第66話 たった一つの欲しいもの

 ただチョコレートの売れ行きを聞きに来ただけなのに、騒動に巻き込まれた俺とリリア。

 自分から騒動に首を突っ込んだと言いたいが、ある意味タイミングはよかったと思う。これで程よい距離感のままアナスタシアに正体を明かすことができ、俺は彼女の前から立ち去れる。


 これまでの経験上、ヒロイン達と必要以上に近付くと変にフラグが立つのは立証済みだ。あえて身分を明かすことで身分差が生まれ距離を離すという作戦が決まった。

 あとは念入りに「学校には来いよ?」と彼女に伝えて終わりだ。もう他の商会から変に突っつかれることはないだろう。


 俺はソファで眠るアナスタシアの顔を見下ろしながら、肩の荷が下りるのを感じた。

 そして、数十分ほどでアナスタシアが目を覚ます。











「ん、んん?」


「お。ようやく目を覚ましたか。おはよう」


「マリクス……?」


 目を覚ましたアナスタシア。呆然と俺の顔を見つめる。


「もう俺の名前は教えただろ。マリクスじゃない。マリウスだ。マリウス・グレイロード」


「……あれは、現実なのね」


「まあな。悪いとは思ってるよ本当に。ずっと嘘を吐いてしまった」


「ううん。公爵家の人間なら簡単に自分の素性を明かせないワケは理解できる。むしろ公爵家の人間でありながら商人とあんな気さくに付き合うなんて……マリウス様はちょっと変かも」


「変なものか。友人同士の関係に貴族の位なんていらん。俺はただの平民マリクスとしてお前と一緒にいただけだ」


「マリウス様……」


「ほどほどに暇は潰せたからな。チョコレート作りのおかげで」


 この世界に転生してしばらく、あんな風に友人と一緒に何かをしたのは初めてだった。

 前世だって友達と一緒に料理なんてしなかった。二重の意味で初めての作業に、最初は戸惑いもあったが終わってみると楽しかったと言える。

 これもまた、心境の変化かね?


「……ボクも」


「ん?」


「ボクも、楽しかった。マリウス様が教えてくれたチョコレート、一緒に誰かと何かを作るのは初めてだったから……すごく、楽しかった」


「そうか。ならその気持ちを絶対に忘れるな。そして学校へ行け」


「またその話? 耳にタコができそう」


 せっかくの雰囲気をぶち壊すなんて、みたいな目でこちらを見てくるアナスタシア。だが俺にとっては大事なことなんだ。押し売りセールスマン並みに言うぞ。


「タコでもイカでもいい。お前は絶対に高等魔法学院へ入学するんだ。そこできっと人生を変えてくれる男と出会える。そしてお前は……自分の進むべき道を見つける」


 出会い、恋を知り、苦難を乗り越えて結ばれる。その果てに、アナスタシア・オニキスは幸せを掴むのだ。

 その邪魔は絶対にしないから、せめてお前も俺の邪魔をするなよと言外に気持ちを込める。

 けれど、


「人生を変えてくれる出会いなら、もうしたからいいや」


「は?」


 アナスタシアはのっけから俺の言葉を否定する。

 思わず激しく瞬きを繰り返してしまった。


「な、なに言ってんだお前? アナスタシアの人生を変えてくれる奴は、高等魔法学院にいるんだって。いるっていうか、入学してくる。同じ時期に」


「はいはい。わかってるからもういいよその話は。意外とマリウス様ってばロマンチスト?」


「意味わからん」


 さっきから何を言ってるんだこいつは?

 まるで「お前の言いたいことはわかってるから皆まで言うな」とでも言いたげな顔だ。殴りたい。


「そんなことより」


 そんなこと!?


