セシリア・アクアマリン短編『二人きりの旅行』
パカパカと馬車が走る。
公爵家所有の豪華な馬車の中には、その広さに似合わずたった二人の子供しか乗っていなかった。
一人は俺ことマリウス・グレイロード。そしてもう一人が……馬車の所有者ことセシリア・アクアマリン。
ガタガタと揺れる馬車の中で、俺たちは肩を並べてアクアマリン公爵領へ向かっていた。理由? それを思い出すと嬉しいような頭が痛くなるような気がする……
時間は一週間ほど前まで巻き戻る。
グレイロード公爵邸を訪れた彼女は、どこか覚悟のこもった顔で俺に告げた。
「ね、ねぇマリウス! 私と一緒に……温泉に、入りに行かない?」
「温泉?」
唐突な提案に首を傾げると、セシリアはさらに言葉を続けた。
「うん。アクアマリン領は水源に囲まれた場所だから、温泉なんかもたくさんあるの。よかったら、街でも評判の宿を予約するから……一緒に、どうかな?」
「温泉か……」
ふむ。悪くないな。悪くないどころか最高に良い提案じゃないか?
最近は色々と父の仕事を手伝ったり、リリアに外へ引きずられたり、フローラに襲われたりと大変だったが、温泉付きの宿に行けば間違いなくくつろげるだろう。それはこの家の非ではない。
しかし当然、問題はある。俺は王女殿下の婚約者だから、婚約もしてないセシリアと遠くへ出かけ、あまつさえ宿に泊まるなど醜聞だ。そこら辺、彼女はなにか対策を練っているのだろうか?
「行きたいのは山々だが、さすがにリリアを放置して行くのはな。本人に殺されるし、周りの目もある」
「大丈夫! この温泉旅行にはリリアも同行するから」
「……なるほど。もう先手を打っていたのか。そういうことなら俺は構わないぞ」
女二人に男一人の旅か。普通に考えたら両手に花だぜひゃっほーい、と喜ぶべきところだが、前世も含めてずっと童貞だった俺がそんなこと言えるはずもない。
逆にリリアがいることによって不安すら感じはじめたが……温泉という名は強すぎる。特に不満を述べることなく、俺は彼女の提案を快諾した。
そして今に至る。
「そう言えばリリアは一緒じゃないんだな。別の馬車がわざわざ来るのか?」
「え? リリアは来ないわよ?」
「…………は?」
「急に用事が出来たんだって。ものすごく悔しそうな顔してたけど、二人で楽しんでって言ってた」
「…………」
ほわっ? リリアさん、いないの? ということは、セシリアと二人きり? まずくね?
「いやいやいやいや! 今すぐ帰ろう! ゴーホーム! 婚約者でもないお前と二人きりとかなにを言われるか……」
「平気よ。外に出る時は変装すればいいんだから。ちゃんと変装道具は持ってきたし」
「てめぇ……その用意周到さ、わざと俺に黙ってたな? リリアが来れないことを」
「てへ」
「てへ、じゃねぇ! リリアが忙しいなら日程をずらせばよかっただろ!」
「もう予約してたし宿の人に申し訳ないでしょ? それに……私は、その……マリウスと二人きりでも嬉しいから。すごく、楽しみにしてたんだ」
照れながらそういうこと言うな! お前はそんな性格じゃなかっただろ!? そこは「か、勘違いしないでよね! 別にあんたと二人きりで来たかったわけじゃないんだから!」って言え! 可愛いなクソッ!
セシリアのさりげない女子力(女の子らしさ)に多大なダメージを受けた。がくりと肩を落として俺は敗北する。そこへ、すかさずセシリアの魔の手が伸びる。
文字どおり、俺の手を優しく包む彼女の手。女性らしさを嫌でも感じさせる柔らかさだ。どうしてこうも男と女で肌の質感が違うのか……いや、そもそも俺の場合は鍛錬のせいで他の野郎より無骨ではあるが、それを差し引いても女性の手は柔らかい。すごく華奢だ。
「えへへ……マリウスの手、あったかい」
「離したまえ」
「だ、ダメ? ごめんなさい……困るよね、こういうことすると。私みたいな女が、マリウスに迷惑ばかりかけるから……」
「あーあー! そこまで言ってないだろ!? もう勝手にしてくれ……俺は寝る」
「!」
しぶしぶ許可を出すと、パアッとセシリアの表情が明るくなる。そんなに俺と手を繋ぎたかったのか……。もう文句を言うのもめんどくさいので、俺はふて腐れたかのように視線を逸らして瞼を閉じた。
「ふふ。ありがとうマリウス。おやすみ。ゆっくり休んでね」
声だけ聞こえる彼女の様子は、まんま上機嫌だった。意味わからん。
▼
王都を出立して数日。温泉都市とも言われるほど豊富な水源を有するアクアマリン領へ到達した。
白を基調とした街の景色に、たまらず感嘆の声が漏れる。
「おお……ここがアクアマリン公爵家の領地か。すごいな。清潔感」
「温泉や宿がたくさんあるのに、町並みが汚かったら嫌でしょ? そういうところにも力を入れてるの」
