第59話 王女様は甘えたい
人は、それが余計なことだとわかっていても思わず口から言葉を発してしまう。
具体的にどんなことが余計なのか。それはその時によるが、俺の場合は前世の知識だった。
前世の話は俺だけのもの。他の誰にも理解できない領域なので、これまでリリアにさえ話したことはない。
しかし、前世ではありふれたチョコレートなる甘味も、この時代遅れな世界においては貴重なアイデアらしく、それを理解できなかった俺はリリア達の前でその名を口にしてしまった。
首を傾げる彼女たちの様子を見てようやく自分のミスに気付く。だが、気付いた時にはもう遅い。商人の娘らしく好奇心の込められた視線が俺の眉間を貫く。
「早く話せ」と彼女の目が雄弁に物語っていた。二人の美少女からの無言の圧。それに負けた俺は、大人しく自分が知るチョコレート——前世の話を彼女たちに語る。
内容は酷く曖昧で大雑把なものだけれど、それを聞いたアナスタシア達は目を輝かせて言った。
「チョコレートを作りたい」
と。
偶然にも今の彼女にはそのアイデアを活かしたい正当な理由があった。俺としても彼女には何の不満もなく暮らしてもらい、やがて迎える高等魔法学院へと入学をしてもらいたかった。
互いの利害が一致する。利害が一致したのだからあとはその背中を押すだけでいい。……そう考えていたが、想像以上にやる気を出した彼女に腕を掴まれた俺は、半ば無理やりオニキス商会へと連行される。
オニキス商会は新参者と言うわりには清潔さを前面に出した佇まいをしており、店内に入ると明るめの白い壁やら豪華な装飾やらが俺とリリアを出迎えた。
もっと所狭しと商品が陳列されてるような場所を想像していたが……やけに片付いている。居心地は悪くない。
だが、ここへ連れられてきた理由はチョコレートの開発。
店内をゆっくり観察してる暇もなく奥へ通される。そのまま専用のキッチンへ向かい、そこでエプロンを身に付けたアナスタシアと共に、楽しい楽しいクッキングが始まるのだった……。
チョコレート作りを初めて数時間。
俺のおぼろげで曖昧な記憶を頼りに、ああでもないこうでもないと知恵を絞りながらようやくチョコレートらしきものが完成した。
魔法ってすごい。発酵とか乾燥とか一瞬でできる。
と言っても見た目はともかく味は最悪だ。前世で一箱100円ほどで売られてた安物のお菓子より不味い。だが間違いなくチョコレートと呼べるものが出来た。
黒い固形物に最初はたじろいでいたアナスタシアとリリアも、一口食べるなり美味しいと絶賛の嵐。けれど前世の記憶が色濃く残る俺には、単なる失敗作にしか思えなかった。
「お世辞にも美味しいとは言えないけど、まあそれっぽいのは出来たな。無駄に時間はかかったが、その分アナスタシアも作り方は理解しただろ? 今後は俺がいなくても作れるはずだ」
「これ、十分に美味しいと思う。マリクスはまだ足りないと?」
「ええ。たしかに味は荒いかもしれませんが、初めて食べる味だし私はそこまで文句はありませんよ?」
「全然ダメだ。この程度で満足してるようじゃチョコレートの未来は絶望的だな」
「そこまで?」
「そこまで、だ。俺が知るかぎりこれはチョコレートなんかじゃない。チョコレートっぽい何かだ。もしくはパチモン」
「へぇ、詳しいね。そもそもそのチョコレートはどこに行けば食べられるの?」
「んぐっ」
鋭い指摘に言葉を詰まらせる。
先ほどから俺は自信満々にチョコレートを語るが、アナスタシアの言う通りそもそもどこに行けばその本物のチョコレートが食べられるのか。適当に誤魔化していたが、調子に乗ったせいで自ら墓穴を掘った。
俺は「ごほん」と盛大に咳払いを一つしてから無理やり話題の方向性を捻じ曲げる。
「ま、まあ……このまま精進していきたまえ。ここからどうチョコレートを美味しくしていくかが鍵だ。そしてそれはアナスタシアにしかできない。きっとお前なら上手く扱えると信じている」
「……誤魔化した?」
「誤魔化してない。覚えてないだけだ。それより、どうだ? チョコレートは役に立ちそうか?」
「ん、役に立つ。これが売れないなら、悪いのはボク達の方」