「あのチンピラ達はどうなったの? もう帰った?」


「チンピラ? ……ああ、あいつらか。あいつらならもう帰ったよ。安心しろ。公爵家の名を出して脅しといた。もう余計な横槍は飛んでこないだろ。商人はそこまで馬鹿じゃない」


「そっか……結局、全部マリウス様に助けられちゃった」


「気にするな。お前に関しては無視できない事情がある。感謝したいならいつか恩を返せよ? 俺が困った時にな」


「いっつも同じこと言うけど、それいつなの」


「そうだな……少なくとも数年後かな」


「曖昧。でも……わかった。必ずボクがマリウス様を守る。約束」


 そう言って彼女は笑った。

 ……笑った?

 あのアナスタシアが、俺を前で微笑んだ。本来は個別ルートに入らないと見れないアナスタシアの笑顔がそこにある。


 く! なんて破壊力だ……思わず視線を横にずらしてしまった。


「? どうしたの。急に顔を逸らして」


「な、なんでもない! とにかく、チンピラのことは話したな? なら俺はもう帰る。ドタバタしたせいで疲れた」


「あ、待って」


「ん? まだ何か用があるのか? 忙しいぞ、俺は」


「嘘。暇なくせに」


「……たしかに暇ではあるが」


 面と向かって言われるとムカつく。


「帰る前に、マリウス様に渡したいものがあるの」


「渡したいもの? なんだ」


「えっと……あった。これ」


 アナスタシアが懐から横長の箱を取り出した。こんなものを懐に忍ばせていたのか? ちょっと箱が曲がってるぞ……まあいい。


 俺は彼女からプレゼント? らしきものを受け取り、早速、箱を開けて中身を確認する。

 すると、箱の中には……。


「ネックレス?」


 銀色の美しいネックレスが入ってた。こんな商品あったか? ぜんぜん見覚えがない。


「マリウスに似合うもの。感謝の印として作ってみた」


「作った? これを、わざわざ俺のために?」


「うん。マリウス様のおかげでオニキス商会は安泰。そのお礼。付けてくれると、嬉しいな」


「……サンキュー。ネックレスはあんまりしてこなかったから、これからは付けて出掛けることにするよ」


 そう言って俺は彼女から受け取ったネックレスを早速さっそく首に下げた。


「どうだ? 似合うか?」


「うん。とってもよく似合う」


「そうか。ありがとう。大切にするよ」


「そうした方がいい。そしてネックレスを見るたびに……」


「見るたびに?」


 なんだ。


「……ううん。なんでもない。それより、ね」


 気になる言葉の濁し方をしたあと、急にアナスタシアはもじもじし始めた。

 そして、僅かに頬を赤くしてまた彼女は笑う。


「ボク……欲しいものができたんだ。ボクの人生を変えてくれたもの。まるで悪い魔女に騙されたボクを、闇の中から救い出してくれた王子さま……子供の頃に読んだ絵本に出てくる、カッコいいボクだけの王子様」


「ボク、欲しいものができたんだ」


「欲しいもの?」


「人生を変えてくれた光。それが、どうしても欲しいの」


 急になんだ? セシリアみたいな恥ずかしいこと言い出したぞ。


「今はまだその光に届かない。ボクには何もないから。……けど、必ずいつか……手に入れてみせる。オニキス商会の名を高めて」


 それだけ言うと、アナスタシアは視線を窓際へそらした。

 なにを言いたいのかサッパリわからなかったが、一部始終を見ていたリリアからのちに鉄拳制裁という名の暴力を振るわれることになった……理不尽。











「……あれ? そう言えばアナスタシアからネックレスを貰うのって……個別ルートに入るためのイベントじゃ……」


 気のせいか?

 いや……たしかにそんなシーンがあったような……。


「もしかして俺、——またやらかした!?」


 俺が自らの失敗に気付いたのは、自宅に着いてアナスタシアから貰ったネックレスを外した時。




 まさに……全てが遅かった。


———————————————————————

あとがき。


駆け足気味にヒロイン編終了!

リリアの短編を挟んで学園編が始まります。

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