第124話 絶体絶命
ぼとり、と熊の首が落ちる。大量の鮮血が飛び散り、地面を赤く染め上げた。次第に小さな血溜まりを作る。
もの言わぬ骸と化した熊の死体を見下ろしながら、俺は剣身に付着した血を払い鞘に納める。
全身を巡る緊張感から解放され、ドッと疲労が押し寄せた。そこへ、ぱたぱたと二人の姉妹がやって来る。
「マリウス! やったわね! 見事な一撃だったわ」
「お疲れ様でしたマリウスさん。怪我はありませんか?」
「お疲れさま二人とも。ネアとルシアの援護射撃があったおかげで無事だよ。ありがとう」
「僕たちは精々が隙を作ることくらいしかできませんでした。たったひとりであんな巨大な熊を相手に頑張ったのは、マリウスさんですよっ」
「そうね。認めるのは癪だけど、今日のあなたは頑張ったと言えるわ。褒めてあげる」
「ついさっき褒めてましたけど、そのツン要素いります?」
「う、る、さ、い!」
彼女たちのほうも解放感を抱いているのか、森の中だというのに無意識に無防備になっていた。
無理もない。俺が来るまでのあいだ、あの熊を相手にしてくれていたのだ。その疲労は、正面からぶつかった俺にも負けないものだろう。
感極まって抱きついてくるルシアに押し倒さないよう注意しながら、みんなで笑う。
このあと、倒した熊を村まで運んで解体するまでが仕事だ。血抜きもして村人全員に配らないと。熊の肉ってあんまり美味しくないイメージがあるが、まあ煮込み料理の具材にでもしたらなんとかなるだろ。
いまは生き残ったことを噛み締める。
「それにしても、大変だったわね……早めに熊の足跡に気付いてよかったわ」
「そうだよねぇ。こんなに疲れたのは久しぶりかも。でも、最初に見つかった時は
「徐々に近付いてくるっていうか、一気に距離を詰めてきた感じだからな。俺も、こんなに早く襲われるとは思ってもみなかった。獲物を探していたのかな?」
「だとしたら、子供がいたとか? 行動範囲の広さ的に、自分の食料を確保するには必死すぎない?」
「もしかすると、お腹が空いてたのかもしれないな……」
倒れる熊に、全員の視線が向いた。
たとえ相手にもそれなりの理由があったとしても、襲われた以上は抗う。それが自然の摂理であり、生き物としての当然の自己防衛だ。
俺はまだ生き物を殺すことには慣れていないが、村を、ネアたちを助けるためなら躊躇なく剣を振れた。
切羽詰っていようが、熊を殺したことに罪悪感は感じない。これでよかったのだと思う。
「ま、嫌な想像はそのくらいにしておきましょう。万が一にも、番が近くにいるなんて状況になったら困るもの」
「確かにね」
脳裏に浮かんだよくない未来を、ネアもルシアも首を振って無理やり頭の中から追い出す。俺もこれ以上はなにも考えたくなかった。
ひとしきり休憩が終わると、最後の最後で
「さて、それじゃあ……この熊の死体を運ぼうか。村の人たちを呼んでくる?」
「うーん……まだ完全に安全と決まったわけでもないし、俺が頑張って持っていくよ。身体強化の魔法を使えばなんとか運べると思う」
「そ。頑張ってね。応援してるわよ」
「ありがとうございまーす!」
そのとき。
顔を上げた瞬間に、ネアたちの横から赤いなにかが近付いてくるのが見えた。一秒後には、それが獣だと脳が理解する。やや遅れて、ネアたちもその存在に気付いた。これまでの彼女たちだったら、すぐそばに近付かれる前に相手の接近に気付いただろう。それが、苦難を超えたことで緩んでいた。無意識にもう安全だと思ってしまった。
穏やかな空気が、緊張感と不安に塗り潰される。咄嗟に、俺は走った。熊の死体を置き去り、ただ全力で走る。突然の乱入者に、ネアたちは一瞬だけ体が硬直してしまう。恐怖に負けて、反応が遅れた。
茂みの中から先ほどの熊と同じくらいの熊が現れると、横を向いたままネアは下がろうとする。しかし遅かった。
怒り狂った熊が右手を上げて、鋭い爪をネアに振り下ろす。
ダメだ。間に合わない。熊の攻撃のほうが速い————!
ブンッ!
咄嗟に俺は、鞘から抜いた剣を全力で投擲した。空気を切り裂き、凄まじい速度で飛来した刃が、振り下ろしかけていた熊の腕を貫く。
当たる確証はなかった。けど、なぜかそれでいいと言わんばかりに体が自動で動いた気がする。
痛みに苦悶する熊。俺はなんとかネアの前に辿り着き、彼女を守るべく覚悟を決めた。
それと同時に、暴れ出した熊による攻撃が、鋭い爪が、俺の体を引き裂いた。
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