第8話 現実逃避......の時間はない

 拝啓、異世界の友人へ。

 放課後の帰り道、私は車に轢かれましたがあなたは大丈夫だったでしょうか。息災であることを祈ります。


 しかし私は車に轢かれたことであなたに借りた恋愛ゲームの世界に転生しました。

 転生先は悪役貴族のマリウス・グレイロード。当初はこんなク○キャラに転生したけど大丈夫か? と思ってましたが、意外とだらけながら毎日を幸せに過ごしてます。お金持ち最高。


 ……ですが、ある日、おぼろげな記憶を頼りにゲームのヒロインが体験する主人公とのイベントを奪い取ってしまいました。内容自体は平穏に終わったのですが、その時にどうやら私はヒロインに一目惚れされたらしいです。


 後日、案の定ヒロインから婚約しようと言われました。必死にお断りの言葉を並べたもののその全てが封じられ、最終的にはヒロインと悪役が婚約するという衝撃展開に発展しました。


 お願いします。どうか私にこの状況を打破する秘訣をお教えください。

 マリウス・グレイロードこと灰葉瞬より。






 ……なんて現実逃避をしても、俺がリリア王女殿下と婚約した事実は変わらない。


 彼女が王城へ帰ったあと、グレイロード家はお祭りムードだった。

 当主もその妻も、あらゆる使用人が王族との婚約を祝う。


 片や、唯一婚約に反対してる俺はというと……。


「むーん……」


 おかしな擬音が口から出るくらいには落ち込んでいた。


「いやー、まさかマリウス様がリリア王女殿下と婚約するとは……すごいな!」


「最近のマリウス様はなんていうか雰囲気がいいからなぁ。きっと王女様もそれがお気に召したんだろう!」


「なに言ってるんだか。マリウス様と言えば優しく素敵な殿方! 王女殿下との馴れ初めだって王女殿下の落とし物を探して見つけたからなのよ? 賢く誰にでも手を差し伸べる紳士だわ……」


 部屋の隅にいるのに周囲の声が耳に届く。

 誰も彼もが俺の話。内容はあまりにも美化されすぎてて背中がかゆいが、彼ら彼女らの気分を邪魔する気にはなれなかった。


 というか俺は誰にでも手を差し伸べる聖人か何かだとメイドに勘違いされてるらしい。全然そんなことないよ? 普通に面倒だと思ったら見捨てるよ俺は。


 だから余計に評価を上げないでほしい。無難な男くらいで止めてくれ。


「ははは! マリウスがリリア王女殿下と結婚すれば我が家は安泰だ! 二人の間に生まれる子供はさぞ才能に溢れた天才になるだろう」


「ふふ、そうですね。そうなったら私たちは祖父母ですか……マリウスに似た子供……孫、楽しみですね」


「お父様……お母様……」


 こっちはこっちで気が早すぎる。まだ婚約したばかりの子供同士だというのに、もう孫の話か。


 俺としては仮に子供が生まれるんなら、自分にだけは似てほしくないと思うが。外見的な意味でも内面的な意味でも。

 親子揃って怠け者とかさすがに泣ける。

 金と権力だけはあるからなお性質が悪い。


「俺は先に寝ますね。お二人とも酒を飲むのもほどほどに。明日も仕事はあるんですから」


「なんだ、もう寝るのか? お前も将来についてもっと話をしようじゃないか! 王家との婚約だぞ。嬉しくないのか?」


 嬉しくありません。


「どうでしょう……喜ぶより先に不安が残りますね。まあ、今さら婚約をこちらから一方的に破棄することはできませんし、俺なりに頑張りますよ」


「ふむ……謙虚な奴だな。まあいい。親として協力できることはなんでもするから安心しておけ。お前はお前のまま生きればいい」


「ええ。その通りです。子供の尻拭いくらい任せてちょうだい」


「……ありがとうございます。その機会がないことを祈ってますね」


 そう言って俺は広いリビングを出た。

 真っ直ぐに自室へ向かう。

 あとは寝るだけだからメイドはいない。ついて来ようとしたが俺が拒否した。


 自室に入る。

 しっかりと鍵をかけて俺はベッドに飛び込んだ。柔らかな感触が俺を出迎える。


「婚約、か」


 枕に顔を埋めながら小さく呟く。


 誰もが俺とリリア王女殿下の婚約を喜ぶ。良い話だと誰もが言った。

 うまく呑み込めていないのは俺だけだ。俺だけなのだが……。


「素直に喜べるはずがないだろ……」


 俺は悪役貴族。本来はヒロインと結ばれていい存在じゃない。

 おまけに前世の記憶と意識を持つから結婚じたいに後ろ向きだ。正直、ずっと独り身でいたい。


 けど決まったことをひっくり返すことはできない。

 きっとこのまま俺はあっけなくリリアに押し切られるのだろう。


 残る問題は主人公との関係だ。

 本編が本格的に始まるのは高等学園へ入学してから。まだ数年は猶予がある。


 しかし、逆に言えばあと数年しか時間がないのだ。

 それまでにどれだけだらけることができるのか……。


 俺は顔を上げて窓の外に浮かぶ満月を見つめた。

 不思議とベッドで寝転がっていると、リリア王女殿下との婚約話ですらどうでもいいことのように思える。


「……いつまでも気にしてもしょうがないな。まだ婚約だし、なんとかなるだろ……」


 そこで俺は考えるのを止めた。

 襲いくる眠気に身を任せ、徐々に視界を細めて目を閉じる……。




 ▼




 翌日。

 得意の現実逃避をした俺の前に——彼女がいた。

 長い金色の髪をらんらんと揺らす、この国の王女殿下が……。


 彼女は悪びれる様子もなく言った。


「マリウス様! デートに行きましょう!」






 ……どうやら現実逃避してる時間は……ないらしい。

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