「そうか。それは何よりだ。精々たくさんのチョコレートを売って学院に通えよ。俺との約束も果たしてもらわないといけないからな」
「わかってる。必ずこの恩は返す」
「ああ。じゃあ俺とリリーはそろそろ帰る。チョコを作るのに時間をかけたからな。早く帰らないとお互いに大変だ」
時刻を確認するとすでに夜。もはやデートもくそもない状況だが、おかげでリリアに束縛されなくて済んだ。
代わりに死ぬほど肩が凝って疲れたから、明日から数日は何もしないことを誓う。
そして、同じく疲れた顔を浮かべるリリアと共にアナスタシアと別れてオニキス商会を出た。
外には俺とリリアの護衛やらメイド達が控えている。ずっと外で待っていてくれたのか、商会から出てきた俺とリリアを見て表情を明るくした。
「ふう……やっと帰れる」
「お疲れ様でした、マリウス様。珍しく頑張ってましたね」
「頑張ってない。ただ俺はあいつにレシピを教えてやっただけだ」
「そうですか。私も美味しいものが食べられて面白かったので、そういうことにしておきます」
言いながらいつの間にか用意されていた移動用の馬車に乗ってリリアの自宅——王城を目指す。
「ただ……今日はマリウス様とまったくお話ができず残念です。せっかく出掛けたのにデートっぽくなかったですし、キスもできませんでした。それだけは不満です!」
「いやいやいや……」
最初からする気なかったから、そんなこと。
わざわざそのために服まで整えて貧民街へ行ったのだ。これでデートしてたら意味ないだろ。
「なんですか。マリウス様は婚約者である私とはデートしたくないと? イチャイチャしたくないと。キスしたくないと!?」
「そこまでは言ってないが……恥ずかしいだろ、キスは普通に考えて」
「セシリアとはしたのに?」
「あれはあいつが無理やり……」
「それでも幼馴染に先を越されて私はご立腹です! このままでは夜しか眠れません」
「平常運殿だな」
「しかし! ここで今すぐマリウス様がキスしてくだされば……私は幸せな状態で寝ることができます」
「話の繋がり方が雑っ」
どちらにせよ寝られるなら俺がするメリット皆無じゃん。
しかし、当の本人はどうしてもしてほしいのかすごい目で俺のことを見つめてくる。
密室だと逃げ場がなくて居心地が悪い……。かと言ってヒロインにキスとか辛い。ヒロインが相手じゃなくても前世からの童貞には厳しい。
思わず目を背けるが、「じー」と口に出して彼女は近付きはじめる。
「マリウス様からしてほしいなぁ……先っぽだけでも!」
「女の子がそういうこと言うんじゃありません。……どうしても?」
「どうしても」
「しかし……な」
「してくれないとうっかりお父様に変なことを伝えてしまいそうです」
「例えば?」
「マリウス様にエッチなことをされたと」
「死刑じゃん。なに恐ろしいこと言ってんの!?」
最近のリリアは俺への脅迫を覚えたせいでやや過激になってきた。
実際にそれをされると俺の肩身が狭くなるとかそういうレベルじゃないのでマジで勘弁してほしい。
俺はやや遅れて「ハァ……」と深いため息をしたあと、きょろきょろと周りを見渡してから、頬を紅くして覚悟を決めた。
そのタイミングでちょうど馬車が止まる。
「もっと甘え方には……注意が必要だな」
そう言って俺はリリアの背中に腕を回して彼女を抱き寄せる。
まさか本当にしてくれるとは思わなかったのだろう。迫る俺の顔に、「あっ」と言ってトマトみたいに顔を真っ赤にさせた。
しかし、それを拒否するそぶりは見られない。
徐々にお互いの顔が近付いていく中、彼女はそっと両目を閉じた。
まさにされるがまま。そのまま減速しない俺と彼女の影は——密室で一つに重なった。
あえて言わせてもらうが……くっっっそ恥ずかしかったです!
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あとがき。
リリア「皆さま! 私はオチ担当ではなくメインヒロインですよ! メインヒロイン!」
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