第70話 増える疑問

 なんか女の子が木の上に登ってる件。


「な、なにやってんだ……?」


 立ち止まって彼女の奇行を凝視する。俺の記憶によると、主人公が木の上に登るイベントシーンなどなかったような気がする。が、俺が覚えていないだけでそういうイベントもあったのだろうか?


 呆然とその場で立ち尽くしていると、一生懸命に腕を伸ばす彼女と目が合った。


「——げっ。なんでマリウスがこんな所に……」


「ずいぶんな挨拶だな。お前こそそんな所でなにやってんだ。木登りが趣味か?」


「ち、違います! 木の上に猫が登っちゃって降りられなくなってたから……」


「……猫?」


 たしかによく見ると、彼女が腕を伸ばしてる方向にぷるぷると震える黒猫がいた。なにを考えてそこまで登ったのか。というかどうやって登ったのか、高い場所まで登ったまま降りられなくなった猫を彼女は救おうとしていたらしい。


 だが、明らかに彼女もぷるぷる震えていた。怖いだろうに無理をして……というか彼女もどうやって登ったんだ? すごいな。


「あともうちょっとなの……邪魔、しないで!」


「してないよ」


 もうなんだかめんどくさかった。おかしな奇行、もといおかしな優しさに先ほどまでの疑問と不安が吹き飛ぶ。


 俺は取り合えず今日のところは出直すかと思い踵を返し、——そのタイミングで、実に不吉な「あ!」という声が聞こえた。ちらりと背後を見ると、今にも落ちそうな少女の姿が見える。


 手を滑らせたのだろう。まるでスローモーションのようにゆっくりと彼女が落ちる。俺は慌てて地面を蹴っていた。


「いたっ!…………くない?」


 おそるおそるといった風に、閉じていた目を開ける少女。そんな彼女の瞳に、呆れた顔の自分が映っていた。


 そう。彼女は落ちた。もう見事なくらいにキレイに落ちた。そこへ、身体強化した俺が走り、地面へ接触するギリギリで彼女をキャッチする。スライディングまで決めて見事に救ってやった。おかげでちょっとだけ制服のズボンが汚れた。


「な、なな、ななななな!? なんで……マリウスが……」


「ったく。びっくりする前にお礼くらい言ったらどうだ? もう少しで怪我するところだったんだぞ? 猫を助けるのはいいが、自分が怪我するような真似はやめとけ。危ないだろ」


 やれやれと肩を竦める俺。座ったまま彼女を抱き上げてる状態は、自分の精神衛生上よろしくないのですぐに下ろした。そしてズボンについた汚れを払いながら立ち上がる。


「って、あの猫野郎。自分で降りれるじゃねぇか……」


 主人公? が木から落ちたことにびっくりしたのか、先ほどまで猫がいた場所にはもう何もない。辺りをきょろきょろ見渡すと、茂みの中に入っていく野郎の姿が見えた。思わずため息が漏れてしまう。


 まあ彼女を救えたのだから問題ないか。……いや、別に救う意味はなかったが、体が先に動いてしまったので仕方ない。


「あの、その……えっと……ありがとう、ございました。マリウス、様のおかげで、怪我しないで済んだし……本当に、ありがとう」


「どういたしまして」


「ズボン、汚れちゃったよね。ごめんなさい。ちゃんと弁償するから……」


「ズボン? ああ……別にいいよ。ウチ裕福だし、これくらい普通にまた買える。だから気にしないでくれ。それより、怪我がないかどうかちゃんと保健室にでも行って見てもらえよ?」


 それだけ言って俺はひらひらと手を振りながら歩き出す。そろそろリリア達の下へ戻ろう。木から落ちて彼女も気が動転してるだろうし。


「え!? なんで……え? あなた、本当に……あのマリウスなの?」


 何やら失礼な言葉が後ろから聞こえてきたが、俺は無視した。今だに俺のことを昔の印象のまま覚えてる奴はいるからな。もしかすると彼女もそうなのかもしれない。だとしたら……話すだけ面倒だ。






 ……でも、おかしいな。本編が始まる前に主人公とマリウスが出会ったなんてシーンも話もなかったような……まあいいか。


 浮かんだ疑問を即座に捨て去り、俺は欠伸をしながら近くで待機していたメイドを呼ぶ。




 ▼




 スタスタと意外ほどあっさりその場から立ち去ったマリウス。彼の背中を見送って、地面に倒れたままの少女は小さく呟いた。


「まるで別人みたい……顔は、マリウス・グレイロードのままなのに……」


 その言葉は直後に吹いた風とともに虚空へと消える。

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