第58話 レッツ、クッキング!

「チョコレートって、なに?」


 真顔でアナスタシアが俺に問う。迂闊だった。

 この世界にはまだチョコレート菓子は販売していない。恐らくカカオを加工するという方法すら知られていない。

 であれば当然、商人の娘であるアナスタシアの興味が引かれるのも頷ける。


 問題は、その興味を引かれるもの——チョコレートという単語を反射的に零してしまったのが……俺ことマリウスくんだったという点だ。


 ジッと宝石みたいな黒い瞳が俺の顔を捉える。

 どう答えたものかと考えていると、待ちきれないといった風にリリアまで俺の服の袖を引っ張り始めた。


「私も知りたいです。城下には何度も足を運んでいるというのに、マリクスさ……マリクスが言う『チョコレート』なるものは聞いたことがありません。それは一体、どんな食べ物なのでしょう」


「いや、誰も食べ物とは……」


「原材料のカカオが食べ物なのでは? なら、それを加工したチョコレートとやらが食べられないわけがない!」


 ごもっとも。

 妙なところで鋭いリリアが会話に混ざることで退路が完全に断たれる。

 俺は諦めてチョコレートの話をするのだった。


「チョコレートって言うのは、カカオを加工した甘味のことだ」


「カカオを加工した甘味! 甘い食べ物なんですね!」


「まあ砂糖を大量に使うからな。砂糖の調整次第ではそこまで甘くないチョコレートも作れる。あと飲み物としても出せる」


 前世だとチョコレート味の飲み物は意外と多くポピュラーだった。俺もよく飲んだことあるし。


「あの無駄に苦い実が、甘味になる? とてもじゃないけど信じられない」


「そりゃあそのまま食べれば苦いだろ。砂糖を混ぜて作るんだ」


「どうやって加工するの」


「俺も詳しくは知らないが、カカオ熱して砕いたりペースト……溶かしたりするらしい。その過程で砂糖を混ぜたりすればそれっぽいものが出来上がるだろ」


 恐らく……というほぼ確実に俺の説明は大雑把で適当だが、チョコレートのチョの字も無いこの世界において、それっぽい物が作れれば十分だと思う。


 俺の話を聞いてアナスタシアはチョコレートの作り方を模索していた。

 さすがは商人の娘。やる気がえらい高いな。


「カカオを使った新しいお菓子……それは、美味しい?」


「さあな。少なくとも巷で食べられてる砂糖をぶち込んだだけの甘味に比べれば美味しいとは思うが……それも作り手次第だ。改良を重ねていけば売れる商品にはなるだろ」


「なるほど……これはすごく役に立つ知識。早速、ウチの商会でチョコレートを作ろうと思う」


「おー、頑張れ。チョコレート自体はそう難しいものでもないからすぐにそれっぽいのは出来ると思うぞ。そこから改良を重ねて美味しくできるかどうかが肝だ」


「わかってる。料理人と協力して全力で取り組む。けど、マリクスはそれでいいの?」


「それでいい?」


 アナスタシアの言葉に首を傾げる。

 すると隣で俺とアナスタシアの会話を聞いていたリリアが、たまらず声を発した。


「チョコレートのレシピに関する権利ですよ。これからチョコレートを作るのはオニキス商会。けれどそのアイデアの元はマリクスでしょう? アイデア料とか独占とか、本当ならそれはマリクスのもの。あなたは平気でアナスタシアに話したけれど、間違いなくチョコレートなんて食べ物は王都にはない。そんな新商品の情報を彼女に握らせていいのか、握っていいのか彼女は聞いているのかと」


「リリーの言う通り。ボクの予想ではこのチョコレートは売れる。砂糖をたくさん使うという以上、貴族を対象にするとは思うけど」


「うーん……利権とかアイデア料とか言われてもなぁ」


 困る。あくまでチョコレートは前世ではありふれた食べ物だった。俺が考えたわけじゃない。


 けど新商品のアイデアが、この世界においてどれだけ貴重なのかもまたわかる。普通なら誰にも話さずレシピを独占するのが当然なんだろうが……うん、アナスタシアだったら問題ないかな。彼女がこのまま何もせずに学院に通わないという方が俺は困る。


 これもまた一種の投資と思えばそれでいいさ。幸いにも俺の家は公爵家。金にはまったくぜんぜん困っていない。


「チョコレートのアイデアはアナスタシアにやるよ。どう扱おうがお前の自由だ。ただ……そうだな。もしチョコレートが売れて感謝する気持ちがあるなら、ちゃんと高等魔法学院に通っていつか恩を返してくれればいい」


「そんな……そんなことでいいの? もし売れるなら、絶対に恩を返すと誓うけど……」


「生憎とそこまで金に困ってるわけじゃない。仮にチョコレートの特許を持ってても俺じゃ作ろうとしないしな」


 めんどくさすぎる。


「だからやる。その代わり、俺が困ったら力を貸してくれ。たとえ愛する恋人に楯突くことになろうとな」


「それがどういう状況かにもよるけど……わかった。ボクは必ず神の意に反しないかぎりマリクスの力になると誓う」


 すごく真面目な顔でアナスタシアが誓ってくれた。

 隣に座るリリアは小さくため息を吐いて「まったく……マリウス様はこれだから……」と呟いていた。


 なにがまったくなんだろう? あとここでは俺はマリクスだ。ぜんぜん名前の差がないけど平民なんだから設定は守ってほしい。


「というわけで早速、チョコレートの試作品を作りに行く。炊き出しは他の人に任せるから、行こうマリクス」


 そう言って立ち上がったアナスタシアに手を握られた。

 俺は目を見開く。


「は? なぜ俺がお前と一緒に行く必要があるんだ? 作り方は教えただろ?」


「あんな大雑把な説明じゃ全然わからない。現状、チョコレートの作り方を知ってるのはマリクスだけ。だから来て、お願い」


「ちょ、まっ——」


 俺の制止も虚しくアナスタシアは無理やり俺の腕を引っ張った。

 当然、俺が移動するならついていくとリリアもその後ろに並ぶ。


 そんな嫌そうな顔をするくらいなら、さっさと彼女を止めてくれ! 俺はべつにチョコレート作りがしたいわけじゃないんだ!

 心の中でそう強く叫ぶが、リリアも女の子。新たな甘味の出現に心躍らせているのがわかった。


 どうやらこの場において俺の味方はいないらしい。

 そのまま強制的にオニキス商会がある区画へと連行されていった……。

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