第140話 色々と変わったこと

 紆余曲折あった俺の記憶喪失事件が、完全に終結した。


 王都に帰還した俺は、たっぷりと翌日の午前中を使用人たちのために使い、働いてる彼ら彼女らに謝りながら、他愛ない世間話を交わした。昔から俺のことを知る人物……中でもとくに、女性からの反応はすごかった。それだけ心配をかけたという証拠なので、甘んじてきゃーきゃーうるさい声を我慢する。


 そうして昼食を食べ終える頃には、すでに時刻は夕方へ差し掛かっていた。


 リリアたちも自宅へ帰り、やることがなかった。ありていに言って暇だった。


 リコリットの村では、猟師としての仕事があったし探そうと思えばなんでも仕事は見つかった。が、グレイロード公爵邸においては、そんなものはない。


 掃除に洗濯、料理に身の回りの世話まですべて使用人たちがやってくれる。そこへ主人の息子である俺が割りこむ余地はなかった。


 かといって外へ出て買い物にでも行こうとすると、ティルを含めた多くのメイドたちから、「またどこかへ行くつもりですか!? しばらくは大人しくしててください!」と言われる始末。次、俺がどこかへ消えたら彼女たちが困るのだろう。両親にも怒られるだろうし。




「なあ、ティル……」


「なんでしょうか、マリウス様」


 ぐで~、とソファに体をあずけて可能なかぎりくつろぐ俺。それを見てもティルはなにも言わない。いつもどおりの表情を浮かべていた。


「夏休みっていつまでだっけ」


「あと二週間ほどで終わりますね。学院が待ち遠しいんですか?」


「まあな。正直、村から帰ってきてずっと退屈なんだ。みんなに迷惑をかけたんだし、無茶なことをするつもりはないが、あまりにもやることがない……」


「前はそんな時間を大切にしていたではありませんか。ゆっくりすぎるくらいがちょうどいい、と」


「…………たしかにな」


 言われてみて、はっきりと自分の違和感に気付く。


 俺は元来、かなりものぐさな人間だ。それは、前世の記憶と人格を引き継いだいまも当然変わらない。忙しい日常なんて、求めたことはない。


 しかし、記憶を失い田舎へ行ったことで、俺の価値観は変わった。まさか、退屈なことに虚しさを感じるとは……。ティルの言うとおり、前の俺なら諸手をあげてこの状況を喜んでいただろう。環境が変われば、性格にも変化が出るのか……。


 なにげに恐ろしいのは、人間の適応能力の高さだな。


「しばらくはジッとしててください。これ以上なにかすると、今度は本当にリリア王女殿下に攫われますよ。噂によると、マリウスさま専用の個室が王宮にはあるとか」


「——え? なにそれ詳しく」


「秘密です」


「おい!」


 ふざけんな! そんな恐ろしい話を聞かされて黙っていられるか!!


 そもそもなんだよ、おれ専用の部屋って!? 俺が王宮に泊まることなんてほぼほぼないのにどうして作った!? 客室とかでよかったんじゃないの? 誰の指示? リリアの指示? だったら間違いなく危険だとわかる。名指しとか嫌な予感しかしない。


 さっさと話せよ、とばかりにティルを睨む。けれどティルは、俺の視線などどこ吹く風で、涼しげな表情を浮かべてさらっと話題を変えた。


「……それより」


「それより!? 俺の身に危険が迫ってるのにそれより!?」


「今日は天気がいいので、外でお茶を飲むのも悪くないかと。庭師が育てた花も咲き誇っていますよ」


「無視か!? 無視なのか!?」


 なにを言ってもまるで聞こえていないかのようにスルーするティルを見て、俺は早々に諦めることになる。


 ソファから重い体を持ち上げて立ちあがった。


「……ったく。前のしおらしいティルはどこにいったんだ?」


「あれはただの戯れ。お忘れください」


 淡々とティルは言った。無機質な声だった。しかし、あの時の記憶を俺は絶対に忘れない。ティルは、孤独に押し潰されそうだった俺を救ってくれた恩人だ。ずっとそばにいてくれた。あの温もりのおかげで俺は耐えられた。


 それに、感情の込められていない声が、逆に彼女の不満を表している。きっと彼女だって忘れたくない。そう思って、にやりと勝手に口角を吊りあげる。


「嫌だね。あれも大切な思い出だよ、ティル」


 一方的にそう言うと、俺は彼女の返事を待たずに部屋を出た。足早に廊下を歩くまえ、最後にわずかに見えたティルの顔が……ほんのり赤かったような気がした。それはきっと、俺の気のせいではないと思う。




 ▼




 一足先にティルを置いて中庭に行くと、彼女の言うとおり色とりどりの花が咲いていた。俺は植物には詳しくないため、夏に咲く花の名前を詳しくは知らない。それでもこうしてゆったりとした時間を、美しい景色の前で過ごすというのは意外にも心が落ち着く。悪くないと思った。


「……お茶です、マリウス様」


 遅れて中庭にやってきたティルは、ささっと慣れた手つきで紅茶とお菓子を用意してくれた。彼女の表情にさきほど見た羞恥の感情は見られない。


 その事を残念がりながらも用意された茶請けを口に運ぶ。甘味と紅茶が揃ってしまえば、それはもうさながらピクニックのごとく。


 やや離れたところでこちらを見守るティルとともに、俺は優雅な時間を過ごした。


 しかし、それも長くは続かない。


 本当にたまたま、ある意味で第六感でも働いたのか、ふいに視線を横に移した。次いで、俺の視界にとあるものが映る。ものっていうか、人。




 黒を基調とした白のラインが描かれた、暗くも女性らしい魅力を放つドレスを着た————ラフラ・バレンタインが、遠目に柵の外に立っていることに気付いた。


———————————————————————

あとがき。


マリウス「ひえっ」

リリア「私もよくやります」

セシリア「実は私も……えへへ」

フローラ「お姉ちゃんは襲います!」

マリウス「ちょっと待て」

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