「ふうん。この様子なら、セシリアが予約してくれた宿も期待できそうだ」
「うん、期待してて。とびきり豪華な宿を予約しておいたから」
そう言ってセシリアは自信満々に微笑む。俺とセシリアはこれでも最高位の貴族だ。泊まる場所も限られる。そのうえで彼女が胸を張るほどだ。楽しみで仕方ない。いっそ開き直って遊ぶことにする。
宿に着くまでのあいだ、セシリアから領地の話を聞きながら過ごした。
▼
街の中央に建てられた無駄に巨大な建物の前で馬車が停まった。どうやらここが目的地らしい。
馬車から降りて、前世で見たことのある四階建ての図書館くらいデカイ建物を見上げた。どんだけ金かけてんだ? と一周回って呆れてしまう。
「ようこそ! 我がアクアマリン公爵家が誇る最高の宿へ! 数日は貸切にしておいたからたっぷりと堪能してね」
「貸切? わざわざそんな無理したのか」
「平気よ。その分たくさんお金を払ってるから」
「むしろ申し訳ないんだが……」
「気にしないで。マリウスはあまり人が多いところが好きじゃないでしょ? 休むなら特に。あなたを癒すためなら、少しくらいの出費は必要経費。私が、そうしたかったの」
困ったような顔で苦笑するセシリア。
そこまで言われるとさすがの俺もこれ以上はなにも言えない。ただ、ちょっとだけ呆れた顔で、
「そっか。ありがとう。セシリアの気持ち嬉しいよ」
と言って微笑む。するとセシリアは、
「ッ! やっばぁい……素敵すぎるよぉ……」
なにやらボソボソと俺の顔を見ながら呟いた。残念ながら周りの音でなにも聞こえない。
「なんか言ったか?」
「あ、ううん! なんでもない。それより早く宿へ入ろう? すっかり空も暗くなってるし」
「? ああ。わかった」
未だに繋がったままの彼女の手に引かれ、俺は豪華絢爛な宿の中に入る。
▼
「すごい……この宿、ヤバイ」
案内されたバカ広い部屋の中、ソファの上で転がる俺は小さくそんな感想を漏らした。
なんだこの快適空間。飯は美味いしなんでも頼めば出てくるし、セシリアはずっとニコニコしてるしなんでも手伝ってくれるし。もはや俺は動く必要すらない。食べ物を彼女がよそい、飲み物を注ぎ、寝転がる俺の体温が上がり過ぎないように扇子などで扇いでくれる。
あれ? もしかして俺は甘やかされているのでは? 試しにセシリアに「自分のことくらい自分でやれるよ」と言ってみたら、彼女は笑顔のまま「ううん。私がしたいの。こうしてマリウスの役に立ちたいの。イヤ、だった?」と返された。最後の最後で泣きそうな顔しないでほしい。断れるはずがない。
そんなこんなで同い歳のセシリアに甘やかされる公爵子息。快適すぎてここから出たくない。
だが温泉には行きたいので、「そろそろ温泉に入るかぁ」と言って部屋を出た。セシリアも同じタイミングで温泉に入るらしく、慎ましい態度で俺の後ろに並んだ。
貸切だけあって宿の中には従業員しかいない。おかげで周りの視線に気を使わないわ、温泉にもすぐに入れるわでマジだめ人間になる。でもこんだけ快適ならだめ人間でいいや。
更衣室で衣服を脱ぎながら、王都へ帰るまで怠惰に過ごすことを心に決めた。
そしていざ浴室へ!
きゃっほーい! 露店風呂だ! さっさと体を洗って湯に浸かろう。俺は体を冷やしてはまた湯に浸かる長風呂タイプだ。前世はシャワーで済ませることが多かったが、貴族として生まれた今は、クソ広い浴室でのんびりくつろぐのが幸せだったりする。
取り合えずすぐにでも湯船に浸かりたかったので、ごしごしと体を洗いはじめる。だが、背後に人の気配を感じた。振り返る。
「誰だ」
やや緊張感を持って背後を見ると、湯煙の中から————————セシリアが現れた。
「お、お待たせ。よかったら、体、洗うわよ……?」
「チェンジで」
「どうして!?」
「どうしてもなにも……ここ男湯だが? 馬鹿なのか?」
「そ、それくらい解ってるわよ! 貸切だからいいの! ちゃんと許可は貰ってるもん! いいから早く体を洗わせて! お願い!」
「えぇ……」
お願いするにしては有無を言わさぬ声量だ。そもそもなんで彼女は男湯に? 俺の世話がしたかったのか? やばすぎるだろ。
ここは風呂場だ。当然、俺は裸だしセシリアも裸。白いタオルを巻いてはいるが、それでも普段より圧倒的に肌が露出してる。正直、告白やらキスやらの記憶が脳裏を過ぎって体が熱くなる。
彼女の前でヤバイものは見せられない。我慢しろ俺! 我慢しろ俺! と必死に素数を数えながら理性を総動員する。
その間にセシリアが俺の背中にぴたりと触れた。
「マリウスの背中……こうして見ると、大きいね。立派よ」
「セシリアさん!?」
そ、そんなにくっ付かれると……なにやら背中に柔らかいものが……ん? 柔らかい感触の中に、不自然に固いものが…………ッ!?
