九話 見えざる魔女と望まれないからこそやってくるもの
「どうかしたの?」
「いや、なんでもないよ」
「嘘が下手すぎるの」
ここ数日と変わらぬ昼下がり、けれど結は僕の表情を
「そんな顔でお茶会をされても楽しくないの…………正直に言えばその表情もそれはそれで乙なのだけどずっとその表情をされてても困るの」
「…………」
その反応の全てを楽しまれていると思うとなんだか微妙な気分だ。
「さっさと話すの」
「…………いつになったらちゃんと服を着てくれるのかなって思ってただけだよ」
「露骨な嘘なの」
そう指摘しつつも結の目が泳いでいるのを僕は見逃さない。
「嘘ではないよ」
もちろんごまかしではあるがこれはこれでずっと思っていた事だ。全裸でいられるよりはマシだが裸マントもそんなに変わらない。彼女が動くたびに目のやり場に困るのだ…………しかもそれで結が興奮している節もあって余計に反応に困る。
「布で妥協はしたのよ」
「せめて下着くらいはして欲しい」
「…………気持ち悪いの」
「なんで!?」
むしろ付けることで色々と快適になる代物のはずだ。
「わたくしはもう服を着ていない期間の方が長いのよ…………だから何かを付けていると違和感があるの。正直に言えばこの布もかなり我慢して羽織ってるの」
「…………」
年季を持ち出されるとその原因を作った側に立つ僕としては何も言えなくなる。
「だけどあなたがどうしてもというのならその不快感にも堪えるの。Sなの。それはそれで興奮するの」
「いやいや、そのままでいいよ!」
これ以上余計な性癖を増やされても困る。
「ならいいの。もっとわたくしの柔肌が覗いた時にドギマギするの」
「…………」
そう言って露骨に足を組み替えたりしてくる結に僕は目を伏せる。
「冗談はそれくらいにして……どうせ他の魔女の事でまだ悩んでるの」
「う」
図星を突かれたというか、それ以外に理由がないからわかりやすかったのだろう。
「諦めるように言ったはずなの」
「…………それは、わかってるけど」
支倉司令と話して整理した考えを話すかと僕は迷う…………駄目だ。結に僕の死を意識させるのはまだ早い。下手をすれば支倉司令にまでと我が及ぶ可能性もある。
「あなたの気持ちもわからないではないけど、この話に妥協は無いの…………出来ればわたくしが実力行使をする前に納得して欲しいのよ」
「う、うん」
実力行使、そんな言葉が出てくるあたり結も
「わかってないけど仕方ないの」
ふう、と結は息を吐く。
「これ以上悩むなとは言わないのよ…………ただ、行動に出る事は許さないの」
そう告げる彼女の目には一切の譲歩も認めないという意思が現れていた。
「もしもあなたが他の魔女に接触しようとする行動を確認したらわたくしは一切の配慮なくあなたを確保するの…………その後はズッコンバッコンのヌルヌルなの。退廃的な悦楽に浸りたいなら好きに行動するといいの」
「…………肝に銘じるよ」
元よりそのつもりは無かったけれど、安易な行動は出来ないなと僕は自身を戒めた。
◇
「こんな話の後では気まずいの、だから今日はもう帰っていいの」
厳しいことを口にしながらも配慮は欠かさない結に見送られて僕は帰路に着いた。その気遣いがある内に僕は今の状況を何とかする術を見つけなくてはならない…………やはり支倉司令の言う通りまずは彼女との交流に集中するしかないのだろうか。
「はあ…………時間もあるし、今日は何か作るかな」
結論を先延ばしにして僕はそんなことを呟く。防衛隊の訓練で疲れている時は外食で済ませることも多いが、あまり趣味のない僕にとって自炊は楽しみの一つだ。そんなに凝ったものを作りはしないが、自分で調理したものを食べるのは楽しい。
「そうだ、今日のお詫びにお弁当でも結に作ろうかな」
それは悪くない考えだと思う。仕方ないと言ってくれたとはいえ警告を無視して最後通牒を受けたのも事実なのだ、少しばかり機嫌を取っておくのは悪い考えじゃない…………心配と言えばその反応くらいだけど、流石に弁当くらいで過剰な反応はされまい。
「ふひ、ふひひ。手、手料理だって」
