第102話 旅立ちの日

 高等魔法学院の前期が終了した。これから夏休みに入る。


 そんな報告をリリア達から聞いた俺は、一ヶ月ほどの長期休暇を素直に喜べないでいた。


 それはそうだろう。まったくもって近況を思い出せないが、俺はフォルネイヤ・スノーという少女を助けるために呪いを受け、近況どころか知り合いと両親の名前すら忘れてしまった。しばらくはそれを理由に療養していたため、新しいまっさらな記憶に学校生活の思い出はない。


 そこへ「夏休みがきたよ。たくさん遊べるね!」と言われても心底困惑するというものだ。


 まあ、自分を見つめ直すきっかけにはちょうどいい。前々から考えていたを実行に移すとしよう。


 目の前で楽しそうに夏の予定を立てるリリア達を眺めながら、ふと、心の中でそう呟くのだった。




 ▼




 決行を決意するや否や、俺の行動は早かった。


 事前にある程度の旅支度を済ませていたおかげで、夏休みに入った翌日には、荷物を背負って外に出れた。まだ陽が昇るより前にグレイロード公爵邸を離れたため、外の景色はほとんど真っ暗だった。


 前世みたいな街灯が通りにちらほら並んでいるならともかく、今の俺には月の明かりくらいしか頼れるものがない。精々転ばないよう注意を払いながら王都を南下していく。目指すべき場所はひとつだ。


 正門のそばにある馬車の乗り合い所。そこから遠く離れた田舎まで向かう。


 いくつかの街や村を経由しないと辿り着けない田舎をすでに見つけてある。そこまで離れれば、こうして勝手に家を抜け出しても簡単にはリリア達も俺を追ってはこれない。


 彼女たちには非常に悪いとは思いつつ、それでも俺はひとりになりたかった。理由は単純だ。誰も知らない、誰もが哀しむ今の日常は、俺にとってあまりにも苦しい。だから、せめて記憶を思い出せるまで……もしくは夏休みが終わるまでの間は、王都から離れたかった。


 夏場の生暖かい風が頬を撫でる。暑苦しいとわかっているが、人相を隠すために外套を羽織り、フードをかぶる。


 後ろ髪を引かれる思いで一度だけ背後を振り返ったあと、俺は様々な感情を捨て去って歩き出す。


 なに、一生の別れではない。また戻ってくる。それまではこの気持ちに蓋をしよう。


 グッと拳を握り締めたまま、俺はひたすら前だけを目指した。




 ▼




 家を飛び出して三十分。珍しい夜中の景色を眺めながら歩いていると、次第に正門付近で明かりが見えた。こんな時間にも関わらず馬車は動いているのかと疑問を抱いたら、俺の想像通りに数名の御者たちが屋根付きのベンチに座って談笑していた。


 やや申し訳ない気持ちをぶら下げて、それでも俺は彼らに話しかける。


「すみません。まだ早朝にもなっていませんが、今から馬車に乗れたりしますか?」


「ん? おお、なんだいこんな時間に。どこかへ遠出かな? 悪いが、朝日が昇ってからの出発なんだ。もう少しだけそこで待っててくれるかい?」


 声をかけられた男たちは、コーヒーなのかお茶なのか液体の入ったカップを片手に、次々に挨拶してくれる。


 だが、そうか。やはりさすがに早すぎたらしい。お礼を告げて近くに腰を下ろす。


「朝陽が出てくるのはどれくらいだろう? あと三十分? 一時間?」


 前世じゃここまで早い時間に起きたことは数えるくらいしかない。基本的に十進法など前世に通じる概念やら法則やらが存在するが、それでも俺は万能の天才じゃない。わからないことはわからない。


 でもまあそんなに時間もかからないだろう。少なくとも専属メイドのティルノアが俺を起こしに来る時間よりは、朝陽が昇るほうが早い。


 だから小さな心配事は頭の片隅に置いて、俺はのんびり馬車が動くのを待った。


 すると、ものの五分で、俺以外の客が姿を見せる。


 大きなトランクケースに、見慣れた私服を着た……


「え」


 の姿を視界に捉えた瞬間に、俺は思わず唖然としてしまう。疑問だけが脳裏を埋め尽くし、辛うじて数秒後、なんとか言葉を絞り出すことに成功した。




「な、なんで……ティルノアがここに!?」


———————————————————————

あとがき。


さあ物語も佳境に入りますよぉ!

最後のヒロインはメイドだぁああ!



あ、総PV100万突破ありがとうございます‼︎(土下座)

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