十話 全裸の魔女と潜む魔女

「あ、あーあ…………結ちゃん、来ちゃった」

「馴れ馴れしいの」


 僕の影からその手と顔だけを浮かび上がらせた少女を結びは冷たく見下ろす。


「ぶっ殺してやるからとっとと彼を離すの…………陽に免じて苦しませずに一思いにやってやるの」


 僕に免じても苦しませないだけなのかと戦慄せんりつするが、その脅しに少女が怯んでいないのは僕の足首を握る手に変化がないことで分かった。


「ふ、ふひひ。無理、結ちゃんには、そんなことできないから」

「いい度胸なの」


 座ったままの目の結の手にはいつの間にかナイフが握られていた。


「わ、わー! 結! それは不味い! ここでは不味いから!」

 慌てて僕は叫ぶ。周りを歩いていた通行人からはおかしな目で見られたが構っている場合じゃなかった…………この場で見えざる魔女二人の争いが起これば、その通行人たちが何もわからないまま巻き込まれるのだ。


「…………仕方ないの」


 結が不服そうにナイフを握る手を下げる。


「流石に私もこれまでの苦労を台無しにした上で彼に嫌われるのは御免なの」


 そう言いながら気持ちを抑えるように深呼吸する結の様子に僕は胸を撫で下ろす。他の魔女が僕を狙ったらブチ切れると彼女は以前に口にしていたが、今はまだ冷静な判断を下せる程度には理性を残してくれているようだった。


「だから表へ出るの」

 

 ただまあ、大人しく話し合いをしようという考えには至ってくれないらしいが。


「嫌」


 そしてそれは少女も同じだったようでそれだけははっきりとした口調で口にする。そして次の瞬間に僕は足を引っ張られる感覚と共に暗闇の中へと引きずり込まれてしまった…………何が起こったのか想像は出来るがそれで動揺しないわけでもない。

 恐らくはあの少女が潜んでいたように僕も影の中に引きずり込まれたのだろうけど、突然暗闇に放り込まれれば混乱もするし悲鳴の一つも上げたくなる。


「え、えへへ。これで二人っきりだね」


 暗闇の中であの少女の声だけが聞こえる。そちらの方に視線を向けてみると…………まあ、自分が体を動かせているのかもわからないのだけど、とにかく何か輪郭りんかくのようなものが暗闇に見えた気がした。それに目をらすと、多分視線が合った。


「ふ、ふひひ。すごい。もしかして見えてる?」

「…………多分」


 はっきりと見えているわけではないが、多分そこに居るんだろうというのがわかる。


「す、すごいね。だから私達も見えるのかな」


 驚きと嬉しさが入り混じったような声色に僕はどうなんだろうと首を捻る。しかし今考えるべきことはそれではなくて現状をどうするかだ。


「えっと、今僕はどうなってるの?」


 尋ねたら答えてくれるだろうかと僕は口にする。


「え、えへへ。私達はね、今地面の中に潜んでるの」

「地面?」


 てっきり影の中にいるのだと僕は思っていたがどうやら違うらしい。


「さ、最初は王子様の影の中だったよ? でも王子様を潜ませたら影も、き、消えちゃうから」

「な、なるほど?」


 影の元である僕がいなくなれば当然その影は消える。そうなれば意味がないから地面の方へと僕を引きずり込んだという事だろう…………いや、潜ませたか。普通は使わない言い回しだから恐らくそれが彼女の魔女としての力を表す言葉なのだろう。


「ところで、その…………王子様っていうのは?」


 それが僕を指しているのは明らかだが、気恥ずかしいことこの上ない。


「あっ、王子様っていうのはね! いつか私を見つけてくれる人の事なの!」


 これまでのつっかえたような口調から一転して口早に少女が答える。


「だからこれまでも王子様かなって思った男の人の傍に潜んでずっと見守っていたの! でも、私を見つけてくれた王子様はあなたが初めてなんだよ!」

「そ、そうなんだ」


 それはつまりこれまで気に入った相手のストーカーをずっとしていたんじゃないかと思ったが、見守る以上のことはしていないようなので深く追及はしないでおこう。


「ところで君の名前を聞いてもいいかな? 僕は昼月陽って言うんだけど」


 話題を変えるように僕は名前を尋ねつつ名乗る。それにはこれで王子様呼びを止めてくれればという一抹の希望も含んでいた。


「よ、陽…………それが王子様の名前、えへへ」

「う、うん。それで君は?」


 蕩けるような声の少女に頬を引きつらせながらも僕は尋ねる。


「私、私は夕凪切歌ゆうなぎきっか

「夕凪、切歌…………いい名前だね」

「ふ、ふひひ。王子様に名前、呼んで貰っちゃった」

「あはは」


 思わず乾いた笑いが出てしまった。


「そ、それで今は切歌の力で地面にもぐ…………潜んでるんだっけ?」


 それでもまあ、機嫌を取るには充分だったろうと本命の話に切り替える。


「う、うん。そうなの」


「でも隠れてるだけだと意味がないんじゃないかな」


 頷く切歌に僕は一つの疑問をぶつける。魔女の力に上限があるのかは知らないが、普通に考えればずっと潜んでいられるわけでもないだろう…………少なくとも僕は多分そう長くはいられない。目の前の少女に僕を生かすつもりがあるのならどこかで外に出る必要がある。そしてそのタイミングを結は待っていることだろう。


「う、うん。だから、ね…………移動してるの、ふひひ」


 それに対して少女の返答はこうだった。僕には全く体感がないがすでにあの場所から移動し続けているという事なのだろうか?


