第64話 騒動

 連日、チョコレートは本当に飛ぶように売れた。

 チョコレートを売り出して一ヶ月にも満たない間、オニキス商会はその名が王都中に轟くほどの大商会へと変貌を遂げる。


 潤沢な資金を抱える古参商会に比べればまだまだ規模は小さいが、チョコレートの売り上げによって勝ち取った信頼と実績は、その他の商品を売るのに十分すぎる恩恵を与えた。

 総合力はともかく、今の王都で最も有名な商会は確実にオニキス商会だ。


「まさかこんなに早く購入制限を付けることになるとはな……我ながら恐ろしいものを売り出してしまった」


 多くの貴族たちで賑わう店内を見渡しながら、アナスタシアの父、ユーサリオ・オニキスは言った。


「売れるのは当然。チョコレートはボクとマリクスが一生懸命いっしょうけんめい作った大作。これ以上の出来はしばらくありえない」


「いやはや、マリクスくんには足を向けられないね。ここまで世話になっておきながら何の礼もいらないだなんて……彼は何者なんだろうね」


「何者でもいい。マリクスはボクの友達。それさえわかれば十分。肩書きとか権力とかそういうのはいらない」


「そうは言っても我々にはメンツがある。それとなくマリクスくんにはお礼をしないとね。我が商会が王族との関わりを持てるようになったのは、間違いなく彼のおかげなのだから」


「そのためのプレゼントはすでにボクが作っておいた。マリクスが気に入ってくれるといいけど……」


 そう言ってアナスタシアは懐から小さい箱を取りだす。

 それはオニキス商会の商品ではない。アナスタシアがマリクスにのみ送りたいと言って作らせた特注品だ。この世界にたった一つしかない大事な大事な贈り物。


「マリクスくんへのプレゼント……? ああ、そう言えばなにかウチの職人に作らせていたな。どれ、父がどんな物が見てやろう」


「平気。ボクがしっかりと監修したから失敗はない。問題はマリクスがこれを気に入るかどうか」


「だからこそ同じ男であるお父さんがだね……」


「お父さんのセンスとマリクスのセンスが同じものとは思えない。年齢ねんれい的に」


「ガーン!」


 アナスタシアの心無い言葉が、父ユーサリオの胸に深く刺さった。

 それが父を馬鹿にする言葉ではないとわかっていても、素直に年齢のことを指摘されるのは辛い。そういう年頃だった。


「う、うぅ……! 最近、アナスタシアがお父さんに冷たい……昔はあんなに素直で可愛かったのに……」


「別にボクは昔からあんまり変わってないと思う。そもそもいつの話?」


「こんなに小さかった頃の話だよ!」


 ユーサリオが両手を使ってソフトボールくらいのサイズの球体を作る。そんな子供時代あるか、とアナスタシアは冷ややかな目でツッコむ。


「お父さん……」


「う! そ、そんな目で父を見ちゃだめだよアナスタシア! 軽いジョークじゃないかジョーク!」


「面白くない」


「ぐさりっ!」


 またしてもユーサリオの胸に、愛娘の鋭い言葉が刺さる。思わず擬音を口にするほどのショックを受けた。

 するとそのタイミングで店の奥から一人の女性が姿を現す。


「あらあら。店の中で喧嘩しちゃダメよ二人とも。お客様が見てるんだから」


「お母さん」


 やって来たのはアナスタシアの母、ユーサリオの妻でもあるミルティナ・オニキスだった。

 ミルティナはのほほんとした表情でクスクス笑う。


「ボクはお父さんと喧嘩なんてしてないよ? お父さんが変なこと言うから注意してた」


「そうだったの? ごめんなさい。なんだかお父さんの様子が変だったから、喧嘩でもしちゃったのかと思ったわ」


「二人とも、こんな所でお父さんのことを変だなんだと言わないでほしいのだが……」


「事実。お父さんは、変」


「酷いっ!」


 三度、アナスタシアの言葉が刺さるもののさすがにそろそろ耐性がついてきた。なんとか倒れるのをグッと堪える。


「ま、まあいい。娘も多感な時期なのだ。それを許してこそ愛のある親。お父さんはわかってるからね、アナスタシア」


「? ボクは意味不明」


 父の何かを悟ったかのような表情に首を傾げるアナスタシア。

 お互いに疑問と誤解を重ねた状態のまま、答えを知るより先に店内が騒がしくなってきた。

 アナスタシアも彼女の両親も、声がする方へ同時に視線を向ける。


「なんだか店の前が騒がしいな。なにかあったのか?」


「それが気になって私もこっちへ来たの。ちょっと見に行きましょう?」


「それがいい。ボクはなんだか……嫌な予感がする」


 そう言って家族揃って店の前に向かう。

 店の前では多くの人がなにやら複数の男性を囲んでいた。喧嘩か? と一瞬思ったがどうやら違うらしい。

 囲まれた男たちが、オニキス商会の商品を手にしながら大きな声で叫んでいた。決して、面白くない言葉を。


「おいおいおい! ここの商品には虫が入ってやがんぞ! 黒いから見分けつかずに食べちまったじゃねぇか!」


「こっちなんて箱の形が崩れてんのに渡されたぞ? どうなってやがんだこの店はよぉ!」


 見るからに悪質なクレーマーだった。外見は身なりの悪いチンピラ。恐らく他の商会が雇ってる従業員か護衛の類だろう。

 怒りと嘲笑を頬に刻んで激情のままに叫び、暴れていた。


「まずいな……あんなこと言われたらたとえ嘘でも問題になる」


「他のお客さんのご迷惑だし、止めないと!」


 アナスタシアの両親が急いで男たちのもとへ近付くが、いくら二人が注意しようとチンピラ達の営業妨害は止まらない。

 むしろ会長自ら出てきたことにより、騒動はおかしな方向へと加速していく。


 広がる騒動を見ながら、アナスタシアは呆然と呟いた。




「また……また、ボク達の邪魔をするの? ボクたちはただ、普通に商いをしてるだけなのに」




 言われのない中傷に晒され、論理的じゃない感情をぶつけられ、上手くいきそうなところで足を引っ張られ……アナスタシアの心は酷くどす黒い感情に支配された。

 許せない。マリクスと一緒に作り上げたチョコレートを台無しにする連中が、許せなかった。


 しかし、新参者で発言力の低いオニキス商会が、多くの古参の商人たちを敵に回して王都で活動などできない。

 なんとかこの騒ぎを止めないと。なんとか穏便に済まないと。そんな考えばかりが脳裏に浮かび、徐々にアナスタシアの首を絞めていく。


 子供ながらに不穏な未来を感じ取った彼女——だが、それは唐突に終わりを迎えた。

 とある少年の登場によって。











「店先でなに騒いでんだ、お前ら」




「まり……くす?」






 見間違いはずがなかった。チンピラ達の背後に現れため息を吐いていたのは……誰よりも彼女が信頼する少年マリクスだった。

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