第56話 衝撃の事実

 最後のヒロイン、アナスタシア・オニキスと目が合った。バッチリ合った。

 お互いに数秒間じっくりと見つめ合い、先に動いたのは彼女の方。

 大きめのトレイに炊き出しで振るわれる料理を乗せてこちらに運んできた。とことこと足取りまっすぐに。


「今日も来てくれたんだ。よかった。てっきり君はもう来てくれないかと思ってた」


 ぎくり。

 彼女の言葉に内心、俺は冷や汗が止まらない。


 たしかに今回こんかい足を運んだのはたまたまだ。たまたまリリスが俺の前に現れ、彼女が面倒な話を持ってこなかったら今ごろ家にでもいただろう。

 そういう意味では彼女の勘は正しい。


 けどそんなこと言う必要もなければ言いたくもなかったので、俺は無理にでも笑みを刻んで答えた。


「と、特に予定もなかったしな。暇だったから、たまたま足を運んだだけだよ」


「そう。それでも嬉しい。昨日はあんまり話せなかったから、今日はたくさん話せる。はい、これ。今日はちゃんと食べてきたかどうか知らないけど、炊き出しに参加するってことで。まさか一人ひとり増えるとは思わなかった」


 そう言って手にしたトレイをこちらに渡してくるアナスタシア。

 トレイの上には温かな食事がある。


「お前は食べるかリリ……リリー」


 さすがに平民ばかりがいる場所で第三王女の名前を出すのは憚られる。俺はグッと彼女を「リリア」と呼びたい気持ちを抑えて適当な偽名で呼ぶ。

 すると彼女もこちらの意図を察してか特に文句など言わずに合わせてくれた。


「せっかくのご厚意を無碍にするのも悪いですし、いただきましょう。それくらいでしたらお腹に入ります」


「そうか。悪いなアナスタシア。いただく」


「ん。もともと二人のために用意したものだから遠慮しなくていい。それより……」


 トレイの上に乗った皿を手渡したあと、ちらりとアナスタシアが俺の顔を見つめる。

 俺は首を傾げた。


「どうした」


「名前」


「ん? 名前?」


「そう、名前。ボクはまだ君に名前を名乗ってない。昨日は時間がなくてお互いに名前を名乗る前に別れた。なのに、どうして君はボクの名前を知ってるの?」


「あ……」


 し、しまった!

 これまで俺の知り合ってきたヒロイン達は、ほぼ全員が俺の名前を知ってる知り合いだった。だから自己紹介なんてほとんどしてないし、知ってて当然って感じの流れというか空気があった。


 しかし、彼女の言う通り俺とアナスタシアはほぼほぼ初対面。昨日の会話が初めて交わした言葉だ。

 なのに俺は当たり前のように彼女の名前を口にしてしまった。これは完全なるミスだ。取り返しがつかない。


「な、なんで知ってたんだろうな……俺もびっくりだ。急に頭の中にお前の名前が浮かんできた……って言ったら信じてくれる?」


「さすがにそんなオカルトを信じるほど馬鹿じゃない」


「ですよねぇ……」


 やべぇ。どう言い訳しよう。


 俺がアナスタシアの名前をどこで知ったか考えていると、不意に、真横から俺の服を引っ張る者がいた。横目でそれを確認するとリリアである。


「ねぇ、マリ……マリクスさ……マリクス」


 必至に俺の広げた平民設定? を守ろうとしてくれてるリリアことリリー。

 ひくひくと彼女の頬が震えていた。


「どうかしたか、リリー」


「いえ、たいしたことじゃないの。ただ、私も気になって」


「気になる? 何が?」


「自己紹介もしていない相手のことを、なぜマリクスは知ってたのかなって」


「うっ……」


 どうやら彼女はまた変な誤解をしたらしい。ゴゴゴ、とリリアの背後から般若みたいな顔が覗く。

 不思議と服を握る力がどんどん強くなってる気がする。このままだと苦しくなる。俺は可能なかぎり早く脳を回して打開策を導いた。


「そ、それは……そう! 彼女はオニキス商会の重要人物だ。名前くらい聞いたことがあっても不思議じゃないだろ!?」


「オニキス商会? オニキス商会って……たしか最近よく名前を聞く商会ですね。若いけど勢いがあるとかなんとか」


「へぇ、リリーの耳にも入ってるんだ。結構けっこう頑張ってるんだね」


「手広くやってるみたいですよ。食べ物に衣服、アクセサリーと噂をちらほら聞きます」


「なるほど。それでボクの名前を聞いたと。一応、納得した」


 セーフ!

 割と雑に誤魔化したけど、実際、彼女の親が経営する商会はそれなりに名前が王都に轟いているらしい。

 王族のリリアが知ってるなんて相当だ。さすがはヒロイン。約束された道を歩いてるな。


「けど、そっちばかりが知ってるのは不公平。ボクも君の名前を知る権利があると思う。……と言っても、彼女のおかげでもう名前は知れたけど。マリクス」


「あ、ああ。俺の名前はマリクスだ。よろしくアナスタシア」


「よろしく。隣の女の子はリリー。覚えた。二人はどういう関係なの? ただの知り合いには見えないけど」


「ただのゆう——」


「彼女です! 未来の妻とも言います」


「……あの、リリーさん?」


 アナスタシアからの問いに、喰い気味に答えるリリアことリリー。

 有無を言わさぬ笑顔にさすがのアナスタシアもたじろいだ。


「もう結婚の約束までしてるなんて……マリクスは大人。キレイな相手がいて羨ましい」


「ま、まあ、な……けど安心するといい。アナスタシアには数年後、いい出会いが待ってるはずだ。たとえば学院で、とかな」


「やたら具体的。なにか根拠でも?」


「さあ。適当だよ適当」


 本当は高等学院で主人公と出会って恋に落ちるんだよ、と言いたくなったが我慢。

 事実を告げたところでまだ主人公が誰を選ぶかわからないのだ。彼女が選ばれない可能性だってある。


「適当……でもたしかに適当。マリクスが言ってることは間違ってる」


「……ん? 間違ってる?」


 変だな。適当なのは当然だが、学院の話はべつにおかしなことではないだろう。

 彼女の両親が経営するオニキス商会の力なら、貴族が多く通う高等魔法学院にも入学できる。事実、だから彼女はヒロインなのだ。


 しかし、続けてアナスタシアが発した言葉を聞いて、俺は久しぶりに腰が抜けそうになった。












「間違ってる。だってボクは……高等魔法学院には、通わない」

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