第133話 一緒にいてほしい

 リリアたちと再会し一夜が明けた。


 翌朝。


 すっかり早朝の早起きに慣れてしまった俺は、誰よりも早く目を覚ます。


 窓の外から小鳥の囀りが聞こえ、それをBGMに上体を起こす。珍しく隣に転がるティルが寝たままなので、彼女を起こさないように気を付けながらベッドから降りると、そのまま上に一枚だけ上着を羽織って外に出た。


 木製の扉をわずかに軋ませながら開くと、夏らしい爽やかな青空が浮かんでいた。まばゆい太陽の光に目元を腕で隠しながら扉を潜る。


 特に目的地などなく村の中を歩いた。この光景も今日で見納めだ。リリアたちが乗ってきた馬車がいまだ村に滞在しているため、それに乗って行きと同じように帰る。ここを出たら、再び戻ってくることはもうないだろう。


 そう思うと無性に寂しくなった。




「マリウス!」




 しんみりとした空気を引き裂いて、頭上から声が落ちた。


 なんだなんだと声のしたほうへ視線を向けると、右側にできた小さな丘陵、そこに一本だけ生えた大樹の根元に誰かがいた。目を凝らすと、それがネアだとわかる。


 こんな時間にもかかわらずもう起きて外に出ていたとは……頬に軽く笑みを刻んで手を振る。


 すたすたと彼女の下まで歩き、おはようの挨拶を交わした。


「おはようネア。早いな」


「おはようマリウス。あなたが今日きょう村を出ていくって聞いて、急いで準備して来たのよ? 水臭いじゃない。村長に報告を任せて行こうとするなんて」


 ネアは怒った様子で視線を逸らす。日差しを吸い込んだ薄紫色の髪がポニーテールと一緒に揺れて、石鹸のいい匂いが鼻腔に届く。


 わざわざそれだけのために来てくれたことに内心で感謝しつつ、俺はなるべく穏やかな声で彼女に謝罪した。


「悪い。あんまりしんみりとしたお別れは嫌だったんだ。最後にネアやルシアたちを見たら、哀しくなっちゃうだろ?」


 しかしその言葉に、ネアは目元を吊り上げてさらに怒る。


「そういうのが水臭いっていうの! 遠くへ行っちゃうんでしょう……? 次いつ会えるのかもわからないのに、人伝でさよならを言われる私の気持ちが、あなたにわかる?」


 トパーズ色の彼女の瞳が小刻みに震えた。徐々に瞳孔が水気を帯びていく。


「そりゃあ、私は素直じゃない。簡単に素直にはなれない……それでも! あなたと過ごした短い日々は、とても楽しかったわ。あなたがいないと、明日からどんな風に楽しめばいいのかわからない……」


「ネア……」


 とうとう大粒の雫を頬に流すネアを見て、ずきずきと俺の胸元が激しい痛みを訴える。だが、俺は元から王都の住民で貴族だ。学生でもある。いつかは必ず帰らないといけない。だからうまく彼女に返事を返せなかった。


 そんなこちらの意図を察したのだろう。数歩前に歩み寄ってきた彼女が、俺の胸元に顔を押し付ける。そして、小さく震える声で呟いた。


「行かないで……私と、ルシアと……ずっと一緒にいて……」


 嘆くような声に、しかし俺は応えられなかった。


 ぐいっと彼女の体を後ろに押して、はっきりと伝える。


「ごめん……俺には帰らなきゃいけない場所があるんだ。ネアの想いには、応えられない」


 言い訳も誤魔化しもなく言うと、顔を上げたネアは最初から拒絶されるのがわかっていたのか薄っすらと笑みを浮かべる。


「…………ばかっ。でも、大好き」


 俺の手を軽く振り払い自由になった彼女は、涙を拭くことすらせずに後ろへ下がる————と見せかけて、おもいきり前に踏み出した。


 俺は意表を突かれる。


 今度は抱きしめられるのかと両手をぴくりと動かした瞬間、ネアの顔がグッと俺の眼前に広がった。気付いた時には。




 唇が重なる。




 え? と思う暇すらなく彼女は離れると、真っ赤になった顔に悪戯な笑みを刻んで……唇を人差し指でなぞった。


「ふふ……いまはこれで我慢してあげる。絶対に、また会いに行くわ」


 それだけ言うとこちらの返事も待たずにどこかへ駆けていった。


 まさかキスまでされるとは思ってもいなかった俺は、しばらく放心したまま彼女の背中を見送り、それが完全に見えなくなってから叫んだ。




「え、えぇええええ————!?」




 わずかな高さの丘の上には、もう俺しかいない。ときおり吹く微風が心地よい涼しさを届けるが、それに安らぐ余裕はなかった。


 バクバクと激しい鼓動を体内で響かせる心臓を必死に皮膚の上から押さえつけて、徐々に赤くなっていく顔を下げて隠す。


 これはあまりにも……サプライズすぎる。


 そしておよそ十分ほどでなんとか高ぶる感情を沈めると、ため息をひとつ吐いてから振り返った。




 目の前にリリアが立っていた。

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