続!バレンタインデー特別編『メイドの愛はあまあまっ』

まえがき。


後半ちょっとエッチ、かもです。

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「バレンタインデー……ですか?」




 グレイロード公爵邸。マリウスの自室にて、専属メイドのティルノアが首を傾げる。


 その様子にマリウスはティーカップを持ったままこくりと頷いた。


「ああ。遠い島国で行われるイベントだそうだ。チョコレートを手作りし、好意と共に相手へ贈る。そんな感じのイベントらしい」


「他国にはそのような行事が……よくご存知でしたね」


 ティルノアは、マリウスから初めて『バレンタインデー』なるイベントの話を聞いた。それなりに勉強し、様々な分野の知識を身に付けてなお、マリウスには驚かされる。一体、そういった情報をどこから得ているのか。彼女は素直に気になった。


 しかし、ティルノアの尊敬の篭った眼差しを受けて、マリウスの眉間がややシワを作る。


 紅茶を飲んでもいないのに、どこか苦虫を噛み締めたような表情を作ってから言った。


「本……そう、本で読んだんだ!」


 苦し紛れの言い訳に、さらにティルノアが詰め寄る。


「どの本でしょう。グレイロード公爵邸にある本ですか? 私も他国の話には興味があります」


「えっ!? いやー……どの本だったかな? ちょくちょくアナスタシアと研究とかしてるから、たぶんこの家にある本じゃないと思うけど……ごめんね」


「そうですか……残念です」


 ティルノアはマリウスの嘘に気付いていない。アナスタシアとのやり取りを知っているので、そうなのかと信じた。


「それで、そのバレンタインデーがどうかしましたか?」


「大したことじゃないよ。ただ、バレンタインデーが行われるのが2月の14日。つまり……来週なんだ。ティルが用意してくれたチョコレートを見て、ふとそれに気付いた。それだけさ」


「なるほど。バレンタインデー……」


 口元に人差し指を添えてティルノアが思考を巡らせる。


 ちらりと横目でそれを見たあと、マリウスがにやりと笑みを浮かべた。


「どうしたティル。もしかして贈りたい相手でもいるのか? お前も年頃の乙女だしな。いいだろう。恋愛の一つくらい許さずして、次期公爵とは言えない。仕事に支障が出ない範囲で——」


「違います」


 許可しよう、と言いかけて声を遮られる。ティルノアに。


 見ると彼女は、絶対零度に近いほど冷たい視線をマリウスへ送っていた。その理由がわからない本人は、頭上に『!?』を浮かべて困惑する。


 彼女が誰よりも敬愛するのが自分だとは気付いていないらしい。もしくは、気付いているが恋愛対象になっているとは思っていないのだろう。相変わらずの鈍感具合に、思わずティルノアのため息が漏れた。


「たしかにチョコレートを贈りたい相手はいますが……あなたですよ、マリウス様。どこの馬の骨とも知れぬ殿方に興味はありません。私は、あなたにチョコレートを受け取ってほしいのです」


「え? 俺?」


「はい。先ほどご自身で仰ったじゃないですか。バレンタインデーは、チョコレートに好意を乗せて送るのでしょう? 私の想い……受け取ってくれませんか?」


「えぇえええ!?」


 急にしおらしくそんなことを言うものだから、さすがのマリウスも叫んだ。




 こうして、ティルノア・クラベリーのバレンタインが始まる。




 ▼




 バレンタインデーの話を聞いて一週間。


 マリウスからチョコレートのレシピを譲り受けたティルノアは、その一週間をひたすらチョコ作りに費やした。


 来る日も来る日も、時間を見つけてはチョコケーキを作る。何度も何度も失敗してはそれを食べ、飽きたら同僚に配る日々。


 砂糖やチョコレートを使うのだから当然材料費はかさむが、自分のために作ってくれてるなら金くらいは出す、とマリウスが言ってくれたことで、費用の面は問題ない。むしろ時間の少なさがネックだった。


