第127話 帰ろう
「も、申し訳ありませんでした……お恥ずかしいところを見せて……」
ひとしきり俺の胸元で涙を流したティル。とめどなく零れていた嗚咽と雫が止まる頃には、彼女の頬に朱色の微熱が宿っていて、それを見るなり俺はクスリと笑みを漏らした。
「構わないさ。それだけティルには心配をかけたってことだし。むしろ謝るのは俺のほうだろ? ごめんな……ずっと心配させて」
抱きしめていた彼女の背中から手を滑らせると、豊かな頭部を優しく撫でる。艶のあるさらさらっとした髪がわずかに揺れて、鼻腔を石鹸の匂いが包む。
「いいえ。いえ。私はマリウス様の専属メイドです。マリウス様がどうなろうとお傍に控えるべき存在です。ただ一言、ただいま……と、そう言ってくだされば十分です」
「ティルは相変わらず大袈裟で控えめな奴だな……けど、うん。たしかにその提案はあまりにも魅力的ではある。そうだな……それが、俺ららしいと言えばらしいか」
すんなりと胸中に入っていった言葉を噛み締め、俺は改めてティルと向き合う。真面目な空気を察して顔を上げた彼女の瞳と視線が交差し……できるかぎり柔らかい笑みを浮かべて言った。
「ただいま、ティル」
「おかえりなさいませ……マリウス様!」
あーあ。
せっかく涙が涸れてもう泣かないと思ったのに……。
またボロボロと大粒の雫が、ティルの双眸から零れ落ちる。すでに痛々しいほど真っ赤に染まった目元は、しかし喜びの感情しか浮かべてはいなかった。
すっきりとした気持ちで、再び俺とティルはお互いの体をめいっぱい抱きしめる。
これまでの時間を取り戻すように。
▼
しんみりとした時間が終わった。
甘えるように俺に抱き付いていたティルは、もう顔を逸らしてやや距離を置いている。表情を見なくたってそれが、先ほどまでの甘えっぷりと号泣っぷりに起因するのは誰だって理解できる。だから俺は何も言わずに話しかける。気にしてない、と言わんばかりに。
「なあ、王都を出てからそれなりに経っただろ? この村にもそこそこ滞在してたようだし」
「……っ。え、ええ。夏休みが終わるまでそう時間はありませんね。そろそろご自宅へお戻りになられますか?」
「それが懸命だよなあ……。けど、間違いなく俺の両親は怒ってる。勝手にいなくなってどういうつもりだ! ってね」
「無理もありません。置手紙ひとつ用意しなかったのですから」
「しょうがないだろ。その頃の俺は、記憶がぜんぜんなくて孤立してたんだ。実の両親にだって色々と配慮した結果さ」
「であれば、素直に怒られることですね。旦那様たちのためにも」
「うぐっ……やっぱりそうなるか……」
ティルが厳しい言葉を投げかける。だが、たとえ記憶がなくなっていようと関係ない。俺は二人の息子で大事な存在だった。それを知ったうえで二人の前から消えたのだ。少しくらい怒られないといけないだろう。気分は重いが、記憶が戻った以上は放置できない。盛大にため息を吐き捨てて、俺は彼女に告げる。
「了解だ。降参だ。ネアたちや村長に話を通してすぐにでも準備をしよう。いきなりのことで驚くとは思うが、なに、最初から移住するつもりじゃなかったんだ、わかってくれるだろ」
腰を上げてパンパンと両手を叩く。
窓辺から差し込んだ陽の光をたっぷり数秒間眺めたのちに、俺は小さな声で呟いた。
「帰るか、王都に」
「はい」
返事を期待しての言葉ではなかったが、目敏く拾ったティルが律儀に頷いてくれる。
こうして、やや不恰好ながらも俺の逃避行は終わった。問題は、むしろここからなんだろうがな。
王都で俺の帰りを待っているであろう両親やヒロインたちの顔を脳裏で浮かべて、不思議と全身に悪寒が走るのだった。
ものすごく、嫌な予感がする。
▼
のどかで牧歌的な≪リコリットの村≫の前に、一台の馬車が停まる。本来は村人のために商品などを運ぶことくらいでしか訪れたりはしないのだが、最近はよく人を運ぶなあと御者の男性は暢気に心の中でそんな感想を漏らした。次いで、荷台から数名の女性が地面に降り立つ。
見事に高貴なオーラをまとう金髪碧眼の女性。その隣に並ぶ青髪の女性。黒髪にまたしても金髪の女性などが並ぶと、総勢六人。田舎の村にはそぐわない美少女たちが、真っ直ぐに木製の柵の奥——村の中を見つめた。
そして、先頭に立つ金髪碧眼の女性が口元に邪悪な笑みを浮かべて言う。
「ふふふ……ようやく追いつきましたよ、マリウス様。無理やりにでも……連れ帰りますからね?」
両者の邂逅は目前まで迫っていた。
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あとがき。
明日は前々から書いていつ投稿しようかと迷ってたセシリアの短編を投稿します。
そして残り数話で完結……思えばコロナを除いてずっと投稿頑張ったなあ(まだ終わってない)。
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