第120話 短い幸せ
目を開ける。ぼやける視界で天井を見上げながら、俺はぽつりと呟いた。
「夢を……見たような気がする」
と。
夢の内容は思い出せない。無理に思い出そうとすると、まるで霞みがかったように消えていく。だが、なんとなく温かい記憶だったと体が覚えていた。なにか、忘れられない記憶だったような……。
そこまで思い出して、隣に寝転がるティルが目を覚ます。「う、んん?」と言いながら瞼を開けた彼女が、真っ先に俺の姿を探してバッチリ目が合う。
「……マリウス様、おはようございます。今日は一段と起きるのが早いですね」
「おはようティル。なんだか不思議な夢を見てような気がしてね。すこぶる気分がいい」
「そうなんですか? どんな夢だったか聞いても?」
「構わないよ。……と言っても、残念ながら夢の内容は覚えていないんだけどね。誰かと一緒だった気がする」
「誰かと……女ですか」
ひえっ。
急にティルの目付きが鋭くなった。
さながら浮気が見つかったクズ男のような気分になりながらも、俺は慌てて彼女の言葉を否定した。
「ち、違う! いや、相手が誰だったのかは覚えてないが、俺の夢に出てくる奴がイコール女というのはどうなんだ……男の可能性だってあるだろ」
「なるほど。確かにその可能性がゼロとは言えませんね。ええ、ええ。お父君が出てくる可能性だっておおいにあるでしょう。その上で、私はマリウス様に尋ねます」
「? なにを?」
「マリウス様は、男性のご友人がいるでしょうか? たとえば、記憶を失い療養中のマリウス様に会いに来るようなご友人が」
「…………」
こ、この女……!
俺の急所をなんの躊躇もなく刺しやがった!
答えはゼロだ。当然ゼロだ。俺が記憶を失い、友人や家族たちの視線に苦しむ中、リリアやフローラ達が何度もお見舞いに来ることはあっても、同年代の男性が来ることはなかった。言われてみなくても、俺の周りには見事に女性しかいない。
「お見舞いに来なかっただけで、ひ、ひとりくらい……友人だって学院に……」
「マリウス様、マリウス様……残念ながら、学院にマリウス様と親しくしてる同性の方はおりません。こう言ってはなんですが、マリウス様はたいへん異性にモテます。それはもうモテます。そのせいで……その……同性の方からは逆に反感を少しだけ買ったり、なんて……」
「ははは! ティルは面白い冗談を言うね。男の友情にモテるモテないは関係ないんだよ畜生! 野郎ども!!」
「本音があっさり漏れてますよマリウス様」
仕方ないだろ!? 男の友情の脆さなんて、前世で十分に理解してる。そりゃあ俺だって、クラスメイトにモテる奴がいたら羨ましいと思うし、妬む気持ちもわかる。人間の感情がそう簡単に抑えられるとは思っていない。むしろ抑えられないからこそ感情とは厄介なものなのだ。七つの大罪に嫉妬が数えられるくらい、厄介なものなのだ。
改めて突きつけられた事実に、俺は軽いショックを受けてしまう。だが、直後、ティルが俺の体を優しく抱きしめてくれた。おかげで少しだけ気分が晴れる。
……いやいやいや。こんなクソ野郎だから同性から反感を買うのだ。自己を見つめ直すことをせず流されるままに生きるのはやめよう。うん。あともう少しだけこの心地よさを楽しんだら。
……どうやら俺には、甘えをなくすことは無理らしい。それがよくよくわかった。
▼
改めてベッドから起き上がる。ティルは朝食を作りはじめ、俺は日課の素振りを行う。
今日は天気もよく、なにやら幸せな一日の始まりを感じた。
自宅から持ってきた真剣を一心不乱に振り続ける。真剣なだけに木剣よりはるかに重いが、最近はネアたちの手伝いで猟師の真似事をしてるおかげで、少しずつ体力と筋力が全盛期? の頃に戻ってきた。俺からすると成長だが、ずっと休んでいたので恐らく前の自分に戻っているだけだろう。
こういった訓練やら鍛錬は、サボればサボるほど何日分の遅れになる。グレイロード公爵家は騎士の家系なので、記憶が戻ろうと戻るまいと俺はいずれ家督を継ぎ、立派な騎士にならねばならない。
領地の運営は母が頑張っているらしいので、勉強しながらもメインは騎士としての武勲だ。王都や領地周辺の魔物を蹴散らしたりしないといけない。
まだハッキリと将来を受け入れたわけではないが、逃げることもまたできない。それに、いつかは記憶も取り戻す。その時に出遅れないよう、今からしっかり準備をしておく。
そういう考えているうちに一日のノルマが終了する。全身から溢れ出た汗をタオルで拭きながら、剣を鞘に納めて家に入る。
シャワーを浴びてすっきりすると、そのタイミングで家の扉がノックされた。控えめな音じゃない。ドンドンと大きな音で乱暴にノックされる。
なんだなんだと思っていると、扉の反対側から聞き覚えのある声が聞こえた。村長の声だ。焦燥感の漂う声で村長は叫ぶ。
「た、大変だマリウスさん! 村の近くに、大きなクマが!!」
———————————————————————
あとがき。
ようやく終わりが見えてきました。
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