 ティルノアはグレイロード公爵家のメイドだ。マリウスの専属とはいえ、やるべきことは多い。そんな多忙の中、わずかな時間を調理にのみ注いでも満足のいく結果を得られるまでの道のりは遠かった。


 マリウスのために完璧を求め、同僚から『もうケーキは嫌だ……』と言われても彼女はケーキを作り続けた。


 そして、一週間という長いようで短い七日間が過ぎる。


 結果としては、それなりに満足のいく一品が出来上がった。大量の材料と時間、金を消費したことで一品だけまともな物が作れた。応援してくれた他の使用人たちも、げっそりした顔で拍手してくれる。


「あとはこれを冷凍室に入れて、夕食の時に出せば……完璧ですね」


 やりきった感を出して、めくった袖を元に戻す。胸中に飛来した達成感に酔いしれながら、ティルノアはその時をひたすら待った。ケーキを作っている最中は、時間の経過が一瞬にも思えたのに、それをいざマリウスへ出そうと思うと、今度は時間の流れが酷く遅く感じるのだった。




 ▼




 コンコン。


 夕食のあと、控えめな音でマリウスの自室の扉がノックされた。


 誰が来るのか事前に知っていたマリウスは、「誰だ」とは言わずに、


「入れ」


 と簡潔に入室を許可する。


 ガチャリと扉が開かれ、チョコケーキをトレイに乗せたティルノアが部屋に入る。慣れた動作でソファに座るマリウスの前に皿を置いた。


「どうぞ。こちらが私の作ったチョコケーキになります。残念ながら味見のほうはしておりませんが、見栄えだけでも完璧になりましたのでご安心を」


「全然安心できない説明をありがとう。……でも嬉しいよ。今日は一段と疲れたから、甘いものが欲しかったんだ。それがチョコレートなのは少しだけ複雑だけど……」


 そう言ってマリウスは、フォークを手にしてケーキを一口サイズに切った。先端で突き刺し、ゆっくりと口内へ運ぶ。そして咀嚼。


 しっかりと味わってから感想を述べた。


「うん。美味しい。ティルが料理を作るのが上手なのは知ってたけど、本当に美味しいよ」


「ありがとうございます。本当なら、マリウス様にはチョコレート以外のお菓子を出すべきでしたが……喜んでいただけて幸いです」


「まあ、バレンタインデーなんて余計なことを言ったのは俺だからな。その責任くらいはとるさ」




 そう。今日はマリウスの前世でいうバレンタインデー当日。


 マリウスはそのことをティルノアに話したが、同じ内容をリリア達にも説明していた。その結果、好きな相手にチョコを渡す——という部分を聞いたリリア達が、黙ってバレンタインデーを見逃すはずもなく、夕食前まで彼女たちが用意したチョコを無理やり食べさせられていた。


 おかげで夕食はほとんど入らず、ティルノアが用意したケーキもあまり手が進まない。


 だが、それでもティルノアは嬉しかった。そんな状態でも自分が作ったケーキをちゃんと食べてくれるマリウスの優しさが、たまらなく嬉しかった。


 努めて冷静に返事を返しながらも、マリウスから表情を隠してニヤニヤ笑ってしまう。達成感と満足感でアドレナリンの放出が凄まじい。下手をすると、過剰な幸福感に酔いしれてしまいそうだった。


「……でも、さすがにビビったなぁ。リリアのチョコ、通常のチョコの何倍もデカかったし、フローラのにいたっては、自分の体にチョコレート塗りはじめたからな……。しかもあれで最初に作ってたチョコよりマシっていう……」


「愛が深いですね。リリア殿下もフローラ様も」


「深いっていうか重いっていうかベクトルが違うっていうか……もっと普通のチョコが欲しかったよ」


 そこまで言って、ティルノアのチョコケーキを全て食べ終える。


 フォークをテーブルに置いて、満足そうにソファへ背中をあずけた。疲れているのか、表情には疲労の色が見え、思わず瞼を閉じてしまう。このまま放置すると勝手に寝てしまいそうだった。


