第63話 ありがとうを貴方に

「……マリクス」


 テーブルに肘をつけたまま頬杖するアナスタシア。彼女は、自らが作り上げたチョコレートを見下ろしながら、とある恩人の名前を口にする。

 その名は、自分の人生を大きく変えたくれた一人の少年の名前。


 出会いは偶然で、趣味で行ってる炊き出しの最中に彼とアナスタシアは出会った。

 最初はオーラのあるどこぞの貴族の子息だと思った。身なりこそは平民だが、まとうオーラまでは消せない。


 しかし、貴族がこんな貧民街に一体なんの用なのかアナスタシアはわからなかった。自分のように炊き出しをしに来たわけでもなく、ただ料理を口にする平民たちを楽しそうでもつまらなそうでもなく眺めていた不思議な少年。


 ふと彼のことが気になり料理を運んで行ったのが、二人の始まりだった。


 最初の会話は面白味のない内容だった。すぐに会話は終わり、別れた。けれど最後になんとなく発した言葉を受け取った謎の少年は、翌日の炊き出しにも顔を出してくれた。


 そばには見るからに高貴なオーラを振りまく美少女がいた。彼女かな? と思って訊ねたところ、食い気味に彼女だと美少女は言う。


 マリクスは恋愛ごとに興味がないアナスタシアでもイケメンだと思えるほど整った美少年で、まあ彼女の一人や二人くらいはいて当然かと素直に納得した。


 けど、マリクスと名乗った彼はただの貴族でもイケメンでもなかった。


 彼はアナスタシアが知らない知識を持つ天才的な人間だったのだ。それが発覚したのは、名前を知ったその日。

 なんとなく言いにくいはずの家庭の話を彼らに聞かせた。きっかけは、高等魔法学院への入学うんぬん。


 もしかしたら貴族のマリクスが力を貸してくれるかもしれない、そんな淡い期待を胸に、アナスタシアは最近の不景気を語る。


 するとマリクスは、たまたま漏らしたカカオという安いだけで何の恩恵ももたらさない植物を使った、面白いお菓子の話を聞かせてくれた。


 甘味の名前はチョコレート。どこで知ったのか本人すら覚えていなかったが、教えてもらった作りかた通りに作ったチョコレートは、アナスタシアの想像を超える美味だった。


 これは売れる。これには無限の可能性がある。初めてチョコレートを前にしたアナスタシアはたしかにそう思った。


 試作品はマリクスによってさんざん貶されてしまったが、彼は元のチョコレートなるお菓子を知ってるのか、マリクスのダメだしは非常にためになる。どんどんチョコレートが美味しくなるのがアナスタシアにもわかった。


 そして試行錯誤を繰り返した果てに、なんとか製品化にいたる。

 奇跡の甘味だ。他の商会からのけ者にされ、営業妨害にすら遭っていたオニキス商会が、自らの名を高めるための奇跡のお菓子が出来上がった。


 売り出して数日はなかなか人気が出なかった。黒い物体をいぶかしむ者が多い。

 けれど、試食をすすめたところ、一人、また一人と貴族の子息しそく令嬢はチョコレートの魅力に堕ちていった。そして飛ぶようにチョコレートが売れはじめる。


 王族の使いがチョコレートを大量に購入しに来た時には、無表情なアナスタシアもびっくりした。どこから話を聞いたのか知らないが、試食などせずに大量購入していった。食べたことでもあるのか、バンバン売れてオニキス商会としてはビビる。


 だが、王族すら買ったチョコレートという響きは凄まじい効果を及ぼした。その日からさらに購入者は増え、今では生産が間に合わないほどの勢いでチョコレートが消えていく。


 おかげで一度は傾いたオニキス商会の名が、チョコレートを通して王都では有名を轟かせている。


 それもこれも全て、チョコレートという存在を教えてくれたマリクスのおかげだ。

 しかし、彼はそのことを伝えてもあまり興味がないのか「ふーん。そっか。よかったな」くらいしか言わない。


 売り上げの何割かを渡すと言っても頑なに受け取ろうとしないし、なにがなんでも学校へ行け、としか言わなかった。


 もしかすると彼も高等魔法学院に入学するのだろうか? そこで自分と再会し勉学に励みたいのかとアナスタシアは考えたが、あの口の悪いマリクスにかぎってそんな可愛らしい理由があるわけがないとそれを否定する。


 ただ、そうなると余計にマリクスの意図が読めない。何を狙っているのかサッパリわからなかった。

 けど別に構わない。アナスタシア達にとってマリクスは恩人だ。奇跡をもたらした偉大なる天才だ。彼がそれを願うなら高等魔法学院へ入学するし、喜んで彼が望む恩を返そうと思う。


 何より、アナスタシアはマリクスのことを気に入っていた。ぶっきらぼうながらに優しい彼のそばが、いつしか居心地がいいと感じていたのだ。






「チョコレート作り、楽しかったな」


 思い出すのは一週間ほど前の記憶。大雑把なレシピから始まった二人のチョコレート作りは、暗中模索の日々だった。


 たくさん失敗したし、たくさん無駄なことをした。でも楽しかったのだ。時に意見をぶつけ合い、時に笑い合ったあの時間が……今ではアナスタシアにとってかけがえのない日々になっている。


 また一緒に何かしたい。またマリクスと笑い合いたい。マリクスがいてくれたら、自分は絶対に道を見失わない。あの明るくも厳しい光が、どこまでも正しい道を照らしてくれると彼女は信じていた。


「アナスタシア? ちょっとチョコレートに関して話が……」


 思考の途中、部屋の扉がノックされ父の声が聞こえる。


 彼女はバラ色の記憶をすぐに隅においやり、他でもないマリクスのために今日も頑張る。

 いつか、胸を張ってマリクスに「頑張ったよ」と言いたいがために。そして何より「ありがとう」を何度でも言えるように。






 いつしかその顔に、無意識に笑顔が浮かぶほど、アナスタシアは満たされていた。


———————————————————————

あとがき。


アナスタシア編はまだ続きます。あと3話!

なのでフォロワー2000の感謝を込めて明日は3話投稿します!さっさと学園編へ行くぞー!


皆さま、これからもよろしくお願いします。


※投稿は朝(7時頃)、昼(12時頃)、夜(18時頃)に。

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