不意にそんな呟きが聞こえた気がして僕は周囲を見回す。定時の時間よりまだ早い時刻だが通りにはそれなりの人が行きかっている。しかしそんな声が聞こえそうな距離にいる人は無く、僕に注目しているような人物もいなかった。
「結の声では…………なかったよね?」
彼女であれば僕に囁いてから見つからずに離れることも簡単だろう。けれどその口調も声色も明らかに結のものではなかったように思う。
「…………幻聴かな」
精神に変調をきたしたり違法な薬物を摂取した覚えはないが、偶々拾った雑音や会話を間近で聞こえた声と錯覚することはありうる…………ただ。
「周りを見回してるの……か、かわいい」
続けて同じ声が聞こえるとそれを錯覚とは思えなくなる。
「ふ、ふひひ。そういうのが好みなんだ」
さらにその声はその場を移動してもスーパーに入って買い物していても聞こえて来た。外と違って隠れる場所は限られているはずなのに、見回してもやはりその声の主の姿は無い。
「おうちはどんな所に住んでるのかな、ふひひ」
スーパーを出てもその声は付いて来る。このまま家に帰るのはどう考えても不味いが、正体を見極めるために人や障害物のない開けた場所へ行くのも不味い気がした…………この相手が身を隠すための高いスキルや道具を利用しているのならまだマシだが、嫌な方の想像が合っていた場合に致命的になる気がする。
「…………」
一番確実なのは結の下に戻る事だ。けれどその場合もし嫌な想像が当たっていた場合にもっと最悪の事態になる可能性があった…………ああもう。どっちにしろ最悪じゃないか。
「っ!」
迷った末に僕は
「あ、あれ…………戻るの? もしかして結ちゃんのところに行こうとしてる? そ、それは駄目だよ、ふひひ」
見えざる魔女確定。この都市にいる魔女の名前は支倉司令ですら知らない情報だ。それを知っているのは共に見えざる魔女になった実験の参加者のみ。
「か、彼女と会うのはまだ早いよ。その前に私もあなたと二人きりで少しは過ごしたいな、ふひひ」
その言葉からはまだ結に対する感情が判断できない。話し合いの余地があるのかそうでないのか、いずれにせよ僕が結の下に戻る事は望んでいないらしい。
「すまないけど、君と二人きりになったのを知られたら結がとっても怒るんだよ」
足を止めずに言葉を返す。
「僕が間に入るから、できれば穏便に彼女と話し合って欲しい」
この提案が受け入れられることを僕は切に願う。これを聞き入れてくれるなら二人が争いにならないように全力を尽くす用意が僕にはある…………貞操だってくれてやっても構わない。
「ふ、ふひひ。覚悟を決めた素敵な顔…………それでこそ私の王子様」
なんだか背筋がぞわっとするセリフを吐かれたが、見えざる魔女の置かれた状況を考えれば僕の存在を美化しても仕方ないのだろうか。問題は文脈的に僕に好意的であっても提案には肯定的な印象ではない事だろうか。
「ふひひ、うん。やっぱり少しくらい独占したいかも」
「っ!?」
そんな呟きが聞こえた途端に僕の足が止まる…………何かにがっしりと掴まれたようでびくともしない。咄嗟に足元に目を向ける僕の影から手が伸びて右足首を掴んでいた。
「えへへ、捕まえた」
さらに影からまるでそれが水面であったかのように少女の顔が浮かび上がる。長い黒髪がまだらに垂れ下がり、あまり手入れしていないのか無造作に伸びた前髪の下から陰気そうに細められた瞳が覗く。顔立ちそのものは整っているように見えるのに、その全身に纏わりつくような負のオーラがマイナスの印象を与えているようだった。
「は、離してくれないかな」
「駄目。離したら逃げるでしょ、ふひひ」
黒髪の少女は握る手を強めもしないが弱めもしなかった…………見るからに細腕なのに訓練で鍛えた僕の足に全力を込めても微動だにしてくれない。
「だ、大丈夫。悪いようにはしないから、えへへ」
気休めにもならない言葉を少女が口にする。最初から彼女から危害を加えられるとは僕も思っていない。問題は僕ではなく結なのだ。
「なにをしているの」
そして不意に響き渡った彼女の声に僕は背筋が震える。
その声には、明らかに怒りが含まれていた。
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