「ダメですよマリウス様。寝るならちゃんと着替えてベッドで寝てください」


「わかってるわかってる……ちょっと今日のことを振り返ってるだけさ。寝ないよ……」


 絶対に嘘だ。そうわかっているのに、これ以上強く言えないティルノアはマリウスに甘かった。やれやれと肩を竦めたあと、テーブルに置いてある皿をトレイに乗せて部屋を出る。


 未だ調理場で仕事中のコックへ一言「すみません」と告げて皿を流し台に置き、紅茶を淹れなおしてマリウスの部屋に戻る。


 すると、




「すぅ……すぅ……」




 マリウスがソファの上で寝ていた。ノックをしても返事がないと思い入ればこれだ。ティルノアの予想どおりの展開になった。


「まったく……やっぱり寝てるじゃないですか、マリウス様」


 持ってきた新しいティーカップをテーブルに置いて、彼女は手を伸ばす。早くマリウスを起こさないと服にシワができるし、体にも悪い。伸ばした手が、かすかにマリウスの肩に触れ……ぴたりと動きを止める。


「…………」


 ダメだ、とわかってる。メイドらしくない、とわかってる。一介の使用人ごときが不敬で邪だとわかっている、が……抱いてしまった妄想を、彼女は簡単には振り払えなかった。


 そっと肩から手を離し、おもむろにマリウスの隣へ腰をおろす。次いで、顔を真っ赤にしながらもマリウスとの距離をじりじりと詰めていき……お互いの肩が触れ合う。匂いを感じるくらいの距離感に、ティルノアはくらくらとした。


「んっ……はぁ……」


 マリウスの手に触れる。握った。自らの頭を肩に落とし、鼻を彼の衣服に押し付ける。そしてスンスンッ、と匂いを嗅ぐ。


 直後、言い知れぬ興奮が彼女を襲った。びくりと全身が震え、息が徐々に荒くなる。


 こんなことをしてはだめだ。見つかったらまずい。そう思えば思うほど、ティルノアの中でタガが外れていく。たまに寝ているマリウスへ悪戯することはあっても、これほど密着し、やりたい放題なのは珍しい。


 たまたまマリウスが疲れて眠ってしまった今がチャンスなのだと、本能が勝手に体を動かす。意識全てがマリウスの色に染められ、次第に、彼女の顔が上を目指しはじめた。


 そこには主人の顔がある。閉じられた瞼に、整った顔立ちに、柔らかそうな唇が。


 鼻を近づけるとほんのわずかに甘い匂いがする。それが自分の作ったケーキのことだとわかると、余計に強い興奮が胸中を満たした。


「ごめっ……ごめん……なさい。私は、マリウス様を……」


 それは認められない想い。決して結ばれぬ恋。叶わぬ激情が、涙を流しながらもを望む。


 嫌だ。嫌だ嫌だ。私を見てほしい。私だって見てほしい。誰よりも近くで見ていたのに。誰よりもマリウスを想っていたのに。けれど彼は、気付けば遠くへ行ってしまった。


 愚かで卑しい自分は選ばれない。彼の周りにはもう素敵な女性が溢れている。だから、いつかは捨てられるのだと脅迫観念に襲われた。


 満たされたい。もっと満たされたい。触れて、囁かれて、抱きしめられたい。


 一番じゃなくていい。二番じゃなくていい。頭の片隅にでも、欠片ほどでも好かれているならそれでいい。ただ、ほんの少しでも愛されたかった。


 その思いが、ティルノアの暴走に拍車をかけ……。




 二人の影が、静かに重なった。




 時間にして数秒。すぐに唇を離した彼女は、燃えそうなほど顔を真っ赤にしてソファから立ち上がる。自分がいかに愚かな行動をしたのか反省しつつ、だがそっと自らの唇に触れた。


 そして、噛み締めるように呟く。




「……私も、マリウス様から……バレンタインデーのチョコ、貰っちゃいました」

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