第108話 新天地

「……ん、んん?」


 目を覚ます。真っ先に視界に映った見慣れぬ木製の天井を見て、一瞬だけ思考が迷子になった。しかしすぐに思い出す。ここが王都から遠く離れた辺境の地だということを。


「そうだった。昨日からこの村で生活することになったんだ……」


 ぼやける視界のままグッと背筋を伸ばすと、先日の疲れが残っていたのか微妙に体が重い。新居に引っ越した? 記念に、徹夜で掃除なんかをしてたからな。全身ボキボキと骨が鳴る。


 さっさと早朝の運動でもしようかと掛け布団を外して……気付く。


 隣に薄着の女性——ティルが寝ていたことに。


「あ……忘れてた」


 そう言えば昨日は、就寝前に彼女と揉めた。かなり揉めた。


 それはなぜかと言うと、この建物にベッドがひとつしかなかったのだ。当然、俺は女性を優先する。紳士だからな。しかし、メイドである自分が主人を差し置いてベッドを使えるか! とティルが激昂。


 ああだこうだと折衷案を出しまくった結果、こうして一緒のベッドで寝ることになった。


 我ながら同居もまずいのに、ひとつのベッドで一夜を共にするとはなんて……いやもちろん一切手は出していない。ティルの服はやや乱れているが、脱げた痕跡もないし布団はいい匂いがする。


 チキン? 勝手に言ってろ。ただでさえ記憶がなくて困ってるのに、婚約者を差し置いてエッチな真似などできるか。王都に帰ってそのことが露見でもしてみろ。あの王女様に確実に殺される。


「それにしても……ティルが俺より起きるのが遅いのは珍しいな」


 彼女のサラサラな髪を撫でる。


 ティルはふざけることもあるが、仕事に関してはかなり真面目だ。


 屋敷にいた頃は絶対に俺より早く起きるし、俺より寝るのが遅い。掃除も料理も洗濯も完璧らしく、たまに彼女の手料理を口にしたことがあるが、普通に美味しかった。


 けれどそんな彼女も、慣れない長旅に心身をやられたのだろう。昨日は遅くまで掃除を頑張ってくれたしな。


 もう少しだけこのまま寝かせてあげようと掛け布団を直し、俺はひとりだけ外へ出る。


 扉を開けると、やはり王都とは違う新鮮な空気が体内へ入り込んだ。うーん、気持ちいい。何度も深呼吸を繰り返し、持ってきた真剣を鞘から抜いた。


 しばらくここで生活することになるのだ。猟師見習いとして、それなりに動けないと迷惑をかける。


 記憶はいまのところサッパリだが、それでも俺の記憶はなんとなく剣の振り方を覚えてる。完璧とはいかないが、前世基準で運動神経抜群の若者……くらいには動けるだろう。


 ひとまず訓練方法などわからないので、剣をぶんぶん上下に振り回す。とても正解とは思えないが、なにもしないよりマシだ。


 そうして何十分ものあいだ剣を振り続けていると、背後——家の中でドタバタと音がした。気になって剣を振る手を止めて振り返ると、そのタイミングで扉が勢いよく開く。中から姿を現したのは、当たり前のことだがティルだった。


「おはようティル。朝からそんなに慌ててどうした? 怖い夢でも見たのか?」


「ち、違います! 起きたらベッドにマリウス様がいなくて、朝で……どうして起こしてくれなかったんですか!?」


「どうしてって……ティルは疲れていたんだろう? それなのに起こせないよ。可愛い寝顔も見れたし、俺は満足さ」


「~~~~~~!!」


 からかいを含んだ俺の言葉に、ティルはまんまと顔を赤くした。髪を乱しながらこちらへやってくると、昨日と同じようにポカポカ俺の胸元を叩く。


 屋敷の中じゃないからか、旅に出てからのティルはちょっと新鮮だな。肩肘張ってないっていうか、自然体だ。


「あはは、ごめんごめん。でも疲れてるなら無理しなくていいよ。ここはグレイロード公爵邸じゃないんだ。やることなんてほとんどない」


「それでも私はマリウス様のメイドです。マリウス様のそばに張り付き、率先して仕事を探さねば!」


「仕事熱心っていうか、もはや中毒だねぇ……はいはい。じゃあ朝ごはんでも作ってくれると嬉しいな」


 まったく。少しはサボってもいいだろうに、ティルは変なところで真面目だなぁ。


 ほどほどに汗をかいたので、俺も彼女と一緒に自宅へ戻る。


 風呂はいちいち沸かすのが面倒だが、貴族たるもの身嗜みには気をつかってください、ということなので沸かす。


 その間、ティルは俺と自分の朝食を作っていた。




 ▼




 風呂を済ませ、ティルが作ってくれた朝食を食べる。


 今日も素晴らしい出来だ。王都を出てからというもの、節約と称して彼女には何度も腕をふるってもらった。おかげで豪勢ではない料理に楽しみを見い出せるというもの。人は、一度味わった贅沢をなかなか捨てられないらしいからね。心底、彼女がいてよかったと今では思う。


「そう言えば今日にでも村の猟師と顔合わせするんでしたっけ。なんでも女性の猟師とか。珍しいですね」


「ああ。俺も男性以外の猟師を見るのは初めてだ。よほど腕がいいんだろうね」


 もしくはまともな男がいないか。


「……篭絡しないでくださいね。面倒なことになるので」


「しないよ」


 失礼な。俺をなんだと思ってる! ……うん、反省してます。王都では俺のせいで色々大変だったそうだからなぁ。


 リリアにセシリア。フローラにアナスタシア……あと恐らくティアラもそうだ。そこにティルを含めれば、相当な数の女性を魅了してしまったと言える。我ながら節操がないな。


 とはいえさすがに村にやってきたばかりの身だ。いきなり女性とそういう雰囲気になるとは考えにくい。こちらからもなるべき距離を離す……のは仕事上難しいな。まあ、猟師ならそこまで男には興味がないだろう。


 そう結論を出したところで、扉が数回ノックされた。


 すぐに反対側から声が聞こえてくる。


「マリウスさん? 村長のウィールだ。昨日言ってた猟師の子を連れてきたよ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る