第54話 これが婚約者です
マリウス・グレイロードにとって、リリア・トワイライトは恐怖の対象だ。
たしかに彼女はお淑やかで物腰も柔らかく、国民の大半に愛される優しく王女である。
しかし、そんな彼女の裏の顔を知る俺ことマリウス・グレイロードからしたら、リリア・トワイライトは鬼そのもの。
今も目の前にただ笑顔を浮かべて立っているだけなのに、背後に般若のような怪物が見えて仕方ない。
さながら彼女を前にした俺は、蛇に睨まれたカエルだろう。
挨拶の言葉すらないリリアが、足を止めて俺をジッと見つめる。
愛おしそうな視線の中には、隠し切れないほどの強い独占欲、あるいは嫉妬のようなものが含まれていた。
ああ……このあと、俺は彼女にどんな目に遭わされるのか。前回は剣を持っていたし、今回は槍を投擲してくる可能性もある。
やや身構えたまま、俺は引き攣った笑みを浮かべて彼女へ問いを投げかける……。
「や、やあリリア。こんにちは。こんな時間に我が家へ来ているなんて驚いた。なにか父にでも用事かな? 必要なら俺が声をかけておくけど」
「こんにちは、マリウス様。その必要はありません。マリウス様もお察しいただいているかと思いますが、私はマリウス様に会いに来ました。お話があるのでお時間をもらってもよろしいですか?」
「あ、生憎と残念なことに用事があってね……その話とやらはまた今度でもいいか? 悪いなリリア」
「いえいえ。謝らないでくださいマリウス様。私はぜんぜん気にしてませんから。むしろその用事とやらが片付くまで、この家で待ってますのでどうぞごゆるりと」
「へ? いや、また
「何を仰いますか。婚約者であるマリウス様に大事な話があって来たのですよ? あらゆる物事より優先されるべきことです。なのでお気になさらず。精々、国王陛下が私の心配をする程度のこと」
「おーっと! よく考えたら俺の用事なんてリリアに比べたらゴミみたいなものだったよ。よかったらすぐにでもリリアの話を聞かせてくれないかな? その上で早く王城へ帰るといい。今すぐ帰ってくれ」
「ありがとうございますマリウス様。婚約者からの優しさに胸がいっぱいです。ささ、客間へご一緒しましょう?」
そう言ってリリアに腕を掴まれる。
気分はさながら、蜘蛛の巣にかかった蝶。
いくら俺がもがいたところで、
ニコニコ顔のリリアに連れられ、俺と彼女とメイドは場所を客室に移した。
▼
「では改めて、本日はマリウス様に大事な大事なお話……確認がございます」
「は、はぁ……」
お互いが対面に座った途端、リリアの表情から笑みが消えた。
初っ端から嫌な予感しかしないんだが……今さら逃げられるはずもなく、リリアがさらに続けた。
「お訊ねしますが、マリウス様は先日、セシリアとデートをしましたね?」
「ああ、まあ。リリアに頼まれてな」
「そこでセシリアとキスをしたとかなんとか……本当ですか?」
「トイレ行って来る」
「我慢してください」
「はい……」
ソファから立ち上がった俺は、どす黒い目でこちらを見つめるリリアの圧に負けて、即行で座り直した。
「それで、本当にしたんですか? イチャイチャラブラブなあれを」
「別にイチャイチャラブラブはしてない。いきなりセシリアにキスされただけだ。すぐに離れたよ」
「くっ! やはりセシリアにファーストキスを……」
「リリア?」
「ごほん。なんでもありません。取り乱しました、すみません。話を続けましょう」
「他にもなにか知りたいことが?」
もうすでにリリアから殺気に近い感情が漏れ出てて怖いんだが?
目がマジなんだが?
「知りたかったのはセシリアとのキスだけです。それが事実だと確認できた今、私は必ずマリウス様をデートに誘わなければいけなくなりました」
「なぜ」
「——私もキスがしたいからですよ! それもムードがよくてマリウス様の方から!!」
ダァン!
リリアが勢いよくテーブルを叩く。
女の子が出していいような音じゃなかった。
「……それは、どうしても?」
「どうしても」
「俺に断る権利は?」
「ありません」
「予定があるって言ったら?」
「王女命令」
「いつ」
「明日です」
「……明日は、知り合いと約束してるから……ちょっと」
「女ですか? 女ですよね? どうせ女でしょ?」
「うおっ!?」
急にリリアが、喰い気味でテーブルから身を乗り出した。
生気の失われたどす黒い瞳が、心の奥深くまで見透かそうとする。
「な、なんで相手が女だと……?」
「女の勘です。フローラさんだけじゃなく、次はどこの女ですか? いくらなんでも節操がないと思いません?」
「落ち着けリリア。ただの知り合い。
「じゃあ私を優先すべきでは? どうしてその女の下に行くのですか? それを人は浮気というらしいですよ? いっそマリウス様を私の部屋に閉じ込めて……」
「ひぃっ——!?」
か、監禁されるぅ!?
これまで以上にリリアが怖いので、咄嗟に俺は妥協案を出した。
「な、なら……リリアも一緒に来るか? デートにはならないが、それなら、お前も安心だろ?」
「…………」
ジーッと俺の顔を見つめるリリア。
少しのあいだ無言が続き、やがてリリアがソファに腰を落として言った。
「わかりました。妻としてマリウス様の用事に同行しましょう。……少々、残念ではありますが」
「っ。そ、そうか。なら決定だな。明日のこともあるし、リリアは早く帰るといい」
「ええ。そうします。くれぐれも……逃げたりしないでくださいね? 私は構いませんが、きっとマリウス様は…………後悔しますよ?」
はうあっ。
最後に微笑んだリリアの顔が、俺の全身を激しく震わせる。
彼女に黙って家を抜け出したらどうなるのか……鮮明にその後の光景が脳裏に浮かぶのだった。
監禁は、あかんよ……。
———————————————————————
あとがき。
気づけば投稿を始めて一ヶ月......皆様のおかげで本作を書き続けられました。心から感謝申し上げます!
文字数もようやく10万を超え、これから更にマリウスくんは面白い目に遭うことでしょう。お楽しみに!
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