第62話 はい、あーん

 実は、俺がアナスタシアとチョコレートを作ってるところをずっと陰ながら見守っていたリリア。

 集中してる俺たちの作業の邪魔にならないよう、大人しく彼女は見ているだけだったが、ここで思い出してほしいことがある。


 そう。俺は彼女が見ているとも知らずに、アナスタシアに「はいあーん」をしてしまった。どうせリリアは見てないのだからいいと高をくくったが、その結果がこれだ。

 悪いことはするもんじゃないな。いや、そもそもそれが悪いことだとは思わないが、負のオーラをまとうリリアを前にしてそんなことは言えなかった。


 もはや俺にできることは必死にリリアに頭を下げることくらい。「マリウス様は浮気者です!」と憤慨するリリアを宥めるのに、夕方から夜までかかった。

 気付けば夕食の時間になっており、不満をぽろぽろ零した彼女はそこでようやくお小言を止め、引き連れたメイド達と共に帰っていった。


 俺は彼女の背中を眺めながらホッと胸を撫で下ろす。

 リリアとキスをして以降は、彼女の気持ちがかなり落ち着いたと思ったが、むしろ独占欲? は前より増した。恐らく見知らぬ女性と一緒に話しているだけで彼女は嫉妬し鬼をその身に宿すだろう。


 俺としては未だに婚約こんやく自体認めていないので、この状況はちょっと肩身が狭かったりする。

 ……いや、まあ、キスした以上はリリアに捨てられないかぎり彼女と添い遂げる覚悟はある。あるが……本編が始まる学園入学まであと少し。

 いざその時が来てリリアに振られたら……俺は一体どうなってしまうのか。


 告白してくれたセシリアに逃げるのか。好きだと言ってくれたフローラに縋るのか。ふと、夕日を眺めながら俺は考える。

 答えは出なかった。




 ▼




 アナスタシアとのチョコレート作りがひと段落し、リリアに説教されてから更に数日。

 アナスタシアが言った通り、オニキス商会はチョコレートを貴族に向けて売り出した。最初は謎の黒い物体を買おうとする者はいなかったが、一人、また一人とチョコレートが売れる度にその名は王都に轟く。


 一週間ほど経った今ではすっかり謎の甘味チョコレートは、貴族の間で流行りはじめた。

 なんというか流行に乗るのが早いな、貴族は。


「んー! 美味しいですわ、このチョコレート。最初は単なるお菓子くらいの認識でしたが、改良を重ねた製品は素晴らしい出来です! 王家も思わず買ってしまいますね」


 そう言いながら人の家にやって来てお土産のチョコレートをバカスカ食べるリリア。

 普通、土産に持ってきた物を、持ってきた奴がほとんど食うか? まあ俺は売り出す過程でアナスタシアと嫌ってほど食べたから別にいらんが。


「今は単なるチョコレートしか売ってないが、その内いろんな味のチョコレートが出てくると思うぞ」


「それって、前にマリウス様がアナスタシアさんに『はいあーん』してた時のやつですよね」


「そこは覚えてなくていい。というか忘れてください」


「無理です。私だって食べさせてほしいのに、アナスタシアさんばかり……」


「ばかりって、あの一度しかやってないだろ? それに、その時の戒めとかなんとか言って、現在進行形で食べさせてもらってる奴がなにを言う」


 そうなのだ。あの時の苦い記憶を引っ張り出したリリアは、最近、さも当然のように俺に「はいあーん」をねだってくるようになった。

 拒否するとアナスタシアとの件を持ち出し俺を脅してくる。必殺「お父様に言っちゃおうかな~」でいつも黙らされる俺は、決して加害者ではなく被害者だった。


 まあ可愛らしく甘えてくるリリアは、これはこれで癒されるわけだ……が……? んん?

 ちょっと待て。おかしい。俺はいつの間に……リリアに癒されるようになった?

 まさかとは思うが、最近、リリアに引っ張られて俺の価値観が崩れてきているのではないか!?

 彼女との恋愛を楽しんでる、とでも言うのか!? 俺が!?


 知らない間にリリアに毒されていた自分を知り、酷く落ち込む。


「マリウス様? どうかしましたか? 急に落ち込んで……」


「いや、なんでもない……ちょっと自分の信条が揺らいでることに気付いてショックを受けただけだ……」


「? 何の話ですか?」


「こっちの話だ」


 リリアは「気になる」って感じの視線を向けてくるが、こればかりは彼女にも話せない。

 俺は深いため息を漏らしたあとで嫌な感情を頭の片隅に置いてくる。こういう時は考えないにかぎる。


「それより。明日はオニキス商会に顔を出す日だ。たくさんチョコレートを食べてその感想をアナスタシアにでも伝えてやれ。そうしたらあいつも喜ぶだろ」


「あ、そうでしたね。身分を隠さないといけないのは面倒ですが、それくらいでしたら問題ありませんね」


「俺はともかくリリアは王族だからな。ほいほい名前を明かすわけにはいかないだろ」


 それで言うと連鎖的に俺もバレちゃいけない。バレたところで何か不都合があるわけじゃないが、別に話しておく理由もない。


 ゆえに、俺とリリアは未だに平民っぽい感じのマリクスとリリーなのだ。アナスタシアとて馬鹿じゃない。俺らが貴族だということはうすうす気付いてるはず。

 それでもこの居心地のいい関係を壊さないように何も言ってこない。いい奴だ。


「まあ私としては……邪魔にならなきゃそれでいいですけどね」


「邪魔?」


 なんの話だ?

 表情で彼女にそれを訴えかけるが、リリアはそれ以上は何も言わなかった。

 すまし顔でチョコレートを食べながら時折ときおり笑う。


 俺は首を傾げながらも無理に聞こうとはせず、その日はそのままお開きとなった。


———————————————————————

あとがき。


来週の月曜日に新作ラブコメ投稿予定!

でもこちらの投稿ペースは変わりません。

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