる。




 ▼




 差し出された紅茶を、リリアが一口飲む。


 さらさらの金髪をかすかに揺らした少女——リリア・トワイライトは、喉を潤わせるなり口を開いた。


「……こうして二人きりでお話するのは初めてですね、ラフラさん」


 自分とリリア、傍付きのメイドがひとりという計三人だけの室内に、不思議な圧と静寂が漂った。


 彼女とて王族と揉める気はないが、かといってマリウスを諦めるわけにもいかない。努めて冷静に、ティーカップを持ちながら笑う。にこやかに。


「そうですね。私はパーティー自体にもほとんど出席しないので、リリア王女殿下とは面識が薄いかと」


「ええ。ラフラさんはもっと外へ出て、たくさんの人と交流を育んだほうがいい……とバレンタイン伯爵も心配してましたよ? よろしければ、何人か爵位の近い子息様をご紹介しましょうか?」


 ぴりりっ、と空気が張り詰めた。


 お互いに笑みを浮かべながらも目は笑っていない。そばで控えるメイドが、激しい胃痛に苦しむ。


「…………り、リリア王女殿下に、そこまでお手間をかけさせるわけにはいきませんわ。それに、実は私は、燃えるような恋愛をしたくて……」


「貴族には政略結婚がつきものですよ。なかなかそういった恋愛は望めません。哀しいことに」


「……たしかにそうですね。貴族やの方は、大半が政略結婚。そこに愛を求めるのは、ですよね」


「ふふふ……。幸いなことに私は、運命の相手と出会えましたけどね? ラフラさんが仰るような、燃えるような恋愛をしています。実に幸せです」


「ッ……! ほ、本当に……羨ましい、かぎりです……!」


 ぴくぴくとラフラの頬が痙攣した。奥歯がぎりりっ、と鈍い音を立てる。


 相手が王女殿下でなかったら、今ごろ間違いなくぶちぎれていた。見守るメイドは心臓が破裂しそうだった。


「私も、王女殿下のような相手がほしい……いえ、好いてるお方はいるんですけどね。残念ながらあまり上手くはいってません」


 そこまで聞いて、「ああ、ダメだ……」とメイドの顔が真っ青になる。


 リリアの表情からも笑みが消える。続いて、剣呑な眼差しがラフラを射抜いた。


 そして、


「残念ながら……」


 と真面目なトーンで彼女に釘を刺す。




「あなたの想いは叶いません。絶対に」

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