第125話 終わり、そして

 熊によるつめ攻撃が、俺の体を引き裂く。


「ま、マリウス————!!」


 痛みと衝撃で後ろに仰け反る。


 幸いなことに、身体強化の魔法を使っていたおかげで、熊の攻撃は臓器にまでは達していない。ほんのわずかに後ろへ身を引いた甲斐がある。


 それでも焼けるような熱と痛みが全身を襲うが、即死してないだけマシだ。


 背後でネアとルシアの金切り声が聞こえるものの、それを意識し続けられるほどの余裕はない。グッと足腰に力を入れて、倒れるのを堪える。


 その瞬間、あらゆる音がかき消えた。


 実際には、音が耳を通じて聴覚を刺激してるとは思う。だが、集中の極地に立ったいまの俺は、それらを認識しないまま反対側の耳から追い出す。


 意識が、殺意が、目の前に熊に注がれる。不思議と、いまならいけるような気がした。


 体がミシミシと悲鳴を上げる。身体強化の魔法が限界まで己の肉体を高め、ただ本能に従って地面を蹴り上げる。


 世界が歪んだと錯覚するほどの速度で弾かれた俺の両腕が、いつの間にか熊の首元をガッチリと掴んでいた。


 もしかするとこれが、本来のマリウスの力なのか?


 普段の何倍もの速度で巡る思考の中で、ふとそんなことを考える。そして、そのあいだも熊の首元にしがみ付き、あらんかぎりの力で丸太のような首を締め上げる。


 ヘッドロック状態だ。


 骨が軋むほどの腕力に、さすがに熊のほうも焦って俺の腕を爪で引っかくが、先ほどとは比にならないほどの強化具合に、ほとんどダメージを与えられないでいた。


 暴れ、転がるも俺は離さない。


 熊の意識が落ち、ぴたりと動きを停止するまで……ひたすら全力で首を締め上げ続けた。


 やがて、熊の意識が落ちる前に——ゴキ! という音が聞こえた。


 勝敗が決する。




 ▼




 素手で熊の首をへし折った。


 ネアたちを守るのに必死だったとは言え、人間離れした行いに反省する。


 すっかり静寂が支配した自然の中、全てを出し尽した俺は大の字になって地面に転がった。ぜぇはぁと荒い呼吸を繰り返す。そこへ、薄紫髪の姉妹がやってくる。


「ま、マリウス!? 大丈夫!? あなた……あんな大きな熊を相手に、素手で……それに、胸の傷が……!」


「早く治療しないと! ……って、あれ?」


 やや乱暴に人様の服を剥ぎ取ったルシアが、俺の体の異変に気付く。


「傷が……塞がってきてる?」


「身体強化の応用……って言えばいいのかな。自然治癒の速度を高めたというかなんというか……まあ、臓器まで達してたら助からなかったけど、軽傷だったおかげでなんとかなったよ」


「あれが軽傷!? 結構けっこう深く裂かれてたでしょ! 馬鹿!」


「あいてっ!? な、殴ることないだろ? 一応、これでも怪我人なんだが……」


「うるさい! 私を守るために無理して……ほんと、死んじゃうんじゃないかって心配したのに……」


「ネア……心配してくれてありがとう。このとおり俺は平気だよ。ただ、魔力とは関係なく、しばらくは疲れっぱなしだろうけどね……」


 急速に体を治そうとすると、ものすごい体力が必要になる。


 そうでなくとも二体の大物を倒して疲労困憊なのだ。数日は家から出れないと思ったほうがいい。目覚めたティルにバレることを考慮すると、なおさらな。


「魔法って凄いですね。僕とお姉ちゃんも使えたらよかったのに」


 しんみりとした空気を察して、ルシアが無理やり盛り上げてくれる。俺はくすりと苦笑いを浮かべてから立ち上がるが、血を流しすぎたのでわずかによろめいた。


 思った以上に力が入らないな……。


「ちょっと、なにしてるのよ危ないわね。家まで私が運ぶから安心しなさい」


「いくらなんでも悪いよ。歩いて帰るくらいなら問題ないさ」


「平気ですよマリウスさん。僕も手伝いますから! お姉ちゃんはすーぐイチャイチャしようとする」


「してないっ!! 変なこと言わないでルシアちゃん!」


「え~? でも、お姉ちゃんのことだから甲斐甲斐しく世話してそのままベッドに……」


「ルシアちゃん!!」


 まだ他にも獣がいるかもしれないというのに、賑やかに喧嘩を始める姉妹。


 誰が送ろうと家にはティルがいるし、ベッドは空いてないよって言いたいが、楽しそうなので無言を貫いた。


 しかし、自分で想像していた以上に無理をしていたらしい。


 一瞬だけ世界がぐらつく。


 なぜか空の色が見えた。


 違う。世界が回ったわけじゃない。俺が、倒れているのだ。


 それを理解した瞬間、後頭部に激しい痛みを覚えて、俺の意識は刈り取られた。

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