第138話 選ばれなかった者
マリウスたち一行が目のまえから立ち去っていくのを見送って、ラフラはツートンカラーの髪をぷるぷると小刻みに揺らす。伏せた顔には、鬼のような形相が浮かんでいた。
相手が、天下にその名を轟かせるトワイライト王家の人間でなければ、さらに言えば自分より格下の貴族であったなら、きっと彼女は、相手を許さなかっただろう。
白くなめらかな手に、爪が食い込みそうなほど拳を固く握りしめ、地の底から響くような声で後ろに控えるメイドに短く告げた。
「…………帰る」
「か、畏まりました、お嬢様」
異論など口にしようものなら、どんな目に遭わされるかわからない。長年、彼女の傍付きを命じられている銀髪の女性は、「この後どんな風に荒れるんだろうか……」と恐れながらも、歩き出した主人の背中を追う。
苛立ちが、歩く歩幅と姿勢に出ていた。内心で、すでに面倒だとため息をこぼす。ある意味でこの光景は見慣れたものだが、だからといって気分はよくない。
というのも、彼女————シーナ・フロウは、ラフラ・バレンタインの忠実なるメイドとして、ラフラがまだ十歳にも満たない頃から彼女のお世話をしてきた。
昔は可愛らしく子供っぽい笑顔を浮かべていたはずなのに、ある事件をきっかけに彼女は大きく狂ってしまった。その責任を、事件に関わったマリウス・グレイロードに押し付けるつもりはないが、時として印象に色濃く残る記憶と美貌、誰にでも優しい善性は、人間を容易くおそろしい怪物へと変える。
そして、ごくごく自然に過去の記憶が脳裏を過ぎった。
それは、いまより三年前の話。高等学院に入学するより前の話だった。
▼
ラフラ・バレンタインは、自分の家————バレンタイン伯爵家より上の侯爵家が主催するパーティーへ訪れていた。
バレンタイン伯爵家は、昔から王族と親しくなれるほどの功績を挙げた名家だ。爵位が自分より上のパーティーにも頻繁に顔を出す。
だが、その日のパーティーは最悪だった。厳密には、開催した侯爵の息子が最低な人間だった。
まさに絵に描いたような古風な貴族。平民を人間とは思っておらず、自分の願いはなんでも叶えてきたし、叶えてもらってきた。それゆえに、わりと全うな父親とは似つかない横暴な態度が目立つ男に成長した。
何度も何度も女性問題で騒ぎを起こすような人間だった。大きな事件こそ起こさなかったが、いろいろな貴族の家から白い目で見られるようなその男に、あろうことかラフラが目を付けられてしまった。
自分より格下の貴族だから、手を出しても構わないと思ったのだろう。
ラフラを個室に誘い、無垢な少女に牙を剥く。
パーティーの最中だというのに、煌びやかな彼女のドレスを剥ぎ取ろうとした。ラフラも必死に抵抗したが、男性の腕力に非力な彼女が勝てるはずもなく、あっさりとドレスが剥がされていく。あとで適当に理由をつけて弁償すればいいと考えていた男は、ラフラの美しさに狂い、乱暴にドレスを破り捨てようとして…………そこで、騒ぎを聞きつけたマリウスが姿を見せる。
当時、同じくらい小さかったはずのマリウス・グレイロードは、貴族子息に犯されそうになっていたラフラを見て、すぐに拳を振りあげ、ラフラに馬乗りになった男を殴った。
幼い頃から父より剣術を教わっていたマリウスは、魔法こそ使用しなかったもののかなりの力で男を殴り、涙と恐怖で顔をぐしゃぐしゃに汚したラフラを抱きしめた。
吹き飛ばされた男は、赤く腫れあがった頬に手を添えながらマリウスに猛抗議したが、自分より身分が上の、それも公爵家の人間であることに気付くと、顔を青くしてその場から立ち去った。
その後、男がいなくなった室内で、マリウス・グレイロードはラフラが泣き止むまで彼女のそばを離れなかった。
怖かった、恐ろしかったと大きな声で叫ぶように泣くラフラ。
耳元で相当にうるさかっただろうに、マリウスはたとえ恐怖からくる拒絶——ラフラによる、叩く引っかくの暴力を受けても動じなかった。優しく彼女へ微笑み、「もう大丈夫だよ。悪い男は俺が追い払ったから。誰も君を傷つけたりしないよ。俺が、必ず守ってあげるからね」と言い聞かせた。
社交界でも有名だったマリウス・グレイロードのありえないほど整った顔立ちに、優しい声までかけられ、助けられたという事実を突きつけられたラフラは、次第に理性が現実に追いつき、完全に落ち着きを取り戻すと…………内心でこう思った。
マリウスこそが、自分の王子様なのだと。
絵本に出てくるお姫様が自分で、悪い魔女から……暴漢から救ってくれた運命の相手なのだと。
そして、歯車は狂いだす。
盲目的にマリウスを慕い始めたラフラ。しかし、すでに彼には婚約者が決まっていた。誰もが知ってる、誰もが手を出せない王族のひとりと。
かつて、婚約者候補にまで名前があがったことを知るラフラは、それを聞いてどれだけ悔しかったか。文字どおり血を吐いて涙を流した。
けれど自らの気持ちを抑えることはできなかった。なぜなら、自分とマリウスは≪赤い糸≫によって結ばれているのだから。神によって祝福されている自分こそマリウスに相応しい。
——そう、思い込むことでなんとか壊れかかった心を繋ぎとめた。
とっくに、全ては崩壊してるとも知らずに……。
「…………」
当時、パーティーには参加していなかったシーラ。事件については、ラフラの父であるバレンタイン伯爵に直接聞いた。
当時の光景を脳裏に浮かべながら、ジッと静かに彼女はラフラの背中を見つめる。
負のオーラを放ち、なにかをぶつぶつと呟き続ける彼女は、それでも昔から一緒だったシーラにとって、義理の妹のような存在だ。どんな風になろうと、彼女はラフラを見捨てない。見捨てられない。
せめて、マリウス・グレイロードと添い遂げられるような……側室にでもなんでも食い込み、ただただ彼女が幸せになることを心の中で祈った。
それを知らないラフラは、地面を睨みながら邪悪な笑顔を浮かべる。
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