状況を正しく把握し、俺の顔が一気に真っ赤に染まる。心臓がおもいきり跳ね上がった。いまにも口から火が出る勢いだ。なのに、彼女は一向に離れる気配がない。
「は、離れてくれませんかね? この状況はまずい。いろいろと、まずい!」
「ごめんなさい。でももう少しだけ……もう少ししたら、ちゃんと体を洗うから」
「いや、その……しかし……」
ダメだダメだダメだ。我慢できない。理性が崩壊しそうなところで、グッと俺は堪えながら別のことを考える。たとえば、そう——リリアのこととか。
「……………」
おお。一気に熱が冷めた。下半身から上半身にかけて寒気すら漂ってくる。すごいなリリア。最強じゃん。
「? マリウス? どうかしたの? 急に黙って」
「あ、なんでもない。ちょっと考え事をしてただけだ」
「考え事? 私の胸の感触とか?」
「いらんこと言うな!」
そういうこと言うとまた思い出すだろ!! つーかお前はタオルを巻け! わざわざ外したの知ってるんだぞ! 感触で!
ああああああ! 思い出したらまた熱が出てきた。最悪だ。いい加減、この馬鹿女を押し倒しても許されると思う。俺はむしろ頑張ったほうだ。ここまで誘惑されてそれでも貞操を守っているのだから。
しかし、慌てる俺の様子に気付いたのか遠慮してくれたのか、ギリギリのところでセシリアがパッと俺の背中から離れる。
「長々とごめんなさい。そろそろ体を洗いましょうか」
「あ、ああ……」
——っぶねぇ! あと十分も彼女に抱きつかれていたら、俺の理性が崩壊するところだった。彼女はフローラと違い、こちらを立てながらも体を差し出してこようとする。その違いが、どうにも男の理性を脆くする。端的に言うと、セシリアは尽くす女なのだ。それも楽しそうに尽くしてくれる。そんなことされればどんな男も喜ぶだろうよ。俺? 俺は……ひ、秘密だ。
ドキドキが治まらぬ心臓に怯えながらも、俺とセシリアは互いに全身を洗い終える。途中、「前もやるわよ!」と言い出した彼女を叱責するのが大変だった。キャー! セシリアさんのエッチ! とやってる暇はない。「そういうことは結婚してからだよ」と言うと、「じゃあ将来の楽しみに残しておくわね」と彼女は返した。
ほんとにこいつは……危険な女だ。
たかが体を洗うだけでげっそりと疲労を抱えた俺は、しかしてようやく湯船に浸かる権利を得た。やや熱いお湯に肩まで浸す。
あ~極楽極楽。最初は熱いけどすぐに慣れる、慣れると快感が全身を満たす。最高だ、温泉。
「ふう……あったかいわね、温泉は」
「そうだな……でも」
ここにセシリアがいなければ、きっともっと最高な気分だっただろう。やたら距離感の近い彼女は、肩が触れ合うほど近付いてきて、俺の肩に自分の頭を乗せる。
「ちょっと邪魔だ。もう少し離れてくれ」
「う、鬱陶しい?」
肩に頭を乗せたままびくりとセシリアの体が震える。そんなか細い声で言われたら、怒るに怒れないだろ……
「鬱陶しいわけじゃない。ただ……こういうことにはあまり慣れていないんだ。その、緊張するだろ。色んな意味で」
「緊張……それって、つまり……私のことを意識してるってことよね?」
「そうとも言うな」
そうとしか言わない。
俺の肩から頭を離したセシリアは、これでもかとはち切れんばかりの笑みを浮かべた。「異性として意識してるんだぁ!」とでも言ってるようだった。
「……別に、いいわよ?」
「いい?」
すすす、とさらに距離を縮めてくるセシリア。もはや肩どころか全身が触れ合うほどの距離だ。ドクン! と心臓が高鳴る。
「手を……出しても、いいよ? マリウスだったら嫌じゃないし、マリウスが喜んでくれるなら……私も、嬉しい」
顔を真っ赤にしてなに言ってんだこの女は……
しかし、つられて俺の顔も真っ赤に染まる。お湯が熱いとかそういう話じゃない。空気が、とんでもなく甘いのだ。吸うだけで羞恥心が強く刺激されるくらいに。
「けど……リリアには秘密にしないとね。本当はダメだけど、私も……あなたに愛して、ほしい……!」
そう言ってセシリアの顔がさらにさらに近付く。火照った顔が、恥ずかしさを堪える彼女の顔が……今日はとても妖艶に見えた。
水面に映る二人の顔が重なる。俺が覚えていたのはここまでだった。
いや、それ以上の行為にまでは発展しなかったよ。
羞恥に負けたセシリアが気絶したから。
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