「移動って…………どこに?」

「え、えへへ。私の街」


 それはつまり少女の担当している都市という事か…………それって相当な距離があるのでは? 他の都市の正確な位置を僕は知らないが、都市同士が隔絶した現状からすれば少なくとも気軽に行き来できるような距離ではないはずだ。


「それによく考えたら君が都市から離れちゃって…………」


 大丈夫なのか、そう口にしようとしたタイミングで何かに掴まれたような感覚を覚えた。


「追いついたの」


 そしてそんな声が聞こえ、体が水面へと浮上するように持ち上げられた。


「む、結!」

「そう、あなたの魔女なの」


 気が付けば僕は片手で結に首根っこを掴まれていた。周囲はいつか見た荒野で、遠巻きに東都の防壁が見える…………あのほんの僅かな時間で都市の中からこれだけの距離を移動してしまっていたらしい。


「ど、どうやって王子様を…………引っ張り出した、の?」


 地面からにゅるりとその姿を現して切歌が尋ねる。その全身をはっきりと見るのはこれが初めてだが…………その陰気そうな雰囲気に反して随分とスタイルがよさそうに見えた。猫背のせいで隠れてしまっているが、まっすぐに胸を張って立てばかなり出るところが出ているのではないろうか? いや、そんなことを考えてる場合じゃないか。


「手を伸ばしただけなのよ…………追いつくには少しばかり苦労したけど、なの」


 苦労した、という部分に苛立ちを含ませて結が答える。伸ばす。それが彼女の力ゆえに地中に潜んだ僕であっても手を伸ばして掴まえることが出来たということなのだろうか。


「そ、そっか…………ちょっと、油断しちゃった、かな」


 失敗したというように、力の入らない左右非対称な笑みを切歌は浮かべる。


「そ、それで私を、どうするつもり?」

「ぶっ殺すの。もはや慈悲は無いの」


 交渉はすでに済んだと言わんばかりに結が即答する。


「で、できるの?」


 けれど切歌に怯んだ様子はない。動じることなく結の冷たい視線を見返す。


「お前がどこに潜もうとも届かせることが出来るのは証明したばかりなの」

「そ、そうかもね」


 その事実を前にしてもやはり切歌は揺るがない。


「で、でも、簡単ではない…………そうでしょ?」

「答える義務はないの」


 結は返答を拒否したがそれ自体が答えのようなものだ。すぐさま補足して手を伸ばせるのなら都市の外まで逃がしはしなかっただろう。


「そ、それに私の力は…………逃げるだけじゃ、ないんだよ」


 そう切歌が告げたその瞬間に、巨大な大岩が結の…………というか僕らの真横に生えた。恐ろしいのはそれに何の振動や衝撃も起こらなかった事だ。つまりはなんの前兆も感じる事は出来なかったわけで、それがもしも足元から出現していたらその巨大な質量をもろにぶち当てられることになっていた。


 恐らく切歌は予めて潜ませていたものを表に出しただけ…………だがその場所を選ぶだけでそれが攻撃にもなる。今見せたのは大岩という単純な大質量の物体だったが、状況に合わせて様々な物を用意しているであろうことは想像に難くない。


「それがどうかしたの?」


 けれど結の方も動じない。その程度いくらでも対処できると言わんばかりに冷たく切歌に視線を向ける。


「お前はわたくしから彼を奪おうとしたの…………何を口にしようとぶっ殺す以外の選択肢は残ってないのよ」

「え、ええと結?」

「あなたは少し黙っていて欲しいのよ」


 何とか場を取り持とうと僕は口を開いたけど、結は聞く気のない様子だった。


「こ、このまま戦えば王子様も巻き込むことになる、よ?」

「それはお前が攻撃しにくくなくなるだけなの」


 平然と結は返す。どちらにとっても僕は重要な存在ではあるが、今の僕は結の傍らにいて気を遣わなくてはならないのは相対する切歌の方だ。


「わ、私は戦う必要はないの…………気を逸らして王子様を捕まえればか、勝ちだから、ふひひ」


 けれどその立場は容易に逆転しうる。いかなるものにも潜むことのできる切歌の力ならば攪乱かくらんして僕にまで到達するのは難しい話じゃない。例え結が警戒していても僕を傍に置いていることそのものが枷になって動きも鈍るだろう…………僕を捕まえれば後はまた逃げるだけだ。


「逃げても地の果てまで追いかけて捕まえるの」


 だが自分を殺さない限り意味はないと結は宣言する。見えざる魔女である彼女からすれば諦めなければ目的はいつか達成できるものなのだから。


「掴まえて…………その後は、どうするの?」

「お前は殺すと言ったはずなの」

「か、彼を奪おうとしてるのは私だけじゃ、ないのに?」


 態度の一貫していた結だが、流石にその言葉は聞き捨てならなかったらしく眉をひそめる。


 それは正に彼女が危惧して僕も恐れていた事態だったがゆえに。

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